退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「対処しにくい現実とそこから考えることあるいは『酷い現実』を放置しないこと」について

2018-08-03 02:10:36 | Weblog
晴れ。39度だとか。

片田珠美「拡大自殺 大量殺人・自爆テロ・無理心中」を読む。

内容が面白いかと言われると微妙。
貧困、病気、いじめ、人種差別、介護疲れなどさまざまな理由による「不全感」よ。

そこには「理解できるもの」もあれば「そうでないもの」もあり。
共通点はいずれも「最後のきっかけ」によって「暴発する」こと。

もっともそれは「後知恵」であって。
「長い孤独感」のもたらす業であることは間違いなさそうだけれど。

「包摂」が大事だとはいえ本当にそれができるかいうと何とも心許ない。
おそらく「現場に関わる人々」は「やるしかない」と思っているのだろう。

少なくとも彼ら彼女らをそこまで「追い詰めない」ために何ができるのか。
それらについて真剣に考え対処しない限り「この種のこと」は起き続けるはず。

今後もこうした人々が現れるのは確かで「予備軍」も少なくないと思われる。
「環境」がますます「悪化」する予想などもあり。

こういう場面でこそ「まともな専門家と現場の知恵」が求められる。
あらためて「この世はジャングルだ」と思うのみ。

その一方。

「学校」という「集団生活の無理強い」と「平均的能力を持つことの無理強い」よ。
すでに相当に破綻をきたしていることもあり。

「好きなものだけに接する環境」はもっとあっていい。
「普通」を「基準」とすることの「悪影響」について考え直すことも同様に。

「できないこと」をどうにかするより「できること」を生かすしかないもの。
その上で「多少の歪み」があっても今よりは十分にマシかも。

「こうでなければならない」という「思い込み」がもたらす害悪は
いたずらに特定の人々を追い込むだけで。

さて。

「明日死ぬかもしれない」のは実は「リアルな現実」。
ただしそれを真剣に考えると「狂いそう」なので「日常」にすがるだけ。

「特殊な『正しさ』」がまるで「未来」を「安定化」させるかのように。
ただしそれは「念仏を唱えること」と大した違いはないもの。

「未来が圧倒的に未知であること」を思えば
一見突飛であろうと「好きに生きればいい」だけだったり。

とはいえそれが実際に他人もしくは身近な人々に対して
「具体的な害=暴力」であればまた「別の話」にもなり。

巷では自民党の女性議員が「LGBTには『生産性』がない」と言ったニュースなど。
「税金の無駄遣い」という意味での「自らの生産性のなさ」には気付かないまま。

野党も含めてこうした「バカ者たち」がなぜ政治家でいられるのか。
有権者はきちんと考えた方がいい。

「酷い現実」を放置すればさらに悪くなるだけ。
本当に「安倍しかないのか」どうかについても。
コメント
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