退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「連休初日」について

2018-11-30 01:37:43 | Weblog
快晴。空気が冷たく。

山下洋輔・香取良彦著「山下洋輔のジャズの掟」を読む。

ジャズについては詳しくなくほんの少し聴いているのみ。
なぜか山下洋輔のエッセイはあれこれ読んだことがある。

5拍子を「おかちまち」で取るというのが懐かしい(「テイク・ファイブ」)。
コードやモードが「言葉遣い」だというのにふむふむ。

「理論」を知らなくてもできることと同時に
「理論」があるからこそできることも。

「ブルーノート」は文字通り「暗い音」。
病気療養している時に山下洋輔がそれについて研究発表したものでもある。

クラリネットなど買ってちょいと吹いたことがあるのは
小学生当時にリコーダーが楽しかったから。

そのクラリネットも引っ越し時に紛失。
残念ながら今後楽器に触れることはなさそうな。

ギターをジャカジャカしたりエレクトーンを弾いてみたりしたのも遠い昔。
現在はyoutubeであれこれ聴くのを楽しむだけ。

いずれも一定の技術を獲得するには至らず。
「楽しかったリコーダー」が一番マシだったかも。

古本屋で高橋秀実「弱くても勝てます 開成高校野球部のセオリー」を買って読む。

この著者の作品には「ハズレ」がないのが凄い。
今回も十分に楽しませて頂いた次第。

たまたまお勉強ができてしまった一方で運動能力に圧倒的に欠ける高校生たち。
監督の「理屈」も生徒の「理屈」も奇妙で面白い。

「技術で勝てないのだから勢いで大量点を取れ」とか
「エラーするのは当たり前」だとか。

「ストライクを取れないのは相手に失礼」だというピッチャーも登場。
「できないこと」に対しての「分析」はいいとして案外「やる気」もなく。

むしろ「本番」を意識しすぎると「調子が出ない」ことも。
そうした条件の中で「試合に勝つこと」より「自分たちらしくあること」が優先され。

それでも「実力」に勝る相手に勝つことがあったり。
相手はおそらく「異次元」に引きこまれてとまどうせいだとは思われるものの。

何だかこの感じは悪くない。
本作を映画にしてみてはどうかなどと。

「運動能力に優れた者」あるいは「献身的な努力」に慣れてしまっているわれわれには
結構刺激的な内容だと思われるので是非。

「解説」で桑田真澄が書いていることも意外。
かの名投手が特定のコーチから投げ方を否定されていたりした事実よ。

外野手にされてようやく別のコーチに見出されたあたりは
ピッチャーではないけれどイチローのエピソードも思い出させて。

「指導者のレベル」がどうやら相当に影響する模様。
それは吹奏楽でも同じことだという指摘が「ジャズの掟」にもあったことを忘れずに。
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「新しい職人のかたちと暮らしあるいは好ましい交わりと地域の未来」について

