退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「なぜか許せないことふたつ」について

2017-12-31 04:30:01 | Weblog
晴れ。だったはず。

墓参りに行く。

案外多くの人々が来ていることを確認する。
「残念な叔母」ともしばしお付き合い。

下の妹の子どもと喋り方が似ていると言われる。
向こうが勝手に似たということで。

「バカなオヤジ」が許せんと思う一点が譲れないのはなぜだろう。
おそらくは彼らの「バカさ」が多くの犠牲を強いたから。

それを体現しているのが「残念な叔母」だったりするのはいかにも皮肉なこと。
彼女の「悲劇」を知った上でもそれは許せないと思ってしまう自分とは。

ちなみに「バカ」というのは
「自分の無条件な前提」を全く疑いもなく主張する輩を指すのでよろしく。

どのようなかたちであれその種の「知性の欠如」を解消するためには
最低限の「理の尊重」がなければならず。

もっともこちらの「理の一直線」が「冷たさ」と受け取られて。
これもある種の「アルゴリズム」だと思うことにするか。

深夜原田眞人「クライマーズ・ハイ」(’08)をTVで観る。

ビリー・ワイルダー「地獄の英雄」(’51)の話が出てくるのを忘れずに。
ローカル新聞社の「権力関係」はよくわかるものの。

編集権と販売の対立というお馴染みの構図もあり。
このあたりはほぼ「20世紀前半」だったり。

「ダブル・チェック」というのがキーワード。
そのこと自体は「正しい」とはいえ。

ジャーナリストが無条件に「正しい」とは限らず。
このドラマには「無前提に対する疑い」が欠けている。

残念ながら共感できないまま。
「言語を絶する現場を見た人物の死」を利用するなどもってのほか。

そもそもジャーナリストには「ハイエナ」であることの覚悟がないと。
その種の感情が微塵も描かれていないのは「自己満足」と言うよりない。

何か根本的な「間違い」があると思わせる作品。
「親子の問題」を絡ませるラストにも疑問しか浮かばず。

繰り返すがどこか「壮大な勘違い」に基づいている感じが満載。
原作は未読なのでその違いについては評価しようがないけれど。

「未曾有の事故」を「特定の自意識」によって描いただけとしか思えない。
あまりに「現実の遺族」に失礼だと思わざるを得ず。

「地獄の英雄」を知っているはずの監督は
その作品からいったい何を学んだのだろうと思うのみ。
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「自転車に乗ることと昆虫を材料に『当然』を知ることあるいは『ひまつぶし』と亡き父親を思い出すこと」について

