退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「年末のようなそうでないような」ということについて

2014-12-31 03:15:28 | Weblog
『晴れ。やや風が吹く。

仲正昌樹「精神論ぬきの保守主義」を読み始める。

今回も著者は西洋の思想をわかりやすくまとめていてくれる模様。
ヒューム、バーク、トクヴィル、シュミットなど。

「保守」を名乗るならばこの程度のことは知っておきなさいということ。
わが国の首相には是非読んでいただきたいもの。

その一方で。

マル激の毎年恒例のイベントの回を観る。

神保哲生は「恫喝」されて首相にすり寄るしかないマスメディアがますます萎縮し
国民に伝えるべき情報を伝えなくなることを相当危惧している。

いよいよ「大本営発表」が本格的になるのだから当然か。
宮台真司は「悲劇の共有の無さ」を説くけれどそもそもわれわれにそれが可能なのかを問いたい。

もう一度「焼け野原」を見るしかないのだとしても
子孫たちはまた同じことを繰り返しそうで。

「ネタ」と「ベタ」の差を理解できる者は元々少ない。
「敢えてする」などという複雑さは「感情のカタルシス」によって易々と無視される。

三島由紀夫がそうだったはず。
あるいはベトナム僧侶の焼身自殺を思い出してもいい。』と書いて昨日は寝る。

今宵は仕事納め&クインビー納め。

ちょいと「深夜の散歩」をして途中から車を拾って帰宅。

人影はまばらで少しさびしい感じ。
年末の雰囲気はあまりないような。

飲み直して眠くなったら寝る予定。
去年の年末を思い出すといささか静かで。

個人的にはパーッと朝まで飲みたいものの
お付き合いしてくれる人がいないのが残念。

お誘いをかけるのもついつい遠慮がちになり。
とりあえずマスターとは楽しく話したけれど。

あれこれあって大晦日を迎える次第。
今年も何とか生き延びた模様。
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「映画と現実」について

2014-12-29 01:36:29 | Weblog
晴れ。やや冷える。

昨日一昨日と寝てしまう。

昨夜はいつものクインビー。
マスターから「ミリオンダラー・ベイビー」(’04)の感想を聞く。

てっきりクリント・イーストウッドに感情移入するかと思いきや
ヒラリー・スワンクにしていたのが意外だったのだけれど。

モーガン・フリーマンがあまり印象に残らなかったよう。
「言うだけの男」については覚えていたのだが。

小倉千加子「醤油と薔薇の日々」を読む。

「男流文学論」の頃から「この人の発言は信用できる」と思った著者。
タイトルは映画「酒とバラの日々」(’62)から。

後に「オーメン」(’76)にも出演したリー・レミックの「アル中ぶり」はなかなか。
夫と妻がどちらも「アル中」というのは今でもあるのだろうか。

なるほどと思う視点を必ず提供してくれるのが個人的にはありがたい。
こういう友人がそばにいてくれたらなあと勝手に思う次第。

敢えて詳細は記さず。
本書にあたっていただきたい。

深夜NHKで「ドキュメント 72hours」の再放送をちょいと観る。

ふと観てしまってから「ふむふむ」と思いつつ
観られる時にはできるだけ観ている番組。

物足りない回もなくはないものの
今どきの番組としては高得点を与えてもいい内容。

ひと口に言ってしまえば「人生の多様さ」。
その種の「事実」をリアルに教えてくれるところが素敵。

朝まで付き合う体力はないので途中でリタイアの予定。
もう少し飲んで寝る。
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「インチキな言葉と視野狭窄による『管理』」について