2018-11-29 02:14:38 | Weblog
くもりのち雨。遅くなって止む。

田中浩也・門田和雄編著「FABに何が可能か」を読む。

「FAB」とは「fabrication=製造の略語」で
ここでは「個人でいろんなものをつくること」。

「ファブラボ」というかたちで人々が集まって
「learn・make・share」を基本にさまざまな活動をしたりもする模様。

3Dプリンターやレーザーカッターを代表とする道具の発達によって
従来では難しかったものを個人であれこれ作れるようになったらしい。

「多品種少量生産」で「オーダーメイド」が可能。
世界中を旅しながらそこで何かを作って暮らしている「ノマド=遊牧民」もいたり。

地域密着で作り方を教えてくれるワークショップや
「職人たちの作ったもの」を集めたネットショップも。

この新たな「コミュニケーションぶり」はなかなかに楽しそう。
うまく続いてくれることを祈るのみ。

「思いがけない出会い」によって異なる分野が混ざり合うのがいい感じ。
あとはこうした活動で「生活が成り立つ現実」が増えれば。

「工業高校の見直し」についても同様。
確実に「技術」を身につければそこそこ楽しい暮らしが待っていれば幸い。

各商品の値段がいささか「高い」ように思えもしなくはないが
それが「好ましいもの」であれば気にならないはず。

その種の「暮らし」を応援する部分を考えれば。
アイドルやキャバクラやホストもいいけどこっちもねといった趣き。

何より数多くの「職人たち」が生まれるのはいいこと。
彼ら彼女らには必ず「職業倫理」があるはずだから。

「さらにいいものを」という向上心を伴うことになるのもグッド。
「好ましい循環」がどんどん作り出されるといいなあ。

その一方。

「資源としての人のマッチング」がどうやらポイントか。
まずは「資源の在り様」を確実に把握することから始めて。

何をどう組み合わせるのかというコーディネーターの存在がカギかも。
音楽で言えばDJの役割。

「ものづくり」だけでなく「ものがたり」も同時に。
商品が多すぎると購買者の選択の意欲が薄れることも忘れずに。

仕事の種類を問わずとりあえずもっと「交わること」。
そうなれば「相互の応援」も可能になるわけで。

そこからまた「新たな出会い」が生まれるきっかけがさらに生まれ。
「各地のいいもの」を出来る限り結び付けることが重要。

メディアとしてはネットだけでなく雑誌くらいが「適正規模」になる。
何より「大儲け」しなくていいのを「前提」として。

そうしたネットワークが出来るといいと思うことしきり。
もちろんそこには「国際競争」などなく。

それぞれの地域が「持続可能」になることを最優先だとして。
「好ましい未来の姿」を是非。
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「またまたまた寝ること」について

2018-11-28 01:25:14 | Weblog
『晴れ。日差しで背中が熱いほど。

「食育」に関する本を読んでみたのだけれど。

「昔の左翼の悪い面満載」といった趣きで
内容の割りに長いしところどころ意味不明だしで飛ばし読む。

こうした内容でも本になるのねといった感じ。
まあ「印刷可能」なら本にはなるわけではあり。

久方ぶりに「どうしようもないもの」に出会ったという印象。
その後喫茶店で「文春」「週プレ」でちょいと「口直し」などした次第。

ちなみに個人的にはずいぶん前から「一日二食」の生活。
毎日酒もタバコもやっていながら今のところ何もなし。

あくまで「今のところ」なのでやがてどうなるのかは不明。
まあこれも「実験」ということで。

元々健康にはあまり興味がなく「身体の反応」にまかせるのみ。
どうにか「不健康でいられるほどの健康」は維持できている模様。

深夜アニメ「ウチのメイドがウザすぎる!」をながら観る。

その後に「バキ」「東京喰種トーキョーグール:re」「おそ松さん」というラインナップ。
これはなかなかに「豪華」なような。

ただし一度も全部見通したことはなく。
おそらくアニメファンは録画して観ているのだろう。

そこまでの興味はないのですまん。
「話のネタ」としての「仕込み」だと思って頂いて結構。

たいていの場合そうこうしているうちに爆睡。
適当に酒が回っての挙句に。

PCやTVが点けっぱなしになっていることもあり。
もっとも「眠ろうとする意識」なく眠れるのはむしろ幸せか。』でまたまた寝る。

いやはや。
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「参考にすべき情報あるいはあらためて『中庸』が大事なこと」について