2017-12-30 02:58:44 | Weblog
晴れときどきくもり。日が暮れると冷える。

久方ぶりに自転車に乗る。

喫茶店で読書した後にしばし走る。
足の筋力が相当衰えている事実を噛みしめつつ。

港にはカップルや家族連れなどの姿が。
「どん突き」まで行って海を見てみたりする。

コートのファスナーを締めれば身体の寒さはあまり感じないものの
如何せん両手の冷たさはどうしようもなく。

手袋をすればいいのだけれどどこかで「寒さ」を感じたい気持ちもあり。
「皮膚感覚」は確保しておきたいということで。

山脇兆史「昆虫の行動の仕組み 小さな脳による制御とロボットへの応用」を読む。

「アルゴリズム」にのみ興味のある著者による虫のあれこれの解説。
用語の「ややこしさ」を掻いくぐれば「仕組みの解説」だとわかる内容。

ニューロンもしくは化学物質の濃淡と視覚。
「ほぼ反射」だと言っていい類いの「装置」が生き物には備えられていることをあらためて。

「虫」を細かく調べることによって「人間の動きの『当然』」が分析されるのにふむふむ。
なるほどロボットに応用されるわけだと納得した次第。

ダニエル・アルフレッドソン「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士」(’10)を観る。

本来は老舗バーのマスターに借りたDVDを見るべきなのだがついつい安楽な方へ。
よそ事をしながら観る「怠惰」に抵抗できず。

政府にも知られていない「グループ」による「陰謀」を暴くまでのお話。
メディアを「脅迫する」やり口を覚えておこう。

面白いかと言われるとやはり微妙。
とりわけ本作ではこれまでの物語の「オチ」をつけなければならないため余計に。

「無痛の異母兄」に追い詰められるシーンが「ジェンガ」のようなのが「工夫」なのか。
まあ「ひまつぶし」にはなる作品。

さて。

今日は換気扇と二階の部屋の掃除など。
いずれも「母親のリクエスト」に応えたもの。

ついでに洗い物もやる。
元々それは嫌いではなく。

毎日やる「義務」がない者ゆえでもないような。
明日の墓参りにも同様に付き合う次第。

亡き父親もそうしてきたのかもと思う一方で「事実」は不明のまま。
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「忙しない年の瀬と人と動物のお付き合いあるいは香港の歴史と現在」について

2017-12-29 02:01:34 | Weblog
晴れ。やや風が吹く。

上司からの連絡で仕事納めの日に地下鉄が止まったことを知る。

仕方なく行ける駅まで行ってタクシーを探す。
寒風の中しばし歩くがなかなか見つからず。

こりゃダメだと思っていたところでようやく捕まえて。
結局ギリギリセーフとなる。

特定方面へ向かう電車が一本しかないせい。
これではとても「都市」とは思えず。

かと思えば帰りには交差点でバイクが「縮んで」いるのを見る。
年の瀬に何とも忙しないこと。

河合雅雄・林良博「動物たちの反乱 増えすぎるシカ、人里へ出るクマ」を再読。

かつて人と動物たちの「入会地」として機能していた里山がそれを失った結果。
結局はわれわれの生活スタイルが変わったせい。

「美味しい時期」を逃したシカ肉ばかり食べて「ジビエの豊かさ」を知らずに来たことや
「農村の衰退」によってクマに「豊かな餌場」を教えてしまったこともあり。

福島の「放射能汚染地域」で動物たちが活発に動いていることを思い出す。
「縄張り」を保つためにはそれなりの「人の存在」が必要。

人口減少の著しい現在がそのまま続けば「動物たちの楽園」ができるのだろう。
それを「素晴らしい」と思うかどうかがポイントのよう。

「自然保護」も突き詰めれば「われわれの生活様式」に行き着く次第。

ウィルソン・イップ「イップ・マン 葉問」(’10)をTVで観る。

主人公はブルース・リーの師匠で演じるのはドニー・イェン。
いかにも正しく控えめなキャラクターが好ましい。

久方ぶりに見たサモ・ハン・キンポーがいい役どころ。
「現実」に屈しながらやがて「正義」に目覚めるも志半ばで倒れる。

イギリス植民地下の香港における「中国武術の誇り」という筋立てはいかにも「20世紀」の趣き。
ロッキー(’76)の「異種格闘技版」と思えばいいかも。

もっとも中国による「圧力」が際立つ現在においては
むしろ「香港のナショナリズム」を掻き立てる役割があるのかも。

音楽が川井憲次であることも忘れずに。
どういう関係で仕事の依頼が来たのか知りたいところではある。

さて。

もうちょいと飲んで年末年始の休暇を楽しむつもり。
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「コケのあれこれあるいは『カワイイ』の違い」について