2014-12-26 01:42:31 | Weblog
晴れ。今日も夜に冷える。

ここ数年「年末気分」がどんどん薄れている。

もちろん周囲を見ればあれこれと騒がしくないこともないのだが
「いつもと同じ毎日」な感じが強い。

まして今年は年の瀬まで普通に仕事があったりするので余計に。
それでいいのかと聞かれればたぶんいいのだと答えるつもり。

知り合いの若い女子に「メリクリ」と言われて「メリクリ」と返事する。
基本的に「日本語の乱れ」は気にしない。

たとえば物事をごまかす時に官僚が使う「カタカナ英語」のいやらしさよ。
具体的に言えば「ベースロード電源」とか「エネルギーのベストミックス」とか。

ほぼ意味不明なままに「それが当然」といった「土俵」を作り出す。
論理的に考えれば「ただの矛盾」だったりするのに。

こちらの方こそ嫌ってしかるべきもので
流行しては消える「若者言葉」などかわいいものじゃないか。

前者は相当に有害だけれど後者は無害。
その一点において「大きなちがい」があるのをお忘れなく。

ジョージ・オーウェル「1984」を知っていれば
「ニュー・スピーク」のように言葉の多様さが減っていくのも「当然」。

ただし「ビッグ・ブラザー」がどこにいるのかとなると案外曖昧になり。
おそらく個人ではなく集団であることは確か。

ひょっとしてそれが「われわれ」なのだとしたら怖ろしいこと。
「目の前の欲望や困難」にしか視線が合わないとそうなりがちで。

何度でも繰り返すが「視野狭窄」の罠には気をつけたい。
そして「愛情」の反対は「無関心」であることにも。
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「実は『当然』であること」について

2014-12-25 02:44:02 | Weblog
晴れ。夜にやや冷える。

「アラビア哲学」読了。

最後に「調査報告」が載っているというのが妙な取り合わせ。
かつてわが国は「統治」のためにこれくらいのことはやっていたのだというのが印象に残る。

「政治資金」で問題を起こした大臣の首をすげかえて批判を押さえることが
何気なく「日常」になっている現在とは大違い。

やはり「免許」で政府に首根っこを押さえられているのがマスコミには大きいのか。
ますます「戦時中」に似てきた感じ。

少なくとも「ジャーナリズム」を標榜するなら
取材相手に「弱味」を握られて萎縮したままでいいわけがない。

選挙前にあからさまな「恫喝」を受けてビビるくらいなら「貧乏」に暮らせ。
「まともな」ジャーナリストたちは現在そうしているはず。

必ずしも必要ではない「守るべきもの=現在の生活」のために
報道を歪めるならやめておいた方がマシ。

そういう人はジャーナリストに「不向き」なのだから。
そもそも「カタギ」ではないはずの職業に「普通の人」がなってはいけない。

他の職業を選んでのんびり暮らせばいいだけのこと。
その「当然」がわからないのだから始末に悪いのだけれど。

「分をわきまえないことの弊害」がここにも。
もっとも分野を問わずどこにでも同じようなことはあり。

せめてもう少しそれなりに「繕うこと」をしてもらいたいもの。
できれば「贋作」が「本物」に近づく絵画の世界のように。

おそらく「大人」という存在はそうしたものだったはずだが
その種の「意識」は消えて久しい。
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「達人の業とクリスマス」について

2014-12-24 01:32:11 | Weblog
晴れ。おだやか。

「アラビア哲学」を読み進める。

水面に映る絢爛の中を小舟でゆっくり進んでいる趣き。
肌を刺す不愉快なささくれが一切ない。

この「アトラクション」はいとも簡単にディズニーを超える。
もっとも遊園地はずいぶんご無沙汰しているのだけれど。

明日読み終わるかどうか。
「ヤクザーンの息子ハイ」の内容説明の典雅さよ。

しばらく著者の世界に耽溺してみようかと思うことしきり。

NHKでオリジナルの「バンドエイド」に参加したアーティストを採り上げた番組を観る。

スティング、ワム、U2、フィル・コリンズ、デヴィッド・ボウイ、カルチャー・クラブ
クール&ザ・ギャング、ポール・ヤング、ジョディー・ワトリー、バナナラマ。

デュラン・デュラン、ビッグ・カントリー、ポール・ウェラー、ポール・マッカートニーなど。

当時はMTVが街中の店で流れていてヴィデオ・クリップ全盛の頃。
クインビーで知り合ったアメリカ人と「USA for Africaってダサいよね」などと言っていたか。

それでも「この曲が大好き」と言って「we are the world」をリクエストをする外国人女子などがいて
ふたりで顔を見合わせて笑っていたりしたはず。

それから「one generation=三十年」が過ぎ。

やっていることは相変わらずで
どうにも「大人」になった気がしないというザマ。

いやはや。

それでも「振り返ることのできる年月」を過ごしてきたことは事実。
たぶん少しはマシになっていると思いたいもの。
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「極北と飲み会」について