2018-11-27 03:20:08 | Weblog
晴れ。寒さは緩む。

橘玲「朝日ぎらい」を読む。

「世界は右傾化しているのではなくリベラル化している」というのにふむふむ。
どうやら「国際舞台=リベラル」で「国内=右傾化」ということらしい。

わが国の「『リベラル』の欺瞞」とは結局
「既得権維持」のために「差別していること」だと。

例えば「正社員=中高年保護」や「女性差別解消への無策」
あるいは「記者クラブによる情報特権の維持」など。

自分の会社で「差別解消」をしないままそれを訴えても説得力がない一方で
「安倍政権」に自分たちの主張する「政策」を先んじて行なわれてしまったとも。

「急速な知識社会化」はそこから「置いて行かれる人々」を生み出し。
彼らが唯一頼りにするのが「アイデンティティー=○○人であること」。

そこを脅かされると「激烈な反応」を示し。
なるほど「ネトウヨ」とはそうした存在だったのかと思うことしきり。

「手当て」をしないと「症状」は増すばかり。
彼らに「安楽な暮らし」ができる環境を作らないとどうにも。

本書にはその他にも興味深い内容がある。
後半になってやたら「アメリカ式の実験」ばかりが出てくるのがやや微妙か。

とはいえ「参考意見」としては十分。
あれこれ議論する場合にはそこに参加すべき人物だと思われる。

それとは別に。

「ベーシックインカム」についての考えを変える。
思えばその導入はかつての「ソ連」かも。

「退屈」のあまり「よからぬこと」をする人々が増えるだろう。
もしくは「ひたすら怠惰な人々」の登場も予想され。

「過剰な安楽さ」は「不健全」を生むのみ。
やはり適度に働いてそこそこ楽しい暮らしを維持できる「体制」が重要。

「テクノロジーへの依存=AIによる管理」も同様に。
そこにはむしろある種の人間たちへの「差別感情」があるように思えてならず。

いずれにせよ「中庸」が大事。
一方に舵を切りすぎれば必ず「反動」は起きるのだから。

繰り返せば「自分の脳の判断力」などたかが知れている。
出来ればもっといろんな人々との「お付き合い」をしたいものではある。

「いい悪い」を判断する前に
「へぇー、そんな風に思うのね」という「寛容さ」をどうにか。

まるで自分に言い聞かせるように。
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「女子の複雑さと母親が息子に女子の在り様を教えない謎あるいは大切な『チェック』」について