2017-12-28 02:25:02 | Weblog
くもりときどき雪。夜になって晴れる。

秋山弘之「苔の話」を読む。

「コケ植物の生活史戦略」は以下の5つ。
逃亡者・植民者・一年性定着者・多年性定着者・安定的定住者。

まあいろいろな暮らし方がある模様。
著者は「戦略」という言葉はあまり好まないようだけれど。

その昔は「フワフワさ加減」からガーゼや詰め物として使われていたことを初めて知る。
もちろん「苔庭」にも。

中には銅を取り込んで生きているコケもいるとのこと。
なるほど「毒」を制してしまえば他の何者にも邪魔されず生きられるのか。

本作は13年前のものなのでその後の研究成果が知りたいところ。
苔に関する和歌の紹介という「風流」も楽しめる内容。

それとは別に。

知り合いの若い女子がカワイイと評価する女子のプリクラを見る。
よくある目を加工したもの。

確かに「実物はそこそこカワイイだろう」ということはわかるものの
いわゆる「不気味の谷」を感じてしまいさほど評価することなく終わる。

彼女はそのことについてほとんど「違和感」を感じないらしいのが不思議。
ある時期以降「目力」を強調しすぎた「パンダメイク」に慣れてしまった結果か(違うね)。

こちらからすれば「カワイイ実物もしくは写真」が見たい。
「目の加工の不自然さ」が見えれば「萎える」だけなのだが。

「整形にハマった」女子を「傍から見た」感じに近いような。
「同じもの」を見ていてもかくも異なる感想が生まれる次第。

いずれにせよわれわれは「世界」を自分なりに「加工」して見ているのは確か。
彼女とこちらの「カワイさ」に関する認識の差にふむふむ。

「余計なお世話おぢさん」として「もっとキレイなものを見なさい」と言ったところ。
彼女の返事は案の定「見てますよ」。

さて。

「プリクラの加工」を「不自然」だとする一方で
「メイクによる加工」を「自然」だとするこちらの「判断基準」や如何にと思いつつ。

「不気味の谷」はどうやら「共通感覚」ではないらしいことを知る。
というのは「全くの誤解」で「『カワイイ』の基準の違い」というあたりが「本当」か。
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「圧倒的な美しさと複雑な国の風土」について

2017-12-27 02:12:02 | Weblog
くもり。帰りに少し降られる。

海野宏「ハリー・クラーク アイルランドの挿絵とステンドグラスの世界」を見て読む。

挿絵の魅力もさることながら
ステンドグラスの色彩の素晴らしさに圧倒される。

「綺麗」というのはこれらの作品に対して使われるべき言葉だと思った次第。
すべてを包み込む「黒」のまわりで「光り踊る青」と「豊潤な赤」あるいは「渋く煌めく黄」。

それらの色彩が陽光で揺れるのを是非見てみたいもの。
「眼福」とはこのことかと思うのみ。

ここまでくると題材などどうでもいい感じ。
ただひたすら見ればいいだけのような。

「ケルト神話」とそれを生み出す土地の魅力をもっと知りたくなること請け合い。
もちろん詩やウィスキーについても。

かろうじて名前だけは知っている人々の作品をもっと読もう。
今度図書館で借りてくることにする。

ダニエル・アルフレッドソン「ミレニアム 火と戯れる女」(’10)を観る。

気になるのは「スウェーデンという国の複雑さ」。
マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー「マルティン・ベック」シリーズもそうだったけれど。

外から見ると何とも自由に満ち溢れているように思えたりもするものの
その「内実」はむしろ「暗く重い」印象で。

本作の「基本」も「性暴力」だったり。
「オチ」は「父親の品行の悪さ」でもあり。

「怪物」である父親に幼い頃に「反抗」した娘は精神病院に入れられさらにレイプされて。
やたらに煙草を吸うのは「健康」より敢えて「不健康」を求めるゆえか。

セックスもし大事な相手だと思う女子からのプレゼントがシガレットケースであることを思うと
「タバコを吸うことの意味」は結構大きそう。

別の父親の「悪行の結果」を敢えてその娘に見せるシーンなどからしても
「男のダメさ」をこれでもかと見せたかった模様。

監督の「背景」が偲ばれる次第。
ただし作品がそこまで面白いのかと言われると微妙。

もっともそうした「重苦しさ」こそが魅力なのだと言えないこともない。
「フリーセックス」が叫ばれる場所ではそれを訴えずにはいられない「事情」があるはずなので。
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「好ましい役者と『戦争孤児』の悲惨」について

