退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「気を抜いたこと」について

2012-12-31 00:20:50 | Weblog
雨。だったはず。

昨日終わった仕事の「忙しさ」のせいと
声が出なくなる風邪の症状のせいでご無沙汰。

永井荷風「あめりか物語」を読む。

今から一世紀ほど前の若者が「新世界」を見物したあれこれ。
いささかロマンチックで後に「濹東綺譚」を書いた著者にもこんな時期が。

これならむしろ谷譲次の「めりけんじゃっぷ」ものの方が
「生活感」があって興味深いかも。

もっとも描写の具合についてはそうでもなく
なるほどと思うこともあり。

さて。

友人からツイッターに誘われたのだが
メールソフトの不具合で参加できず。

妹が使っていたプロバイダーを勝手に受け継いだのだけれど
PCが違うせいか受信がうまくできない。

時期が時期なので直すには時間がかかりそう。
もっとも相当な期間放置していた自分も悪いとはいえ。

さてさて。

明日は例年通りソウルバーで年越し。
まだ咳が多少出るもののジンを飲めば治るだろう。

今宵は飲みながら深夜TVの映画を見つつ眠る予定。
嗚呼、まったり暮らせる幸せよ。
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「すれ違いと若さ」について

2012-12-25 01:43:35 | Weblog
晴れ。しんしんと冷える。

「貝殻追放」一巻目ようやく読了。

図書館で確認したところ都合三巻だったのだけれど
二巻目がまた野太いこと。

若い女子がいとこの彼氏からお菓子を詰めた箱をもらったことを話してくれた。
彼は彼女にお金をかけたカバンを贈り彼女は手編みのセーターを贈ったのだと。

金で愛情を表す男と手をかけることで愛情を表す女の組み合わせに思わず笑う。
「ラブラブなんだよ」という若い女子に「そういう時期もあるんだよ」と言う。

別に「他人の不幸」を願っているわけではなく
「男女のすれ違い」を思っただけ。

もちろんそれでうまくいけばOKだし
うまくいかないとも限らない。

そうした「誤解」がやがてどうなるのかは楽しみ。
忘れた頃に確認してみることにしよう。

さて。

明日から二日間だけ早起き。
そうなると逆についつい夜更かししたくなったり。

移動しつつの昼休憩にちょいと眠れるといいのだが。
「明石家サンタ」を流し見ながら就寝予定。

懐かしい「さいたまんぞう」が電話に出ていた。
かつてそのあだ名を持っていた友人がいたこともあって。

「象ですか」「ぱおーん」

今となってはいかにもくだらないことを言い合っていた日々。
若さはいつもバカバカしい。
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「様ざまであること」について

2012-12-24 02:15:33 | Weblog
くもり。厳密に言うと晴れなのか。

午前に野暮用をすませて束の間昼寝。
その後図書館へ行き帰宅。

映画女優香川京子に関する本を読むもののいかにも大雑把な紹介でやや残念。
むしろインタビューの方が好ましい感じ。

とはいえさまざまな名監督たちの作品に出演し
いまだに現役であることを思えばそのキャリアは素晴らしいというよりなく。

何よりその魅力は清潔感。
何事にも真摯に向き合う姿勢が素敵。

「上海帰りのリル」(’52)は津村謙の歌のイメージとはずいぶん違うかも。
もっともあくまで「イメージ」なので悪しからず。

「選ばれてしまう人」というものがあることをあらためて思う。
できればその種の人だけを「スター」と呼んでおきたいものではある。

さて。

ある時期以降「偉人」が失われてしまったのは
そうした人々を認める「土壌」が失われてしまったからだろう。

「偉人」という存在が成立するためには無数の「普通の人々」が必須だが
彼ら彼女らはいつのまにか「身近」であることのみを「リアル」としてもてはやすようになった。

とはいえそれはあまりに固定されたように思える「秩序」に対して
何がしかの「反乱」を企てたという意味では「健全」だったのだけれど。

実はそうした「秩序」を「秩序」と思わせるものは「自らの不安定さ」で
時が行けば自分もひょっとして「秩序」になるかもしれないことを忘れていただけのことだったり。

なるほど「歴史意識」がないとそういうことになり
やたらに「新しいもの」がもてはやされたりもするわけで。

やがて彼ら彼女らは自らの「非力」も省みず
いたずらに「不平を言い立てる存在」になったというあたりが「オチ」か。

こうして「大人」は姿を消し「子どもたちの氾濫」を招くこととなった。
自分も含めてもう「決して大人にはなれないこと」の「痛恨」を時には知るべきだろう。

それでいいのかと問う前に
そうしか出来ないことの「怖ろしさ」を感じられる身でありたい。
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「ひとりよがり」について

