退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ある人物の一生あるいは特定の時代に彩られる『幻想』と現実のいい加減さ」について

2018-08-26 02:45:50 | Weblog
快晴。また暑さが戻る。

今宵は仕事場で研修があるはずがキャンセルに。

時間はできたが何となく老舗バーを欠席する。
お盆休み以来ご無沙汰しているので来週は行くつもり。

「鷗外歴史文學集第一巻」で「能久親王事蹟」「玉篋両浦嶼」を読了。

日清戦争の戦闘の模様を記録した文章は思えば初めて。
親王があれこれあった末台湾で「瘧=マラリア」で亡くなったことも同様に。

もうひとつは「浦島太郎」の鷗外版脚色のお話。
ちょいとSFがかってもいるのは「独逸の影響」なのかどうか。

「安逸を貪る」のに飽きて人間界へという趣向。
「男子たるもの」という「昔のかたち」。

そういえば二葉亭四迷は「文学は男子一生の業にあらず」と言ったのだっけ。
「明治の男子の思い」はそういうものだったやもしれず。

当時の「国家を背負う思い」に比べると
現在のいたずらに「国家にすがる」者たちの「貧しさ」をあらためて。

何が違うのかといえば火を見るより明らか。
前者には「実力」があり後者にはそれが全くないこと。

もっとも後者はそれゆえに「国家もしくは偽りの『伝統』」にすがるわけで。
「残念な存在」と言うよりないがこれも致し方なく。

いずれも「そのようにしか生きられない事実」だけが残るのだとしたら
「好ましい幻想」と「そうでないもの」があるだけだったりもする。

さて。

帰宅後ちょいと観たインドネシアにおける陸上アジア大会の「デタラメさ」に笑う。
とにかく「段取り」の悪いこと夥しく会場をネコが自由に歩き回る姿など。

何より印象的なのは関係者が誰もネコを捕まえようとはしないこと。
そういうのってアリなのねと思った次第。

いたずらに「日本勢」を盛り上げようとする放送とは実に対照的でよろしい。
意外なものが「幻想」を浮き彫りにするのに大いに納得する。

そもそも「世界レベル」からすれば残念ながら「アジアのレベル」が低いのも事実。
もちろん「陸上のお話」なのであしからず。
コメント
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