2017-12-26 04:19:36 | Weblog
くもりときどき晴れ。やや風が吹く。

西田敏行「役者人生、泣き笑い」を読む。

リアルタイムで知っているのは「カバ大将」と「池中玄太」くらいから。
思えば「探偵ナイトスクープ」の局長も長い。

残念ながら「釣りバカ日誌」のシリーズは全くの未見。
「ゲロッパ」(’03)についても同様であまり「いい客」ではなさそう。

福島出身の彼が原発政策について批判的なのは当然。
案外「会津ゆえの長州嫌い」はなさそうだけれど。

松崎しげるや柴俊夫らとの付き合い方が好ましい一方
もっと「本音」というか鶴瓶の言う「黒い部分」について知りたいところ。

深夜「目撃!にっぽん」の「ただぬくもりが欲しかった~戦争孤児たちの戦後史」を観る。

親戚からのイジメ、仲間の自殺あるいは栄養失調による死。
「これからは徹底的に社会に逆らって生きてやると思った」という言葉に圧倒される。

「ほんとに欲しかったのはぬくもりです」と。
偶然拾われた寮の先生が銭湯で背中を流してくれたことで「回心」して。

あるいは夫にも言えない妻の「上野の地下道で過ごした過去」よ。
大量の孤児が生み出された原因が実は「学童疎開」。

「帰りたい帰りたい」という小学5年生が「非国民」として往復ビンタされる。
親が面会にやってきてもその時間は5分のみ。

東京大空襲で亡くなった両親の手紙には「東京には空襲などありません」。

こうした当時の子どもたちを国は見捨てた。
その事実は覚えておくべきだろう。

人々が彼ら彼女らを助けようとはしなかったことも。

そして。

おそらくわが国では現在も「見えない戦時」が続いているはずだとすれば
われわれに「学習能力」はあるのかが試されている。
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「王がいる仕組みと文化を象徴する『歌謡史』あるいは『思想の不在』による不安と『博奕打ち』」について

2017-12-24 02:34:56 | Weblog
『晴れ。今日もおだやか。

老舗バーは店自体がお休みのよう。

いちおう電話をかけてみたものの留守電にもなっていず。
いささか心配ではあるけれどまあ大丈夫だろう。

エティエンヌ・ド・ボエシ「自発的隷従論」を読む。

王が王であり続けるのはそれを認める人々がいるから。
その単純な「事実」をあらためて。

「慣習による怠惰」はむしろ「自由を失っても平気な心性」を再生産すると。
権力にすり寄る人々の群れは「小圧政者」として新たに「すり寄る人々」を生み出すとも。

思考する上で「何もない場所」に戻れることが重要。
あるいは「権力関係」とは無縁な「対等な存在」を友にすることも同様に。』でまた寝る。

晴れ。夜になって降り深夜に止む。

相倉久人・松村洋「相倉久人にきく昭和歌謡史」を読む。

「ジャズ評論家」だと思っていた人が「陸軍幼年学校」の出身だったことを初めて知る。
同級生には推理小説作家の西村京太郎も。

音楽で大事なのは「リズムと音色」。
普段の話し言葉がその基本となる模様。

「人の複雑さ」をあらためて。
「自分の表現」を理解しない相手が悪いのではなく「伝え方が下手なだけ」という視点よ。

いかにも今にふさわしい言葉にうなずくのみ。
詳細は敢えて述べないので本書まで。

エノケン、服部良一、美空ひばり、坂本九、クレージー・キャッツ、
あるいは山口百恵、松田聖子、中森明菜、河合奈保子(!)、ニュー・ミュージックについて。

マル激を観る。

わが国には例えば「教育と住居」が「誰にでも手に入れられるもの」という「思想」がない。
だからこそ個人がそれらを負担せざるを得ずいたずらに「生活」が貧しくなる仕組み。

