退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「およそ350年前の言葉が現在にも通じることと『現実の途方もない貧しさと複雑さ』を描いた映画」について

2024-09-14 02:36:05 | Weblog
晴れときどきくもり。異様な暑さに慣れてしまう身体がある。

「ラ・ロシュフコー箴言集」を半分くらい読む。

大昔に読んだはずだけれど。
今の年になってどう思うのかと思って。

「自己愛こそはあらゆる阿諛追従の徒の中の最たるものである。」
「エゴイズム問題」は本書が書かれた1678年から存在することを確認。

「智者の不動心とは、心の動揺を胸中に閉じ込める技巧にすぎない。」
おそらく孔子もそうだったはず。

「年寄りは、悪い手本を示すことができなくなった腹いせに、良い教訓を垂れたがる。」
いかにもありがちで。

「物事をよく知るためには細部を知らなければならない。そして細部はほとんど無限だから、
われわれの知識は常に皮相で不完全なのである」。おっしゃる通り。

「われわれはあまりにも他人の目に自分を偽装することに慣れきって、
ついには自分を偽装するに至るのである。」これまた同様に。

キリがないのでこのあたりで。
ほぼ350年前の言葉が今でも十分に通用することを覚えておこう。

入江悠「あんのこと」(’24)を観る。

「善」は必ずしも善ならず。
「悪」は必ずしも悪ならず。

この「複雑さ」を描いているのが素敵。
われわれは得てして「白黒付けたがる存在」だから。

あんの河井優実は「どうしようもない現実」に翻弄され。
立ち直るきっかけをもたらされるもののどこまでも現実が追いかけてきて。

麻薬中毒者を「更生」させる力を持っていながら「悪事」を働く佐藤二朗。
記者として「現実」を伝えるものの「被害者」を救えない稲垣吾郎。

娘を「ママ」と呼び「婆ちゃん」広岡由里子をネタにあんを拘束する河井青葉よ。
コロナがあんを追い詰めることにもなり。

彼女は早見あかりに無理矢理押し付けられた幼子ハヤトに愛情を抱くようになって。
「母親であること」に充実感を得たのだったが。

結末は予想通りに。
この種の「現実」があることを忘れずに。
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