退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「終わりと終わりないこと」について

2015-11-29 01:37:31 | Weblog
くもりのち晴れ。5時に空が暗くなる。

今宵もクインビー。

と書けるのもあと5回くらい。
できれば最終日の大晦日にお会いしましょう。

雑誌「BRIO」の取材が12年ぶりくらいにあった模様。
マスターは店を閉めることもあって紹介されるのを辞退したのだけれど。

客はおっさんとカップル2組のみ。
ニューボトルを入れて半分くらい飲む。

「ソウル」に特化したスタイルと「バー」が
今の状況を考えればあまりに「マニアック」で「経済的」にも微妙か。

とりあえず最後まで見届けて
久方ぶりに「狂う」かもしれない。

西澤哲「子ども虐待」を読む。

「子どもを親の都合で濫用する」という視点にふむふむ。
「abuse」という英語の核となる意味がそもそもそういうことで。

「安心」を与えられたい子どもがそうした場所あるいは人を与えられず
身体的、心理的に虐待される現実よ。

PTSDによる「フラッシュバック」は「意に反する侵入」で
「過去の辛い経験」を「物語」として反復できないせいだというのになるほど。

「6歳までの幼児期」に「性的虐待」を受けている「現実」が認められていない模様。
「虐待の基本」は「性的」であることより「支配」であることを忘れずに。

「落ち着ける場所」を手に入れられなかった親が
子どもを「ダシ」に「自分の思い通り」を遂げるという「不幸の連鎖」。

あらためて「自分の思い通りになること」への
人々の欲求の強さを確認した次第。

「戦争」でなくともかくも「暴力」は溢れている。
生物学上の男性として反省することしきり。
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「ことば遣いと大人の義務」について

2015-11-28 02:20:30 | Weblog
くもりときどき晴れ。夜気が冷たい。

小林千草「女ことばはどこへ消えたか?」を読む。

「三四郎」を中心とする夏目漱石の言葉遣いの分析にふむふむ。
さまざまな「語源」とその動きにも同様。

そういう言葉を使っていた女たちがいたことを忘れないでね。
著者の思いは重々伝わってくる。

ただし「現状分析」についてはいささか微妙。
サンプルがあまりに限られ過ぎているから。

社会学者の助けがあるとよかったかも。
もっとも「理解しようとする努力」については大いに納得しつつ。

ところで。

言葉そのものがどのように変化してもかまわないとして
気になるのはその「使用能力と理解力」。

いたずらに感情をささくれ立たせるものだけが流通するのではどうにも。
「まともな会話」が出来ないと。

ある種の「作法」を人々が身につける必要がありそう。
それと同時に「ぶっきらぼうさ」が「愛情」であったりすることへの理解も。

おそらくそのあたりについては
辛抱強くやっていくしかないのだろう。

「限りある人的資源」を最大限に活用して。
やはり「いいもの」に触れて「感染者」を増やすことか。

繰り返すが「貧しさ」については「圧倒的な豊かさ」で対処すること。
「大人」であればそのような「用意」がなければならない。
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「時代の流れと島国根性」について