北欧の人々が高い税率に文句を言わないのは「老後や社会保障」を心配する必要がないから。
そこに「不安」があるからこそ人は貯蓄に励むことになり。

その一方で「教育の基本」が「情けは人のためならず」であることを忘れて。
「子どもは未来」であり「みんなで子育てのコストを負担する」という視点もないまま。

「産業構造の変換」あるいは「年齢に関わらない再教育」を意識しない政府の政策たるや。
「共感あるいは同情」に基づく「統合」がなされるはずもなく。

和田誠「麻雀放浪記」(’84)を久方ぶりに再見。

そうかもう33年前の作品なのかとしばし感慨にふけった次第。
原作を読んだのは学生時代。

「東京の花売り娘」と「センチメンタル・ジャーニー」が流れる中
真田広之の「坊や哲」が「大人」になっていく。

冒頭の賭場のメンバーが素敵。
内藤陳、篠原勝之、天本英世、逗子とんぼらの醸し出す「戦後」。

もちろん一番いいのは「出目徳」の高品格。
笹野高史や鹿内孝が出ていたのは申し訳ないが忘れていた次第。

名古屋章、鹿賀丈史、加藤健一の「ヤクザ加減」も素敵。
加賀まりこと大竹しのぶも若いこと。

この種の「リアルさ」は今こそ思い出されるべきかも。
ちなみに原作の著者阿佐田哲也は空襲で何もなくなった街の姿を「もとっこ」と。

この種の「歴史」と「事実」を知れば人はもっと「やさしく」なれるはず。
「最低限」をどのように判断するかがネック。
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「アーティストにおけるミューズの存在あるいは『意気に感じること』」について

2017-12-23 02:00:30 | Weblog
晴れ。おだやか。

ジル・ネレ「ルーベンス」を見て読む。

かの画家に外交官としての手腕があったことを初めて知る。
もっともそれは「愚昧な王たち」のせいで「平和」には活かされず。

最近ではパリコレのモデルたちも「やせすぎ」は禁物のようだけれど
「ふくよかな女性の魅力」を描いたのが彼だったことを忘れずに。

わが国でいえば「関ヶ原」以降のこと。

工房で共同制作した作品も少なくなく。
妻ふたりを愛していたことがよくわかるものもあり。

二人目の妻は弱冠16歳でその時彼は53歳。
「ロリータ」を求めたのは「貴族の女性の虚栄」を嫌ったからだとのこと。

現代なら「犯罪」と呼ばれる類い。
「毛皮を着たヴィーナス」を書いたマゾッホは「小さな毛皮(毛皮さん)」を傍らに置いていた。

いずれにせよふたりが「ミューズ=女神」であったことは確か。
そのおかげでわれわれは素敵な作品の数々を見られるわけで。

それとは別に。

「精霊の守り人 最終章」の再放送をまた観る。

弟ジグロの在り様を兄カグロがある種「過剰に」繰り返す「物語」にふむふむ。
「犠牲」によって「生かされた者」が次に血縁とは関係なく「生かされる者」を生み出す妙。

原作を読んでいないので詳細は不明だがこの展開はなかなか。
小林信彦流に言えば「人生を感じさせる」。

さらには現代だからこその「受け継ぎ」のような感じも。
このあたりを「意気に感じる人々」がたくさんいてくれればありがたいような。

「タンポポの散種」のアナロジーを思い出して。
誰でもいいから受け取ってというメッセージだと解釈していただいて結構。

つまり。

国籍も人種も関係なく。
やはり本作は海外に紹介すべきだと思うことしきり。

あらためて「物語の精妙ぶり」を味わった次第。
怒涛のように押し寄せる怒りを辛うじて押し止める綾瀬はるかは文句なしに素敵。
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「キノコとカビに学ぶこと」について