2018-11-26 02:30:25 | Weblog
晴れ。寒さはまだそれほどでもなく。

酒井順子「男尊女子」を読む。

自分が育ってきた「時代や環境の制約」についてあらためて思うことしきり。
どうやらそこから「逃れること」は出来ない模様。

それを「矛盾」だとして受け止める著者の姿勢にはうなずくのみ。
自分を振り返れば「頭はリベラルだが生活は昭和」といった感じ。

時には「差別意識」をむき出しにする母親にあれこれ頼っているんだもの。
その「事実」は誤魔化さずにおきたい。

飲み会ではついついお金を出してしまうタイプ。
下心はないのでよろしく。

「正しさ」より「グレーゾーン」が現実を支えていることを忘れずに。
どうにか「お互い様」で収まれば幸い。

できれば「自分にとっての当然」が
相手から見ればいかに「不自然なもの」に映るのかを知っておきたい。

ただし「女子が敢えてバカを演じること」を
いつまでも「有効」だとしている環境については微妙。

せっかくの「能力」を活かさないのはもったいない。

相手が喜ぶから進んでフェラチオをしていたお嬢様の話に笑う。
その一方で「女子の性欲」を認めない男子の何と多いこと。

このあたりは若い世代におまかせするのみ。
どんなかたちであれ「楽しいお付き合い」をと願うのみ。

「専業主婦」がまるで「意識低い系」のように思われた時代から
それがむしろ「豊かさの象徴」になった時代の変遷を知ろう。

「流行」というものの「怖ろしさ」よ。
とりあえず時代や状況によって「望まれるかたち」が変わるのは確かなだけ。

ただし。

繰り返すが「母親が息子に女子の在り様」を教えないのはなぜなのだろう。
それだけであれこれの問題が解決するように思われるのだけれど。

「男を立てる世代」のせいなのか。
あるいは「親子」の関係に「男女関係」を持ち込まないせいなのか。

いずれにせよ互いに「取扱説明書」はあった方がいいかも。
「契約」という観念に乏しいわが国では難しいのかなどと。

いずれ「おっさんの戯言」なので
そんな「杞憂」など関係ない現実も進行中だとは思われるものの。

マル激をまとめて観る。

本編のテーマは北方領土。
プーチンと安倍の思惑が交錯する一方。

「一緒に楽しく暮らそう」というシンプルはダメらしい。
「領土問題」に「国際結婚」という選択はない模様。

「外交問題」というだけで「開示可能なはずの情報」が黒塗りされる事実も。
その能力が低いことも「他国に現実を知らせること」になるという皮肉。

裁判所も検証しようがないことに判決が下る「意味不明さ」よ。
あまりに「チェック機能」について鈍感すぎるだけ。

「正しいもしくはまともなことをしている」という判断を下すのは「自分」。
とはいえそれが「正しい」かどうかが不明だからこそ「チェック」が必要になるわけで。

この「当然」が失われて久しい。
「自分の思い」がいたずらに優先されて。

普段身近な人々に敢えて言うのは「思いなどどうでもいい」ということ。
もちろん「笑い」を含めているのでご安心を。

「望ましい結果」を求めるのならもっと「具体的な努力」を。
それなしに何かがどうにかなるわけもなく。

「ワンチャン=奇跡」など起こりようもない。
せめてこの程度の認識を「常識」だとしていただきたい。

「お祈り」で現実がどうにかなると思う向きには「好きにしなはれ」。
「占い」で自分を駆り立てるくらいなら可愛いけれど。
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「好ましいウニョウニョ感と何度でもボケることあるいはガチンコのない世界と職業倫理」について

2018-11-25 02:33:26 | Weblog
晴れ。冷えは緩む。

「鷗外歴史文學集 第八巻」読了。

とりあえずどこまで行くのか跡を辿るのみ。
この「ウニョウニョ感」は妙に癖になるかも。

あちこちに触手が伸びるといった趣きゆえ。

老舗バーへ行ったところ。

「23日から26日まで休みます」という貼り紙が。
そうか金曜は祝日だったかと思い至る。

このパターンは従来休みになっていたので今回はこちらの「落ち度」。
普段から「休日感覚」がないのでこんなことになった次第。

マスターからのメールがないのにもふむふむ。
このところ「ボケること」夥しい。

というわけで久方ぶりに「ココイチ」で夕食など。
普通のカツカレーを頼んだら思いがけず満腹になりしばし思考停止状態に。

それがイヤなので満腹を避けているのにもかかわらず。
ここでも「失態」は続き。

帰宅後先週分のマル激を観る。

今回は「なぜ国会がつまらないのか」がテーマ。
簡潔に言えば「ガチンコの議論」がないから。

事前に質問が政府側に提供され官僚による「模範答弁」が作られれば「当然の結果」。
「政治家の力量」は問われぬまま。

これが現在のわが国における「記者会見」と同じパターンであることを忘れずに。
本来は「チェックする」という意味において「ガチンコ」でなければならないのに。

選挙における「供託金」が「新規参入」を阻んでいることも。
「地盤看板」を確保している「家柄」が有利になるわけで。

野党が「本物の実力のある人物」を当選させて
各委員会で官僚のごまかしを打ち破る「現実」を作ればという指摘に納得。

すぐにでもできることなので野党にはその実行を望む。
その議論は必ず「白熱する」ので国民も関心を抱きやすくなるメリットがあるので。

とはいえマスコミは「調査報道」より「報告報道」が中心に。
情報源が出したものを垂れ流すだけではどうしようもなく。

それぞれの「職業倫理」は何処へ。
「まともな仕事」が出来ないならその職に就くべきではないはず。

おそらくこの種のことが各地で現実に。
「適材適所」の意味をあらためて思い出したいもの。
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「まだまだ続く物語と原因不明の眠気あるいは『ちょいとピンボケであること』」について

