退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ある次元」について

2012-02-28 03:33:50 | Weblog
晴れ。風に冷たさが戻る。

佐藤優「国家論 日本社会をどう強化するか」を読む。

「知的刺激」に満ちた内容で久方ぶりに満腹。
柄谷行人と対談したら面白そうだけれどもうしたのかどうか。

「宗教」は「古くてよくない手段」だとしつつ
敢えてそれを用いる「覚悟」のカール・バルトに興味津々。

「民主主義」は決して「望ましい制度」ではないものの
それを利用するよりないという「態度」に似ている。

「信じる」という「飛躍」をするのはすべて「宗教」だというのも明快。
ただしわれわれはどこかでそれをせざるを得ない存在でもある。

「矛盾を生きること」が本当の「生きること」だったり。
ちまちました「壁」に悩むくらいなら「途方もない壁」に向かって進もう。

いたずらな「現実」に流されるより
「不可能な理想」を胸に抱いて「智恵」を絞るのが好ましい。

そうした者たちに「世界あるいは神」が微笑む。
そういう「次元」があることを知っておくのも悪くないだろう。

いやはや爽快なことこの上ない。
「真摯に考える」という「当然」が生んだ素敵な作品。

スターリンの「人物像」も従来とは全く異なっていて
「いいところ」も「悪いところ」も指摘してあるのが新鮮。

5年前のクリスマスに出ていて結構売れた模様。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉が「物語」としての「核」のよう。

これが「知性」だ、ここで飛べ。
などとあられもないことを言っておく。
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「足」と「不器用さ」について

2012-02-27 04:33:41 | Weblog
晴れ。夜に冷える。

図書館へ行った足で夕方妹夫婦の家へ行く。
足の骨を折った母親を風呂に入れる「行事」に付き合う。

実家の浴槽は正方形でやや深いタイプ。
ただし本人はゆったり浸かれるユニットバスはどうも苦手だというのだけれど。

松葉杖の使い方がいかにも「力業」。
いたずらに力むせいか疲れを訴えることしばしば。

「手を棒にする」という理屈を実感できないらしい。
息子の不器用さを指摘する「資格」があるのかどうか。

その後外に出かけて久方ぶりにきしめんを食べる。
まずくはないもののうまいかと言われると微妙。

車で送ってもらい帰宅。
あっという間に一日が終わる。

倉田真由美「ほやじ日記」を読む。

「ほやじ」とは「惚れる気になるおやじ」のこと。
「だめんず」を「卒業する」とそういうことになる模様。

かつての「真面目な優等生」が
あれこれあった挙句「そこ」にたどり着いた、ということにしておく。

「目の付け所」は面白いもののどうやら「男の趣味」が「マニア」。
「おともだち」としては楽しそうだが「恋人」となると難しいかも。

もっとも向こうから「願い下げ」だと言われる予想もつくので
そのあたりは「お互い様」。

楽しい会話が「前戯のようなもの」だというのは言い得て妙。
ただしそこには「身体から付き合い始める」という「想定」が抜けている。

著者の「惚れる」は「好ましい」という言葉に置き換えた方がわかりやすい。
本書も「観察日記」だとして読めば納得の出来。
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「ある妄想」について