2012-12-23 02:33:21 | Weblog
雨のち晴れ。日が暮れるのがまだ早い。

貧乏ヒマなしで年末も忙しいこと。
普段から遊んでいるようなものだから仕方ないか。

二日間だけだが早起きもしなければならない。
実はそれが一番憂鬱だったり。

相変わらず腕の悪い歯医者にも通っていて
今度の予約を断るかどうか迷っている次第。

一度は「立派な歯医者を育てよう」と決意もしたのだが
治療の遅さに加えて技術もヘタすぎて。

通い始めてもう1年半。
われながらよく付き合っているものだと思いつつ。

かつて自分と付き合ってくれた数少ない女子たちも
こんな気分だったのだろうかと思うといささか身にしみる次第。

自らを省みて付き合ってやることにするか。
なるほどこれなら「母親の気持ち」までわかりそう。

さて。

深夜TVでサンドラ・ブロック主演の「デンジャラス・ビューティー」(’01)を再見。

鼻を鳴らして笑う姿がさまになるのは彼女くらいだろう。
ミス・アメリカ大会に潜入捜査することになった「女っ気なしの」FBI捜査官のお話。

おネェのスタイリストであるマイケル・ケインの「優雅さ」がさすが。
「カーク船長」ウィリアム・シャトナーは司会者役。

さらにはキャンディス・バーゲンがいかにもな感じで登場。
「女同士の友情」も描かれてラストはハッピーな気分になれる。

奇しくもサンドラ・ブロックは「同級生」。
こんな友人がいたらさぞや楽しかろうと思う中のひとり。

身の回りの「現実の貧しさ」に
ついつい「妄想」が頭をもたげてくる仕組み。

いやはや情けないことおびただしいが
「いつものこと」と言ってしまえばそれまででもある。
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「明澄と薄暮」について

2012-12-22 03:08:06 | Weblog
晴れのち雨。また帰りに降られる。

「貝殻追放」を読み進める。

淡々とした描写と鋭い観察が好ましい。
いわゆる「小説」よりよほど小説らしいところもある。

おぼろげな記憶によればあと三巻あるはずなので
当分じっくり味わえそう。

およそ一世紀を隔てた「お付き合い」は実に爽快。
小津安二郎作品の原作者でもある里見をおそらくは的確に批評しているはず。

もっともあくまでこちらの勝手な推測にすぎないので
実際どうなのかは不明だけれど。

著者の愛した泉鏡花の「草迷宮」を映画にしたのは寺山修司で「外科室」は玉三郎が。
前者では伊丹十三が下手な関西弁をあやつり後者では吉永小百合が「耐える女」を演じた。

おそらくいずれもヒットはしていないと思われるので
マニアの方はどうぞ。

「薄暮の世界」というのは此岸とも彼岸とも異なる「あやかしの世界」で
そこでだけ生き生きとできる「妖怪たち」の宝庫でもある。

もちろん「冷静に」見ればそれらはあくまで「想像上の産物」に過ぎないのだが
その「リアルさ」がいわゆる「現実」を脅かすこともしばしばあり。

「想像=創造」を生み出すのはもちろん「現実」で
そこに何の不思議もないといえばない。

アンドロイドがあらためて「人間」を浮き彫りにするのとは異なる形で
靄に包まれた「世界」に「人間」を見出すのも悪くない。

繰り返すが「人はパンのみに生きるにあらず」。
ならばあらゆる「世界」を知る愉しみを忘れずにいたい。
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「脱すること」について