2015-11-27 02:50:41 | Weblog
晴れ。やや風強し。

鴨下信一「昭和芸能史 傑物列伝」を読む。

敢えて「国民栄誉賞」を受けた6人のみについて。
美空ひばり、長谷川一夫、藤山一郎、渥美清、森繁久彌、森光子。

中でも出色なのは「美空ひばり なぜ『下品』と言われたのか」。

「文化国家」を目指した当時に「戦災孤児の記憶」を思い出させたこと。
彼女の「西欧的発声」がいかにも「日本的な詞」と合わなかったこと。

かつて興行に付きものだったヤクザとの付き合いに慣れ過ぎていたことが
彼らと「縁を切ろうとしていた」時代の流れと合わず。

ヤクザと付き合う弟たちを「管理」できない「家長」として責められたことなど。
「当時の空気」を知る人ならではの見解にふむふむ。

この「目からウロコ」は実に勉強になったので興味のある向きは是非。

その一方。

深夜NHKスペシャル「追跡 原発事故のゴミ」を観る。

そもそも「除染」に意味があるのかとあらためて思う。
汚染された土や草木を黒い袋に入れて積み上げるだけならば何もしなくても同じこと。

「除染」で人々の故郷が本当に安心して暮らせる場所になるならいいけれど
それは無理筋ではないのか。

もちろん「故郷を失う哀しみ」は計り知れないものであり
「従来の仕事」を失うのも同様。

ただしすべては「命あっての物種」。
涙を呑んで「帰還」を断念してもらい「新たな生活のための援助」を最大限にする。

それこそが「最優先事項」でなければならないのではないか。
何やら「壮大な徒労」が行われつつある気がするのだけれど。

下水処理場の微生物によって薄く広がっていた放射性物質が濃縮され
新たに「危険な放射性廃棄物」が生まれている事実もあり。

さらにはそれらの「中間貯蔵場所」あるいは「処分場」についても困難が付きまとい。
「NIMBY=自分の裏庭にはダメ」では済まされない模様。

「沖縄と自衛隊」に負担させていた問題が
こと「放射性廃棄物」に関してはあらゆる場所に起きているような。

「減容化」という技術によってゴミの体積は減らせるらしいものの。
これほどあらゆる「被害」をもたらす「発電方法」を続ける意味はどこにあるのだろう。

最後に気になったのは「汚染された牛」に「汚染された草」を与えている光景。
これって「濃縮」することになるんじゃないのか。

「クローズアップ現代」によればアメリカは「再生可能エネルギー」に舵を切ったよう。
その「外圧」がうまく作用してくれればいいのだが。

ここでも「わが国独自の磁場」が作用している。
「電力の小売り自由化」が「コストの安い石炭利用」を促していたり。

「地球温暖化」については全く考慮していないらしい。
それが「ホント」であろうと「ウソ」であろうと「世界の流れ」はそこにある。

「慰安婦問題」と同じ構図がここに。
この「島国根性」は全くやりきれない。

すべてまとめて「金太郎飴問題」としておく。
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「証明と森の防波堤あるいはメタリックであること」について