2012-02-26 06:17:40 | Weblog
久方ぶりにyoutubeをちょいと。

ラテンの世界は圧倒的な「男尊女卑」だという妄想が膨らみ。

「同族」であろうとなかろうと男たちは口笛を吹いて女たちを品定めし
その「屈辱あるいは誘い」に女たちは「地団駄踏む」という「抵抗のような誘惑」でフラメンコを踊る。

そもそもが「植民地であること」への「抵抗」に始まり
「征服者」に対する自らの「尊厳」を示すものとなり。

彼ら彼女らの声に問答無用な「郷愁」があるのは
「祖国を奪われた哀しみ」だとして。

いわゆる「普通の生活」を支えているのは常に女で
それがなければ偉そうな男どもの「毎日」もありはしない。

どどんどんどん。
女たちは床を踏みしめる。

ある者はスープに「毒」を加え
またある者はいかにも彼らの「欲求」に従うフリをして。

とりあえずの「仲間」なら誰でもよい。
ただし「心から許せる相手」は数少なく。

さまざまな男たちと交わりつつ子どもを愛し。

そうしてあらゆる「子ども=男」を「マザコン」にすることで
彼女たちの「復讐」は完成する。

ママ。

死の床にある男たちのつぶやきに彼女たちは莞爾と微笑むのだ。

というわけで。
こんな「物語」はいかが。
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「空気」あるいは「前提」」について

2012-02-26 04:47:50 | Weblog
晴れ。おだやか。

仕事場で研修の後なんとなくみんなで出かけようかという雰囲気を感じたものの
誰もはっきりそう言わないのでそそくさと帰ることにする。

「メシ食いにあるいは飲みに行きましょう」という「ひと言」が出ないのはなぜか。
仕事場の若い同僚たちは誰も「リーダー」になりたがらない傾向があるようには思われるけれど。

個人的には表面上おだやかに見えて案外「いらち」。
何事かを終えての「ぐだぐだ」や飲み会その他の移動はさっさとすませたいタイプ。

自分が先導すればみんながついてくることは重々承知の上。
敢えて若い同僚たちに任せてみた結果そうなったということで。

もちろん「みんなの意見を聞くこと」は「正しい」が
誰にとっても100%納得できることが出来ようもないのは「自明」。

ならば誰かが「先頭」に立って
「リーダーがそう言うなら仕方がない」と思わせる「人格もしくは技量」があるかどうかが重要なはずで。

その「単純」が理解できないと
いたずらに「独裁」という言葉が浮き上がってきたりもする。

とりあえずわが国が遠からず「衰退する」ことだけは確実で
その上でどうするかということ。

おそらくそれなりに「資産もしくは能力のある個人」は適当に安楽に暮すだろう。
そうでない個人は「圧倒的な貧困」に甘んじることになる。

それが「好ましいこと」でないのは事実だとして
あなたはどうする?

繰り返すが地球にとって人類は「有害」であるという「視点」もありつつ。
そういえば「山川草木」や「鳥獣虫魚」は何も言わない。

いわゆる「人間らしさ」がそもそも無条件に「好ましい」かどうかは
実はよくわからなかったりする。
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「廃墟」について

2012-02-25 04:26:16 | Weblog
晴れ。昼にはコートだと汗ばむ。

ジュディス・バトラー「生のあやうさ」を読む。

「左翼」というのは結局「弱い者」に反応しやすいものらしい。
「朝生」を観つつあらためてそう思う。

著者の「現在の状況や判断を生み出す『前提』は何か」という問いは
いわゆる「知的誠実さ」と呼ぶべきもの。

「非常事態」において国家の「主権」があいまいになり
「安全」を目指す「統治」のために「行政官僚」が行うことが「権力」になるという指摘になるほど。

具体的には9・11後のアメリカが「テロとの戦い」という「非常事態宣言」をして
「法」の制限を受けないグアンタナモで「罪状」も明らかでない人々を「無期限拘束」したということ。

世界貿易センタービルの崩壊以降
問答無用にアラブ系を始めとする一定の人々が「テロリスト」という疑いをかけられるのが「常識」になり。

山本七平「空気の研究」はアメリカでも当てはまる模様。
「どう考えてもおかしなこと」が「日常」になって。

さて。

わが国はあと十年もすれば「非常事態」に陥るという説も。
そこでどんな「異常」が「日常」になるのかについては気をつけたいもの。

「サバイバル」が文字通り「生き残り競争」であることくらいは誰もが「知っている」。
とはいえそれが「現実」となった時にわれわれはどう対応するのか。

「身の回りの幸せ」と「思想としての幸せ」の間で
おそらく人々はさまようことになるだろうという予想は簡単につく。

「廃墟」でいかに生きるかについて。
そろそろあのあたりを考えておくべきなのかもしれない。
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「繰り返すこと波のごとし」ということについて