2012-12-21 02:13:52 | Weblog
晴れ。そこそこ冷える。

久方ぶりのソウルバー。
マスターが「鼠径ヘルニア=脱腸」になったことを知る。

手術その他で病院に三泊四日だったらしい。
とりあえず大事に至らずめでたいことだとしておく。

「快気祝い」のつもりでニューボトルを入れる。
今宵も料理は食べずジンのみ。

水上瀧太郎「貝殻追放」を読み始める。

「お坊ちゃんの品の良さと正直と鑑賞眼」がうかがえる内容。
新聞記者の「ゴロツキぶり」に笑う。

繰り返すが新聞記者はかつて「羽織ゴロ=羽織を着たゴロツキ」と呼ばれた存在。
「本人と会った事実」を担保に手前勝手な「お話」を作るのが得意だった。

大正時代の文章ゆえ現代人からすればほぼ「古文」だけれど
むしろ今となっては読みやすく心地よい。

「馬鹿馬鹿馬鹿ッ。」といったフレーズが印象的で
いかにも「育ちのよさ」を感じさせる。

ある意味「理想的な慶応ボーイ」とでも言ったらいいのか。
「作家志望の若者」に対する「真摯で常識的な対応」にもなるほど。

「自然体」を感じさせる「描写」の「底」にあるものを忘れずに。
こうした「負け組」なら好ましい。

やはりここでも肝心なのは「『道』からはずれること」。
「現状」に満足しない「濃厚さと淡泊さ」の交じり具合に納得する。
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「時代の要請」について

2012-12-20 02:29:37 | Weblog
晴れ。冷える。

「トポロジー」に歯が立たなくなったので
池田信夫「原発『危険神話』の崩壊」を読む。

チェルノブイリは「放射能被害」による死者という観点からすれば「大災害」ではなく
3・11も津波による死者の方が圧倒的に多いので同様のことが言える。

「急性障害」も「内部被曝」も「閾値」があり「総量」には意味がない。
それが多数の科学者の見解であり「LNT仮説(どんな少量でも影響がある)」についてもそう。

「核廃棄物」も要は「NIMBY(自分の住む近くにはイヤだ)問題」であり
「技術的には処分可能だが政治的にできない」だけ。

「文科系知識人たち」には「経済的代案」がなく
「再生可能エネルギー」が原発にとって代わるには「代価」が大きすぎるなどなど。

なるほどこれは「脱原発」が「空気」となった現在では
いかにも「水をさす」考え方ではある。

おそらく重要なのは著者や著者に賛同する人々と
そうでない人々との意見を実際に「戦わせること」だろう。

その上で判断するのはもちろん「われわれ」。
「権威」も「正しさ」も失われた今となってはそうするしかないらしい。

何ともやっかいな時代になったわけだが
ニーチェが「神は死んだ」と言って以来始まったことでもある。

さまざまな疑問を胸に抱きつつある時は右へまたある時は左へ。
そういえばチャップリンは自らの作品の中で「線上」を「右往左往」していたっけ。

かつての長嶋茂雄の言葉を真似て
いたずらに白黒つけられないのは「『時代の要請』だ」と言っておこう。
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「それぞれの『進化』」について

2012-12-18 03:48:54 | Weblog
くもり一時雨。今日は降られずに済む。

「トポロジーの世界」を読み進める。

ほぼ意味不明な部分を適当に流しつつ
脳のニューロンの働きを点に置き換えるという考えに驚く。

「量子コンピュータ」についてはあまり知らないが
その異様な計算処理能力が何をもたらすのかについては興味がある。

一方で「膨張し続ける宇宙」のように
コンピュータが「進化」し続けるのかどうかも知りたいところ。

出来ればこの方面に詳しい向きにご説明願いたい。
何事も安易に理解したがる「素人」なのでよろしく。

さて。

アメリカでまた銃の乱射事件が起きた。
かの国の大統領は「銃規制」を口にしたが果たしてどうなるのか。

よその国の住民からすると
「これだけ同じ事件が繰り返されるのに彼らは何も学ばないのか」と思うことしきり。

とはいえ「西部開拓時代」に遡る「銃による自衛の歴史」は根深く
「建国の歴史」が実は「ネイティヴの虐殺」によるものだという「事実」も認めがたいのだろう。

たとえばクリント・イーストウッドは「グラン・トリノ」(’08)で
「モン族」の若者のために「従来とは異なる生き方」を見せたりしたのだけれど。

わが国においてそれと似ているのは「沖縄」。

かつては本土以外で唯一米軍と戦うことを余儀なくされ
さらにはその後も「本土のため」に「米軍基地」という「重荷」を背負わされ続けて。

にもかかわらず基地は一向に減らないどころか
危険度の高い「オスプレイ」までぐずぐずのうちに配備され。

彼ら彼女らが本気で「独立」を考えたとき
「本土の政府」はどうするのだろう。

いやはや「いづこも同じ秋の夕暮れ」。

われわれもまた「進化」しているのかどうかは大いに疑問で
「未来」も決して明るいものだとは思えなくなる。
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「輪の外にいるということ」について