2017-12-23 02:00:22 | Weblog
『晴れ。寒さはそれほどでもなく。

深澤遊「キノコとカビの生態学 枯れ木の中は戦国時代」を読む。

「木材腐朽菌」の材腐朽の仕方はそれぞれに。
白色腐朽・褐色腐朽・軟腐朽・糖依存の4種類だとのこと。

セルロースやヘミセルロースを糖に分解してそれをエネルギー源にするらしい。
ちなみに木材の細胞壁の主成分は上のふたつにリグニンを加えたもの。

「白色腐朽」はリグニンを分解・除去してセルロースやヘミセルロースに迫り。
「褐色腐朽」は活性酸素を発生させリグニンを変質させて後者ふたつに迫る。

「軟腐朽」は含水率が高くすでにリグニンが分解されている「白色腐朽材」のみを利用。
「糖依存」は動物の糞や死体、糖分の多い果物など利用しやすい低分子の糖分に依存する模様。

なるほど「棲み分け」がきっちり行われているのねという印象。

そうした「領地獲得競争」の中で「バリアー」として生まれるのが「帯線」。
枯れ木の丸い表面に見られる「シワシワ」が実はそれだと。

人間以外の「世界」を見てみると
いずれも「熾烈な競争と棲み分け」が実に絶妙なバランスを保っている。

そうした「現実」に文句も言わず
ひたすら「生き延びること」を目指すのみという「潔さ」よ。

この見事な「自然さ」をわれわれも持てないものかと思いつつ
たぶん無理だとの結論に至る次第。

自然界に「食物連鎖」があるのならわれわれの世界にも同様に。
ただしそれを「当然」だとしないのがわれわれの「好ましい倫理」になったり。

あらためて「人の存在の厄介さ」を思う。
「棲み分け」が各自にとって「ウィンウィンの関係」であることを覚えておこう。』でまた寝る。
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「富裕層あるいは現実を反映しないマスメディアの『いかさま』」について

2017-12-21 02:04:35 | Weblog
晴れ。昼は暖かく夜にやや冷える。

ガブリエル・ズックマン「失われた国家の富 タックス・ヘイブンの経済学」を読む。

最近では「パナマ文書」で有名になり富裕層の「脱税ぶり」が明らかになったけれど
ジャーナリストが殺されアイスランドやパキスタンの首相が辞任したりも。

世界各国の裕福な人々が利用しているこの仕組みを簡単に教えてくれる内容。
そしてそのせいで「国家の富」が失われているのだと。

彼らにサービスを提供することで「豊かな暮らし」を手に入れている人々がいる一方
そうした国々ではその「恩恵」を全く受けない人々も多いのを忘れずに。

本書がフランスで出た2013年当時の推計では
タックス・ヘイブンにおける金融資産の総額はおよそ800兆円らしい。

この問題の「肝」は「タックス・ヘイブンによって課税情報が本国から切り離されること」。

一橋大学教授渡辺智之によると著者の「提言」は以下の通り。

①全世界規模での金融資産台帳の作成
②タックス・ヘイブンに対する金融面・貿易面での制裁措置

③金融資産台帳をもとにしたグローバルな資産課税
④多国籍企業課税についての定式配分法の導入

「国際協調」がなければ不可能だと思われる内容で
それが難しそうなのはタックス・ヘイブンの利用者が「世界各国の富裕層」だから。

あらためて「世はいかさま」だと思うのみ。

「生活保護に関するデマ」を信じて憤慨するのは「バカバカしい」ことをあらためて。
こうした「事実」を知らないとどうにも。

それにしても。

貧乏人には金持ちの気持ちは不可解。
それだけあればいいじゃないかということにはならない模様。

「老後の不安」などなくそこそこ楽しく暮らせる「現実」が
わが国においてかくも「手に入れがたいもの」であるのはなぜかを考えよう。

少なくとも憲法二十五条には
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とある。

さて。

「最低限度」を具体化する手段やいかに。
「子ども食堂」が増えている現実を胸に刻みたいもの。

この種の「貧困」はおそらく「ありふれている」のに
なぜかそれが「当然」にならない「マスメディアのインチキぶり」は今も続く。
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