2012-02-23 02:54:28 | Weblog
晴れのち雨。傘を忘れるが実害なし。

若い女子が「旅立つ」ことになる。

彼女はいわゆる「女の子らしさ」とは別な魅力のあるタイプ。
結構長い付き合いでそれなりに「成長ぶり」を見てきたつもり。

「どうせ褒めないでしょ」という感想は正しく
別れ際に「あっさりしすぎ」と言われる。

何度となく「叱咤激励」というか
「とにかくしっかりしろ」という類いの声をかけたことが多かったかも。

仕方がないので同僚と一緒に腕で「アーチ」を作ってくぐらせる。
さすがに少し照れながら去っていった。

武道にたしなみのある彼女。
「実力」をつけてできればそれなりの「大人」になっていただきたい。

そしてこちらと触れ合ったことが何らかの役に立ってくれれば幸せ。
もっとも「反面教師」になりやすいだろうとは思いつつ。

彼女が目指している仕事は「激務」なので
心身ともに「健全」なまま暮してくれと祈るのみ。

さて。

本は読んでいるけれどあまり面白くなく
「報告」すべきこともなし。

ちょいと「選択」を誤ったか。
今度の日曜の図書館では心して選ばなければ。

それなりの「アンテナ」と「勘」は持っているつもりではあれど
如何せん「風まかせ」なので心許ないかぎり。

とりあえず何事もない一日が過ぎて
目が覚めれば同じことをひたすらに。
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「味わい」について

2012-02-20 05:02:28 | Weblog
晴れ。おだやかだが冷える。

夕食の買い物に外に出た以外ひきこもり。
タバコを買い忘れて自転車を走らせる。

久方ぶりに洗い物を片付ける。
かつての「バイトの成果」が今頃出ることに。

どちらかというと「片付ける」方が好きなのは
おそらく「料理の腕前」がそれほどでもないせいか。

「味わう」ことについてはそこそこのつもりだけれど
その「基準」がたいてい「飲んだ後」のことなので「保証」はしかねる。

今宵はとりあえずおいしく頂いたので文句はなし。
ただし生姜や辛子などなぜか「刺激的」なものが多かった。

繰り返すが「食事の内容」はほぼどうでもよく。
たまに本気で「おいしいもの」を食べたくなる程度。

いっそ「生きるための最低限」があればそれで結構。
料理を作る人には「無礼」なようですまん。

人と人が「交わる」過程には「摩擦」があるのは当然。
そこをすっ飛ばしていかにも「幸福な姿」をすぐにも手に入れようとするのは無理な話。

「食べること」が「吸収すること」だとするなら
「きちんと消化すること」が「礼儀」だとは知りつつ。

ついつい「つまみ食い」に終わるのは「怠惰」のなせる業。
その「事実」を知った上でのことならむしろ「非難」してしかるべき。

「そいういうことか」と「納得」できればオーケーなことはわかる。
そこに「真実=本当」があれば幸い。

「正解」が求められるのは
「誤解」があまりにありふれすぎたせい。

とはいえ人は「そこ」を生きるよりない。
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「逆から見ること」について」