2012-12-17 01:40:01 | Weblog
晴れ。それほど寒さはなく。

夕方から仕事場の飲み会にでかける。
飲み放題食べ放題で3500円という設定。

焼酎の種類が少なかったのでジンをロックで飲む。
今宵は意識的にあれこれ食べて「正気」を保つ。

一見ふざけているような態度をとる若い男子の「真面目さ」に
「もう少し楽にしてもいいよ」と言う。

その一方でいかにも真面目な若い女子が
アルコールの勢いではしゃいでいるのを横目で見る。

いずれも「若さゆえ」のことで微笑ましい限り。
どちらにも共通するのは「神経の細さ」か。

若い男子は「場を盛り上げる技術」を持ちつつ
本当に望んでいるのは「自分が気遣いせずにすむ場」だったり。

若い女子は「現場」で必要な能力がありその対処ができるがゆえに
気を許せる場所ではちょいと「乱れる」といった風情で。

「社会に出たくない」という男子には「あたし出てないんですけど」と言う。
いわゆる「世間的な価値基準」に照らした上でのことだけれど。

「上司」はまるで「バブル」の頃のように仕事と「かつての恋」に悩んでいたり。
キャラ的にはその方が似合っているのでOKだと言っておいたが。

言わば「お子様たちの競演」ではあるものの
彼ら彼女らの「真剣さ」は確かなものではある。

さて。

中途半端な時間で「お開き」となったゆえという「大義名分」の下に
いつものように飲む。

テレビを付けると衆議院選挙での自民党の圧勝を伝える番組があれこれ。
アホくさ。

むしろ昼間の「たかじんのそこまで言って委員会」における
一水会代表木村三浩の北方四島に関する「政策」が一番説得力がある「事実」よ。

ちなみに今回初めて「選挙権」を行使してみたのだが
やはり「少数派」だったことを確認することに。

あらゆるものを「バカバカしい」というのは簡単。
ただし自分の場合だけはそうでもないと思う「浅はかさ」に注意したい。

だからこそ互いにいろんなことについて話すのも重要。
繰り返すが「語るに足る相手」でありたいと思うことしきり。

こればかりは「毎日が現場」であり
否応なく「試行錯誤」するしかない。
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「うそぶくこと」について

2012-12-16 02:17:30 | Weblog
雨。今日も帰りに降られる。

野口 廣「トポロジーの世界」を読み始める。

久方ぶりに頭を使った気がするものの
その理解たるやいささか心許ないと言わざるをえず。

ついつい飛ばし読みしたくなる誘惑に耐えつつ
できるだけ地道に読み進めることにする。

「わからないこと」というのは「いけずな彼女」のようなもので
魅力を振りまく一方そのつれなさにうんざりしたり。

果たして今回はどこまで「お付き合い」できるか。
なるほどこんなざまではいつまでも「リア充」になれないのも当然。

いずれ好んでしていることなので致し方なし。
「因果な奴」なのは生まれた時からということで。

深夜「ロミオとジュリエット」(’96)を観る。

ディカプリオは若くクレア・デーンズの「少年顔」が印象に残る。
見事な現代劇への翻案。

大きく穴のあいた装置がなかなか。
どうにもしようもなく「そうなるしかない」のが「悲劇」。

まるで「部分の最適解」が「合成の誤謬」を呼ぶように。
そう思えば数学もたいそう「ロマンチック」なものなのかも。

とはいえロミオとジュリエットが結ばれたとして
今度は「どうしようもない日常」が続き。

それを遮る「切断」があればこそ「ロマンチック」は輝きを増すカラクリ細工。

がしかし。

その「束の間」を糧にして人は生きたりもする。
この「ややこしさ」を忠実に生きることしかできないのが人間の「運命」などとうそぶいて。
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