2018-11-24 02:25:21 | Weblog
晴れ。夜に冷える。

「鷗外歴史文學集 第八巻」を読み始める。

「伊沢蘭軒」は主人公の死後に息子やその周辺にまで話が続く。
まったくどこまで行くのやら。

それよりも。

今日は睡眠不足でもないはずなのに仕事場で眠くなる。
まだ疲れているのだろうか。

さすがに「身体にまかせる」わけにもいかず。
どうにかやり過ごす。

もちろん徐々に体力が失われていくのは当然。
「坂道の下り方」に気を付けなければ。

学生時代から「生活の在り様」に全く変化がないのでついつい。
先週はマル激を観るのも忘れたし。

まあ元々「隠居志望」なので悪くはない。
ようやくそれが「現実」になりつつあるだけ。

「ちょっとピンボケ」といったあたりか。
キャパに敬意を表して「インチキ」も少々混ぜたりとか。

さて。

もう少しゴソゴソして寝る予定。
ひょっとしてそれがいけないのかも。

とりあえず「日常」に影響がなければ大丈夫なはず。
明日は久方ぶりの老舗バーになる予定。

もっともそれもマスター次第ではあるけれど。
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「脇役あっての主役あるいは強引さがむしろ『現実的』なのかもしれないドラマ」について

2018-11-23 02:14:28 | Weblog
『晴れ。やや風が吹く。

野口武彦「幕末明治 不平士族ものがたり」を読む。

歴史の「表舞台」には出て来ない人々についてのあれこれ。
こうした「脇役」がいるからこそ輝く歴史の姿よ。

「普請中=作りかけ」だった明治ゆえ思いはさまざまに。
「国事犯=国の秩序を乱す者」はむしろ「英雄的」でもあり。

それにしても。

この種の人々の「革命」の計画性の無さには驚くばかり。
わが国の「幼児性」をあらためて。

「可愛い」のは「本物の幼児」だけで結構。
「純粋さ」には惹かれないでもない一方。

その結末はどうにもグダグダになりがち。
現代のわれわれはその点を意識したいもの。

それとは別に。

ドラマ「ブラックスキャンダル」を観る。

松井玲奈が「人のエグさ」を「ホラー並み」に熱演しているのにふむふむ。
ただしこの「てんこ盛り」にはいささか辟易。

もう少し「緩急」をつけていただきたいもの。
「質より量」というあたりが微妙なところ。

「わたしが受け入れたんだからあなたも受け入れなさい」という主人公も。
この「暴力性」はむしろ「共感」を失わせて。

片桐仁と若葉竜也の「処理」もいかにも強引。
結末がどうあろうと興味を抱かせない出来。

何か「決定的な勘違い」がある模様。
とはいえ今どきはそれゆえに受けそうな感じがするので余計に嫌な感じ。

「為にする展開の速さ」とでも言っておけばいいのか。
もっともこの「チグハグさ」こそが「現代」なのだと思えばなるほど。

それぞれが「自己チューなだけ」という光景は何とも悲惨。
それが「現実」だというのには納得するけれど。』でまたまた寝る。

おそらくは「読書疲れ」のせい。
これまた何も困ることではないのでOK。
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「本当かどうか不明なゆえに興味をそそるものふたつ」について