2014-12-23 02:55:16 | Weblog
晴れ。夜に冷える。

井筒俊彦「アラビア哲学」を読み始める。

漢文脈の流麗と明快な分析が好ましいかぎり。
もっとも浅学菲才の身としてはその魅力を十分に受け取れるはずもなく。

読んでいるだけで何だかうれしくなる文章。
やはり「本物」はすごいと言わざるをえず。

明日もじっくり味わおう。
出来ればもう少しあれこれ註を付けてもらいたかったけれど。

ある種の「極北」を垣間見たような思いになる。
時代の趨勢を鑑みれば実に「反時代的」ということになるのか。

もっと早く「ご縁」があったらと考えないでもないものの
そこにこそ「ご縁の妙味」があるのだという理解をしておく。

他人にはよく「来世でがんばれ」と言ったりしているのだが
なるほどこんな風に「天に唾すること」になるのだと納得する次第。

ついついよそ事に手を染め
いたずらに気分のままに過ごしているとそうなるらしい、嗚呼。

さて。

今年は年末まで仕事をすることになる模様。
仕方がないとあきらめてはいるものの。

思っていたほど飲み会がないのが残念。
恒例の大晦日のクインビーもなくなったし。

関係各位はお誘いのほどよろしく。
何もなければひとりでちょいとさまようつもりではある。
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「戦時中であること」について

2014-12-22 01:27:22 | Weblog
晴れ。だったはず。

煙草を買いに出た以外ひきこもり。

マル激を観る。

集団的自衛権行使を可能とする憲法解釈の変更・憲法改正・原発の継続・武器輸出の容認
TPPへの参加・特定秘密保護法・ヘイトスピーチの容認・金融緩和の継続・言論機関への介入

大型公共支出の継続・生活保護の縮小・愛国教育の推進・非正規雇用の拡大など。
選挙結果はこれらの政策を容認することになったとのこと。

どこにも「アベノミクス」などないのに注目。
「経済保守」のフリをして「政治保守」としてやりたいことをやるのが安倍首相だと。

わが国はまだ「悲劇」を必要としているらしい。
やがて来るはずの「財政破綻」を待つしかないというのか。

「こんな社会など滅びてしまえ」と思う人々にとって
「望ましいモデル」が「怨嗟の的」でしかないというところまで来ているとは。

「大店法」が地元の商店街を衰退させた事実は覚えておこう。
「歩く範囲で暮らせる街」をあらためて作る必要がありそうで。

われわれはなぜこんなに「劣化」してしまったのだろう。
「感情のカタルシス」に生きるよりないと思い込むその理由が知りたいもの。

「大本営発表」が現代によみがえっている「現実」と同様に。
「貧乏は正しい」ということをちょいと思い出してみてもいいのではないか。

繰り返すが「トリクルダウン=おこぼれ」は回ってこない。
むしろ「身の丈に合った経済」を自分たちの手で作り出す方がずっとマシ。

「この道しかない」と思ってやったのが「真珠湾攻撃」だったはず。
それがどのような結末に至ったのかは歴史を振り返れば明らか。

とりあえず「大きな声」と「恫喝」、「他人の意見を聞かない態度」には注意したいもの。
その種の輩がはびこる時はたいてい「非常時」だと思っていいのだということに尽きるのだが。
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「ある種の青春と現在」について