2015-11-26 02:54:47 | Weblog
『晴れ。風強く夜に冷える。

瀬山士郎「なっとくする数学の証明」を読む。

読書の時間が限られているせいもあって
何とか高校レベルまでついていくのが精いっぱい。

もっとじっくり付き合えればどうにかなるかも。
ただ実際にそうするかどうかは微妙。

少なくとも記号に慣れないと。
あとは証明の過程をきちんと追いかけること。

どうにも仕方のない「怠惰」よ。
いずれこのまま。

深夜NHKスペシャル「パリ 同時テロ事件の衝撃」を観る。』と書いてまた寝る。

くもりのち雨。深夜も降り続ける。

宮脇昭「増補新版 瓦礫を活かす森の防波堤」を読む。

震災直後に出版されたものに少し手を加えたもの。
内容はほぼ「叫び」だと言っていいほどシンプル。

今年87歳を迎えた著者の研究・実践を元にした提言を各地でさらに実行したい。
この活動に協力的な人々も少なくなさそう。

そもそも山林の多いわが国でなぜ林業が重視されないのか。
そして進まない「瓦礫処理」と「防災」の「一石二鳥」を見逃す手はないはず。

「潜在自然植生=土地本来の樹木を主木とした木々」による森を作るのがポイント。
「本物の森」にはあまり「人間の管理」が必要ないということも忘れずに。

深夜3Dアニメ版の「サンダーバード」を初めて観る。

正直に言って「薄い」。
オリジナルの手作りによるリアルさに比べるとどうにも。

キャラクターの表情も同様に「個性」を薄れさせている模様。
新キャラクターも登場させてはいるものの残念と言うよりない出来。

例えば好ましいのは「マイティ・ジャック」。
あるいは「謎の円盤UFO」。

英国人ジェリー・アンダーソンとわが国の円谷英二の「特撮」の味わいよ。
「メタリックであること」がこの種の作品の素敵さの根本であることを忘れてはならない。

如何せん「3Dアニメ」では線が柔らかすぎてどうにも。
「エッセンス」をきちんと知った上で「リメイク」しないと。

先日読んだ「映画術」で言えば
ヒッチコックの「サイコ」とガス・ヴァン・サントのそれとの違いとでも言おうか。

むしろいたずらな「リメイク」は「オリジナル」を傷つける。
それが「オリジナル」を知らない人々に対する「紹介」の意味を持つのだとしても。
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「素敵な教科書とある時期の昭和」について

2015-11-24 02:59:30 | Weblog
晴れ。夜に雨という予報がはずれる。

塩田明彦「映画術」を読む。

どうでもいい「セオリーの解説」ではなく
「素晴らしい実例」による指摘が何ともうれしい内容。

この講義を受けられた学生たちは幸せというよりない。
もちろん本作の読者も同様に。

成瀬巳喜男、溝口健二、サミュエル・フラー、アルフレッド・ヒッチコック、
ジョセフ・ロージー、デヴィッド・リンチ、クロード・シャブロル、

カール・ドライヤー、ジョルジュ・フランジュ、増村保造、ロベール・ブレッソン、
デヴィッド・グリフィス、小津安二郎、クリント・イーストウッド、古澤憲吾、

リュミエール兄弟、三隅研次、ロバート・アルドリッチ、ジョニー・トー、
チン・シウトン、フリッツ・ラング、ドゥッチオ・テッサリ、ジャック・ドゥミ、

加藤泰、山田洋次、森崎東、伊藤俊也、本多猪四郎、ジョン・カサヴェティス、
リチャード・フライシャー、サム・ペキンパー、オーソン・ウェルズ、

ロベルト・ロッセリーニ、神代辰巳。
あるいは黒沢清、ジャン・リュック・ゴダール。

以上の固有名詞については作品ともども知っておいた方がいい。
ちょいと書き落としもあるのでそれ以外の監督についてもよろしく。

いよいよきちんと作品を観なければという思いに駆られつつ
「生来の怠惰」がここでも顔を出す次第。

一番いけないのは著者の作品をひとつも観ていないことで
全く申し訳ない限りですみません。

もっともこうして平気で映画から離れることができるのだから
やはり「映画に愛されていない」のだと思うことしきり。

ところで。

中京テレビの「太田上田」で太田が森繁久彌のマネをしていたのだけれど
案外似てなくもないのにふむふむ。

ズンドコ節」に乗せて以下の台詞を言っていただきたいところ。

「学校帰りに森繁で~♪ ぼ~くに駆け寄り注意した~♪」
「あー、キミキミ、それはいけませんよいけませんなぁ」

そんな奴がいたら友だちになりたいもの。
まあいないと思うが。

「どうにも憎めない軽薄なキャラクター」というものを知るという意味で
社長漫遊記」のシリーズを是非。

「お流れを頂戴いたします」などという「風情」についても。
「高度経済成長期」をそうしたかたちで知るのもいいかも。
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「爆睡と歴史と現実」について