2012-02-19 04:13:41 | Weblog
晴れ。夜に冷える。

小田亮「利他学」を途中まで読む。

著者はどうやら「ネット評判社会」の山岸俊男とつながりがあるようで
以前読んだ実験の話などが出てくる。

ただ実験につぐ実験という印象で
その結果に対する肝心な「解釈」があまりきちんとしていない模様。

実験の「マイナス要素」について敢えて触れてはいるものの
もう少しまとまった結論らしきものがある方が好ましい。

もっとも「中間報告」だと思えばそれも可で
なるほどこうして「考えていくスタイル」というのもあるのかと思う。

深夜にTVで「アンドリュー」(’99)をながら再見。
原作はアイザック・アシモフで原題を訳せば「二世紀を生きた男」。

人間に仕えるだけのロボットが主人の教えによって「進化」し
やがては「人間」として認められ愛し死ぬことを望む物語。

ロボットが何かの拍子に「人間であること」に目覚めることで
いわゆる「人間らしさ」が逆に「浮き彫り」になるところがポイント。

ここではそれが「笑い」を中心に描かれていて
主役にロビン・ウィリアムズを持ってきたのも「当然」。

ある種の「好ましい夫婦のかたち」もあり
そこに「じゃじゃ馬」が「立派な看護師」になっているという「オチ」も絡んで。

「逆の視点から見る」と今までとは違ったものが見えるかもということを覚えておこう。
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「ある考え方」について

2012-02-18 04:28:48 | Weblog
晴れ。くもりに近い。

「ガイアの復讐」読了。

ラブロックが原子力にこだわる理由はどうやら
「温暖化」をどうにかするための「つなぎ」としてこれしかないと思い定めたせいのよう。

とてつもない「気候変動」によって死ぬはずの人々の数と比べたら
ガンで「寿命が縮まる」くらいどうってことはないだろうという「視点」。

そもそも増えすぎた人類が「地球=ガイア」にとっては
むしろ「有害」だという考えにはうなずくけれど。

ただしここではひょっとしたら「数の論理」が優先されていて
「ひとりひとりの歴史」は無視されているかも。

大人でなく子どもたちが死んでゆく姿を見るのは切ないので
敢えて「子どもを作らない」という決断をする選択もあり。

個人的には「他人の子どもたち」で十分。
今のところ作る予定も機会もなし。

「少子高齢化」が実は「悪くない」という考えもあっていいだろう。
「人口問題」からすれば「減ること」は好ましいわけで。

「非人間的な発想」だと思いはするものの
「人間」を「生かす」にはその方がいいのかもしれない。

「長生き」は「めでたいこと」であると同時に「やっかいなこと」でもある。
なぜなら「めでたい」と思える「形」が限られているから。

さて。

どのような「物語」を選ぶかはそれぞれの「自由」。
基本的には「生れてすみません」ぐらいが適当かと思いつつ。
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「清濁合わせ飲むこと」について

2012-02-17 04:21:27 | Weblog
くもりのち晴れ。夜に少し冷える。

ジェームズ・ラブロック「ガイアの復讐」を少し読む。

ガイア理論」を提唱したものの
長年科学者の世界で受け入れられなかった著者の作品。

あれこれ興味深い記述はあるとはいえ
エネルギーとして原子力を勧めているのがやや疑問なところ。

彼は東北大震災による原発の被害をどう捉えているのだろう。
チェルノブイリに対する評価も低すぎる気がするけれど。

もちろん少し前の作品ではある。
ただし「チェルノブイリ以降」であることは確か。

今のところ「なぜそう思うのか」という理由はこちらの疑問に答えてくれるものではなく。
子どもたちの甲状腺ガンあるいはそれに類する被害は「科学的に正しく」ないのか。

「内部被曝」についても述べられていず
「反原子力=科学的に無知」という「決めつけ」があるのが残念。

仮にそれが正しいとするなら
素人にもわかりやすい「説明」がほしいのだが。

おそらく「どこまでもいたずらに平行線」であったはずの
「原子力利用」に関する賛成・反対の「二者択一」が「現実」を見失わせたのだろうという解釈で。

とりあえず最後まで読んでから「結論」することにする。
ひとりの人間に「文句のない『正しさ』」を見出そうとは思わないし思えない。

互いに「チェック」しながら
「どうやら正しい方向」を目指すしかないことはわかっているから。
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