2014-12-21 01:55:34 | Weblog
くもり一時雨。傘が無駄になる。

磯前順一「ザ・タイガース 世界はぼくらを待っていた」を読む。

タイガースを知ったのは学生時代だったはず。
色付きの女でいてくれよ」「十年ロマンス」だったか。

前者は当時ダブルデートをしてなぜか居酒屋にあったカラオケで歌った記憶。
途中から上のパートをハモったら向こうの彼女から「どうして」と言われたり。

その後何度か同じようなことがあり
一度は「ジャンケン一気飲み」に引っかかって倒れたりもしたもの。

当時の彼女とは「事情」があって結局別れることに。
その後彼女の結婚式に急遽出ることになり彼女の友人から「何でいるの」と言われたことも。

「事情」については彼女に明らかにせずに終わり。
いやはや当時から「ヤクザ」でした。

内田裕也が関わっていたことは不勉強ながら初めて知った次第。
当時の「先端の香り」があったことは確かなよう。

「好きなもの」と「ビジネス」の間の葛藤がこの当時もあった模様。
youtubeにある中ではこれが好き。

後半の岸部一徳のノリが好ましい。
それにしてもジュリーの歌声の衰えの無さよ。

今宵もクインビー。

案外盛況だったがこちらが行く前まではそうでもなかったらしい。
マスターが「就職活動の厳しさ」をあれこれ。

うれしいような悲しいような。
ずっと通っていたい身としては微妙なところ。

ただランチは好調なようでとりあえずめでたい。
出来ればそうした方々に夜もおいで願いたいものではある。

さて。

そろそろ年の瀬。
ここ数年なぜか「年末の匂い」がしなくなった感じがある。

たまにはパーッとバカ騒ぎしないとと思いつつ
なかなか実行に移せない相変わらずの「腰の重さ」。

何かやらかしそうになったら
フォローしてくれる人募集中と言っておく。
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「暴力とお気楽さ」について

2014-12-20 01:39:48 | Weblog
晴れ。溶け残った雪がちらほら。

武田徹「暴力風景論」を読む。

「人は眼の前の『風景』を現実そのものと誤解して現実の世界に働きかけようとする」が
「同じ『風景』を見ていない他者」からすればそれは「暴力」になりかねない。

ゆえに「『風景』は『暴力』の源泉になる」という見立てのもと
著者はそうした『風景』を実際に見に行く。

米軍基地(沖縄)、あさま山荘(軽井沢)、田中角栄(新潟)、村上春樹(神戸)、宮勤(埼玉)、
オウム真理教(山梨)、酒鬼薔薇聖斗(神戸)、森ビルと加藤智大(東京)。

人はそれぞれ異なる『風景』を見ているという「当然」を忘れると
「共生」ができなくなると。

たとえば「原発推進」と「原発即時撤廃」の間を生きねばならない被災者たちがいて。
さらには被災者たちの中にも「分断」はあり。

何とも難しい問題だとはいえ
おそらくはこれが「われわれの生きる条件」ではある。

知恵を絞った挙句の泣き笑い。
どうにかそれくらいで収まればいいのだけれど。

「幼児虐待」や「介護疲れ」と同様に
少なくとも特定の『風景』を見ている人々を孤立させてはいけない。

「ごく普通の人々」がそれを「ごく普通」にできるには。
問題はそこにある。

「正義」をふりかざさずに「呑気」に進むこと。
あくまでお気楽に。

そしてひとりの喜びがみんなの喜びになるように。
それぞれがそれぞれに日々「精進」あるのみ。
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「窓際とデタラメ」について

2014-12-19 02:50:48 | Weblog
晴れ。雪が残る。

ドトールで久方ぶりの「ヒット」。

というか声がデカイので全部聞こえてしまったバンド話のせいで
「世界はデタラメ ランダム宇宙の科学と生活」の内容が頭に入らず。

新たに入った女子メンバーは技術的に下手。
それは仕方ないとしても彼女はどうも「努力不足」だと他の男子メンバーの目には映り。

そこへ彼女がメンバーのツッコミの「ノリ」に腹を立てた一件が重なって
どうやら「話し合いの場」が持たれた模様。

リーダーらしき若者は彼女が腹を立てた理由には理解を示すものの
彼女が「成長」しないせいでバンドとして十分に曲の練習も出来ずライブも出来ないと。

さらに自分は「和」を大事にしたいので男子メンバーの「ノリ」を尊重したい。
そうなると彼女にとってそれは苦痛になるだろうと続けて。

ならば彼女はこの「バンド」に合わないのだから別の道を探した方がいいと言う。
自分たちが彼女のことを嫌ってるわけではないと付け加えつつ。

何だか「窓際族」を追い詰めるようなやり口。
「ヘタだし気が合わないから辞めて」と言えばスッキリするのにと思った次第。

それと同時にわからないのはどうして「内輪話」を「公衆の面前」でするのかということ。
もっともこうして「ネタ」にはなったのだけれど。

「世界はデタラメ ランダム宇宙の科学と生活」を結局読了。

「科学ネタ」はたっぷりなので知らない人には楽しめるかも。
ただし「羅列」で終わった感じでいささか拍子抜け。

昔自分が大学の新入生相手にあれこれ話して「煙に巻いた」ことがあったのを思い出した。
肝心なのは「その先」であるにも関わらずといったところ。

やはり「何事か」を感じさせてくれる内容でないとつまらない。
「自らの器の小ささ」はとりあえず棚に上げておく。
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