2015-11-23 02:07:48 | Weblog
『晴れ。今日もおだやか。

今宵もクインビー。

かけつけ三杯あたりで知り合いの夫婦が来る。
マスターの就職話はお預け。

わずかに残るボトルを空けてその後バーボン三杯。

なぜかいつもより酒が回る。
客は知り合いの夫婦のみだが楽しく話して帰宅。

楠原佑介「この地名が危ない」を古本屋で買って読む。』と書いて昨日は爆睡。

地名に残された「災害の爪痕」をしっかり覚えておこうと。
「歴史」についての「認識のあり方」についてあらためてふむふむ。

晴れ。またまたおだやか。

森炎・青島美幸「昭和に火をつけた男 青島幸男とその時代」を読む。

おそらく「年表」を見ながらだと思われる記述はいかにも「無味乾燥」。
「家族のあたたかさ」は感じられたものの。

晩年の植木等が言っていたように「お父さんに失礼」な内容。
残念ながら娘は「父親の姿」をきちんと「再現」できていないような。

当時の関係者が健在だったりするのだから
せめてその人たちの「証言」をもう少し取り入れてもらいたかったところ。

さて。

仕事関係で出かけたせいもあって「残念な叔母」と母親とで会食。
今日は以前と比べればまだマシだったか。

「残念ぶり」の「根の深さ」を思いつつ
「特定の環境」が人に与える影響の大きさについて考えさせられる。

帰宅後マル激を観る。

右も左も「沖縄の犠牲」によって成り立っていること。
さらにそこには現政権のあからさまな「差別感情」があるということ。

内地のマスコミが「選択の可能性」を国民に知らせていないことなど。
やはり「頭の悪さ」は「罪」なのだ。

そして自らの「どうでもいいもの」を「守る」ために
絶えずそれ以外の人々の「大切なもの」が奪われるという「構図」よ。

どうやら問題は「共通認識がどこにあるのか」というあたり。
いたずらな「価値判断」を下す前に「事実あるいは現実」を見据えたいもの。

見解の違いなどむしろどうでもよく。
ここでも「望ましい解決策」をいかに生み出すかという「健全な競争」がない。
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「楽しい道具とひとりでは生きられないこと」について

2015-11-21 02:17:56 | Weblog
晴れ。おだやか。

涌井良幸・涌井貞美「Excelでわかるベイズ統計入門」を読む。

実にわかりやすく書かれていてふむふむ。
ついつい二回通して読んでしまった次第。

これを使ったらあれこれ遊べそう。
その公式がA⋂Bという実にシンプルなルールから出来ているのに驚く。

「条件付き確率」の意味があらためてわかったような。
実際にエクセルでやってみようと思ったりもしたがそこはそれいつもの「怠惰」で。

「エッセンス」がわかってしまえばそれでいいか。
何度でも繰り返すがこの種の「リスク計算」を不可能にするのが原発。

こういう「教科書」が教科を問わずあればいいのにと思うことしきり。
もちろん素人ゆえ数式のややこしさはちょいとスルーして。

数式そのものを一度「セット」してしまえば
その煩雑さもなくなるというエクセルの便利さよ。

なるほどそうして円周率の計算も桁数を増やしているのだろう。
ただし人が暗算することによる「脳への刺激」は忘れたくないもの。

「最新結果」を繰り込んで確率を計算できる手段として
あらためて「ベイズ統計」というものの便利さを知る。

閑話休題。

相撲協会の北の湖理事長が死去。

数日前まで仕事をこなしていた模様。
現役時代は「圧倒的な強さ」で「悪役」を引き受けていたはず。

最期までそれを貫いた姿勢には感服。
久方ぶりに「男前な男子の生き方」を見た思いがする。

彼を支えたものが何だったのかが気になるところ。
とりわけ奥方の役割が。

ある種の「不自然さ」はどこかに「歪み」をもたらす。
そしてそこには必ずそれを甘んじて受け入れる人がいる。

もちろんそれが破綻するのもよくあること。
「人はひとりでは生きられない事実」を噛みしめておこう。
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「よくも悪くも『目からウロコ』が重要であること」について