2018-11-22 02:39:29 | Weblog
今日も快晴。日本晴れ。

チャンドラ・ウィックラマシンゲ「彗星パンスペルミア」を再読。

副題に「生命の源を宇宙に探す」。
前回よりは「説得力」を感じたかも。

もっともそれがどれほど「正しい」のかは素人ゆえ判定できず。
著者の「断定的な口調」はあるものの。

隕石や彗星が実は「生命の運び手」であり
ダーウィンの進化論が間違っているというのがポイント。

「カンブリア爆発」と言われる突然の生物の大発生は「自然淘汰」では説明できず
むしろ隕石の衝突によって「生命の種」が運ばれたせいだと。

「自然淘汰」が正しいのならもっと時代の順を追った化石が見つかるはず。
ところが化石には常に「ミッシングリンク=失われた環=連続性の欠如」があると。

インフルエンザの話も興味深い。

「人々の接触」によってそれは広まるというのが「定説」だけれど
「昔の流行ぶり=遠隔地で同時多発する」事実を思えば。

当時は飛行機もなく接触のしようがないにも関わらずの「同時多発」。
あるいはひとつの地域の中でも流行具合にバラつきがあることを思えば。

これは「空から降ってきたもの」のせいだろうというのが結論。
言われてみればという指摘ではある。

「トンデモ科学」なのか「従来の説を覆すもの」なのか。
このあたりについて専門家の意見をあれこれ聞いてみたいもの。

少なくとも「好奇心をそそる論」であることは間違いない。

それとは別に。

巷で喧しいカルロス・ゴーン逮捕のニュースについて。
今日になってテレビのニュースは「日産のお家騒動」かもという視点を持ち出した次第。

ルノーが彼を会長職から解いていない事実もあれば
フランス駐日大使がゴーンと面会したという話も。

「私的流用」と言う一方でそれは日産の用意したものでもあり。
「収入を誤魔化していた」というのも日産の「思いやり」だった可能性もある。

そこから推察するに。

やはり「ゴーン追放」のために動いた人々がいるような。
「国内事情(社内事情)」を「世界の常識」と関係なく優先することの多いわが国を思えば。

このところ目立った「成果」のない検察が
そこに乗っかったというあたりが「本当」かも。

もちろん「真実」は不明。

ただしあまりに官僚に代表される「いつもの遣り口」に似ているのでついつい。
「司法取引」が「本当の犯罪」を炙り出すために使われているのかも微妙。

今後の展開に注目するのみ。
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「害のない寝過ごしと生物多様性あるいは安心できる老後のない貧しさ」について

2018-11-21 02:34:44 | Weblog
快晴。空が青い。

目覚めるといつもよりキッチリ1時間遅く。

ちょいと行動を早めたら30分遅れくらいになる。
なるほど普段は相当にのんびりしていることに気付く。

仕事その他への支障はないので別にそれで構わないのだけれど。
相変わらず「疲れの自覚」はないらしい。

森章「生物多様性の多様性」を読む。

「生物多様性」という言葉が各地で見られるようになって久しく。
ただしその「定義」は専門家の間でもあいまいだというのにふむふむ。

淡々とした記述によって紹介される「解釈」がわかりやすくてグッド。
いろいろな視点があることによる「豊かさ」を感じられて気持ちいい。

いつものように詳細は敢えて省くので興味のある向きは是非。

NHKスペシャルの再放送で
「シリーズ 人生100年時代を生きる 第一回 終の住処はどこに」を途中から観る。

安価で手厚い介護が受けられる「特別養護老人ホーム=特養」の待機者が30万人超えの中。
7年前に導入されたのが民間の運営する「サービス付き高齢者向け住宅=サ高住」。

本来は「軽度の要介護者の受け入れ先」になるはずだったものの。
介護保険は「要介護度の低い患者」に対する報酬を低く設定。

「赤字経営」に苦しむ事業者の中には敢えて
報酬の高い「要介護度の高い患者」のみを受け入れるところも出てきているというお話。

例えば「介護度を低くできるサービス」を提供することは本来望ましいことなのに
それをすると経営が成り立ちにくくなるという「本末転倒」が現実に。

車椅子で歩く比較的元気な100歳の男性が「長生きしてすまない」と言うのが何ともはや。
わが国には「安心して過ごせる老後」がない事実を覚えておこう。

85歳以上になると認知症になる割合が5割を超えるのも同様に。
徘徊したり幻覚を見る患者たちを24時間介護しなければならない現場のキツさよ。

ただし。

認知症になろうとも「過去の人生」に合わせた「仕事」や「生きがい」があれば
それなりに「穏やかな生活」が可能であることも忘れずに。

思い出すのは深沢七郎「楢山節考」。
おりん婆さんは年の割りに健康すぎると自らの歯を折ったのだったか。

そうした「本当の貧しさ」による「当然」を克服したにもかかわらず
別な種類の「貧しさ」が蔓延しているのはなぜなのだろう。

結局のところ「相手に対する想像力のなさ」が原因のような。
今のところ健康体であろうとそれは同じだったり。
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