退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

’18 盆休み3

2018-08-14 01:38:40 | Weblog
晴れ。そこそこ暑い。

クインビーのマスター一家と墓参り。

行きの車中でお子がはしゃぐ。
まあ元々そういうキャラなのだけれど。

かつて覚えていた百人一首は忘れてしまった模様。
どうやら今は「毒を持つ生きもの」に夢中らしい。

帰りにデニーズに寄る。
ミートスパとアイスコーヒーのランチ。

その後「季節はずれのお年玉」を渡して電車に乗る。
窓の外の風景を見ながらちょいとウトウト。

そのまま帰宅するのも癪なのでドトールへ。
なぜか飲みかけのペットボトルのお茶を持ったまま。

ジョン・W・ダワー「アメリカ 暴力の世紀」を読む。

副題に「第二次大戦後の戦争とテロ」。
軍備で突出したかの国の起こした戦争や政権転覆工作とその犠牲について。

かつての「反共」のように「テロ」に過剰に反応する姿にふむふむ。
もっともそれは「自らがまいた種」でもあり。

戦場に赴いた兵士たちのPTSDの影響も忘れずに。
「ハリウッドの影の部分」には必ずドラッグやアルコールがあるのと同様に。

「冷戦」が決して「穏やかなもの」ではなかったこと。
とりわけ中南米諸国におけるそれは「拷問の技術」を教えるものでさえあったり。

「世界の警察」は「陰謀の塊」でもあった事実よ。
今やその「大将」がトランプなのだから何ともはや。

そうした存在に追従するのみの国もあるのだからイヤになる。
「ニッポン、チャチャチャ」は「おもちゃのチャチャチャ」ほど無邪気なものではない。

久方ぶりに地下街にある丸善に行く。

新書のコーナーを見て山内昌之・佐藤優「大日本史」を買って読む。
それにしても読みたいと思う本が少ないこと夥しい。

日本の近現代史と世界史の「つながり」を正攻法と搦め手から見る内容。
「大局観」というのはこういうものかと思った次第。

広田弘毅の存在が城山三郎によって「歪められている」というのを初めて知る。
永田鉄山の「頭のよさ」が当人の嫌った「バカ」によって打ち砕かれるのも。

語学にも実務にも長けた存在がいた過去があったにもかかわらず
昭和のある時期以降「勉強秀才」のみが評価されるようになったのはなぜか。

結局「戦争という現場」を知らない時間が長かったせいだということか。
どこからもチェックを受けないグループがいたずらに「暴走」するのも「必然」。

そして何より「圧倒的な失敗」をしたにもかかわらず
「適切な処分」を受けないまま「生き残る人々」がいて。

なるほど現在を考えるためには実に参考になる「歴史」。
「今がよければいい」という「短絡もしくは怠惰」が何をもたらすのかを思いたいもの。
コメント
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