2015-11-20 02:26:51 | Weblog
晴れ。おだやか。

下河辺美知子「グローバリゼーションと惑星的想像力」を読む。

著者は「人文学研究」の重要性を説くものの
この内容を思うといささか微妙。

ポール・ド・マンについての「紹介」にはふむふむ。
スピヴァクの「可能性」を広げようとするのもいいだろう。

その一方で。

マイケル・ジャクソン「スリラー」の映像分析はどうにも。
残念ながら「目からウロコ」がひとつもなく。

アメリカの「モンロー・ドクトリン」を言語的・精神分析的に解読するのはいいとして
そこから新たな「見識」が得られるのかどうか。

その他の文章についても同様。
いかにも「学者世界」を超えない感じで残念。

「研究者の対象の特殊性」が問題なのでは決してない。
そこから生まれるものに「魅力がない」のが問題なのだと言っておく。

こちらの「アンテナ」が錆びているせいなら幸い。
関係者の考えを聞きたいもの。

深夜錦織vsフェデラーの試合をちょいと観る。

ジョコヴィッチに勝てるフェデラーにまだ勝てないのはある意味「当然」。
「わずかな差」のように見えるその「一歩」に「大きな差」があるのだろう。

素人には「ボールの回転やスピードの凄さや圧力」はわからず
「こちらに打った方がいい」などという「浅墓さ」を超える「実際」があるはず。

NHKで「認知症革命」を観る。

「それまでの自分でなくていい」と当人が思うことが安心につながる。
その「条件」の中でいろんな人と付き合い仕事もしたりすることが重要。

周囲が「かつてのその人」と比べて怒ったりせず認めること。
「あるがまま」を受け入れること。

あるいは「誰かのために何かしたい」という思いをかなえること。
結局は「人と人とのつながり」が人を支えるという「事実」よ。

ある種の「障害」がむしろ人々を結びつけることになるなら
これはまさに「革命」と言っていい。

これこそが「目からウロコ」であり
従来の思い込みを一掃する好ましい爽やかさであることを知ろう。

いやはや。

日頃の自分の行いを思うと顔から火が出る思い。
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「豊かさの実例」について

2015-11-19 03:52:49 | Weblog
今宵もyoutubeだったり。

大貫妙子&坂本龍一「UTAU」の中からたまたま。

美貌の青空」の詞とメロディー、
ピアノのアレンジに酔う。

「調和」を破る「透明な積み木のぶつかり合い」のような「不協和音」が素敵。
不穏な低音で終わるラストはまるで「悲劇の映画」のよう。

あるいは「沈黙を舌で味わう」「禁じるいとおしさ」「可憐な喉笛」といった詞の味わい。

この「冷たい豊かさ」の野蛮と繊細。
こうした「ロック」があることを知ろう。

横尾忠則の本を読んだばかりのせいか「三島由紀夫」が思い出される。
敢えて「豊穣の海」だと言っておこう。

「夏」もしくは「真夏の楽園」というフレーズが
いかにも「冷たい」ピアノの音で彩られる「矛盾の妙」。

この世界の「圧倒的な豊かさ」が
できれば多くの人々に伝わりますように。

もうちょいと飲んで寝る。
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「言葉によって語られる言葉以外のもの」について

2015-11-19 02:40:02 | Weblog
雨。一日中。

横尾忠則「言葉を離れる」を読む。

読書も趣味のひとつにすぎないと思えば当然
無理矢理本を読む必要などない。

著者の特徴は「極度の一点集中」とそこから離れる「淡泊さ」。
言っていることはときどきオカルトチックだが何故か気になる存在。

面白いのは「言葉を離れる」というタイトルにもかかわらず
その様子を「言葉で表すしかないこと」。

昭和十一年(1936年)生まれで今年79になる模様。
淡々とした語り口に宿命あるいは運命の「ロマンチックさ」が薄れる印象。

「人との出会い」が決定的であることにあらためてふむふむ。
かくして「寿命」が尽きるまで「物語」は続く。

「才能は人を引き寄せる」。
それ以上の「理屈」をこねるのは虚しい。

かろうじて著者に「匹敵」できるかもと思えるのは
大した事故も病気もなく「人生を安楽に生きてきた事実」のみ。

とりあえず「好きなこと」を確保しつつ生活できていること。
もちろんそれが「一番ありがたいこと」で。

それぞれの人生は「実験」なのだから好きにすればいいし
そこからの「報告」が魅力的であればさらに言うことなし。

「ご縁」があれば「こんにちは」。
なければ「さようなら」。

とりわけ意識などしなくとも
「人の限界」が自動的にそれらを決めるわけで。

もうちょいとゴソゴソして寝ることにする。
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