退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「好ましい100歳の在り様と『裏筋』を辿りたくなる映画」について

2024-09-30 02:51:56 | Weblog
くもり。湿気が強く。

ジェームズ・ラブロック「ノヴァセン」を読む。

「ガイア理論」を打ち立てた著者は今年100歳で「現役」。
「超知性による未来」を描いて。

「人類誕生」が「コスモス=宇宙の意志」だったというのにふむふむ。
「有機的生命」は「電子的生命」に移行するのだと。

瑕瑾はあるものの実に楽しく。
「原子力発電」を認め「環境派」を批判していたりもするのも覚えておこう。

この発想の源には「人類滅亡」もどうってことはないということがありそうな。
宇宙の歴史からすれば「ほんの短期間いるだけの存在」がわれわれなのは確かだとして。

「言葉より直観が重要」だという指摘は。
脳が危険を察知する前に「身体が反応している事実」を元に。

理路の正しさは別にして。
「元気な爺さん」の溌剌とした姿は好ましい限り。

マイケル・サルノスキ「クワイエット・プレイス DAY1」(’24)を観る。

ルピタ・ニョンゴを観ると作品の「隠された意味」を見つけようとしてしまう。
今回は「ホスピスにいる」のだから余計に。

「怪物」は「水に弱い設定」になり。
「方円の器に随う」ことを思えば「水=自由」「怪物=既成秩序」だと理解しておく。

彼女が大事にしているネコは決して鳴かず。
いろんな場所を勝手に動き回る。

結論はと言えば。
「瀕死の『自由』」はその「魂」を救うために「犠牲」になるといったあたりでいかが。

主人公がネコを託すのが「何とも頼りない男子」であるのも忘れずに。
つまりは「女子が『自由』を知っている存在」だと。

「クワイエット・プレイス」は「声を上げられない場所」でもあり。
映画としては面白くないがこうした解釈などいかが。
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「久方ぶりの3連休初日」について

2024-09-29 02:53:16 | Weblog
くもり。湿気が強い。

昨日はまた爆睡。
「老人力更新中」の体力の衰えのせいか。

ミュリエル・スパーク「死を忘れるな」を読む。

何とも渋い内容。
男女を問わず老人たちの行方があれこれと。

彼ら彼女らを「研究している」はずのアレックも同様に。
もっともその彼の姿も異様であることには変わりなく。

著者からすれば「世の中全体」が「病院」だということで。
「男の欲と女の欲」が描かれるのは「異なる立場」にいたせいか。

フラン・クランツ「対峙」(’21)を観る。

殺された息子と殺した息子を持つ両親4人の対話。
それぞれに相手を認めようとしつつギリギリの「思い」をぶつけ合い。

実に「リアル」ではあるけれど。
ラストはそういうことですかといった趣き。

この種のことが可能なら幸い。
現在のイスラエルとヒズボラを思えばさらに複雑に。

以上が昨日の分で。

小沢昭一・大倉徹也「小沢昭一的 流行歌・昭和のこころ」を古本屋で買って読む。

藤山一郎、美ち奴、楠木繁夫松平晃、杉狂児、二村定一、
小唄勝太郎、灰田勝彦、霧島昇・松原操、ディック・ミネ、美空ひばり。

知らなかった人と歌のみを載せておく。
著者は確か海軍兵学校にいたはず。

その「屈折ぶり」をどう捉えるのかはそれぞれに。
日活映画で数々のあやしい人物を演じた人。

今はyoutubeでこんな引用が出来る時代に。
それを活字で伝えようとしたかつての努力を思うことしきり(オリジナルはラジオ番組)。

マル激を観る。

自民党石破新総裁の登場とそれに期待するものについて。

まだ何もしてはいないので様子見になるのみ。
神保哲夫はいろいろ心配しているのだけれど(「希望」ゆえの「警戒」か)。

誰にも未来はわかりはしないはず。
宮台真司も同様に。

「従来の見解」はAI同様いずれ「過去の経験則」に過ぎず。
「何が起きるかわからない未来」をいたずらに決めるなかれ。

ゲスト熊野英生は。
「インバウンド振興」「リモートワーク」「AI技術を使った事務高度化」を説き。

とりあえず「野の遺賢」がいるはずだから探して。
そうした人々が好きに出来る環境を整えるのが肝心だといいうのがせめてもの「知恵」。

石川慶「不都合な記憶」(’24)を観る。

「ハリウッド並みの宇宙描写」にふむふむ。
「宇宙エレベーター」がこんなところに。

ただし物語は案外「ありきたり」。
これまでのSF映画によくあるパターンで。

「男が『都合のいい女』」を再現しようとするだけ。
その意味では「フェミニズム映画」。

「白い部屋」がなかなか。
「夫婦揃ってのセラピー」は「アメリカへの配慮」なのか。

「小笠原医師」の水間ロンが主役ふたり以上に印象的。
「分身の術」があるのも覚えておこう。
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「受け止め切れない『密度』のある本と『エルム街の悪夢』を元にした残念な映画」について

2024-09-27 02:20:05 | Weblog
くもりときどき晴れ。急に日が短くなったような。

山田順子「時代考証家のきもの指南」を見て読む。

タイトルには「歴史・文化・伝統がわかる」という前置きがあり。
素人にはいささかキツい内容か。

「情報過多」の上にビジュアルが今ひとつ。
著者の「伝えたい気持ち」は重々わかるものの。

あまりの「密度」についつい腰が引けてしまった次第。
「襦袢」が「ポルトガル語由来」並みのネタがふんだんにあれば気楽に。

「知っていること全部」がいきなり来たら。
読者には荷が重すぎることになるだけ。

せっかくの「知識」がうまく伝わらないのはもったいない限り。
たぶんこれも編集者の仕事の不十分さがもたらしたもの。

エマ・タミ「ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ」(’23)を観る。

設定は悪くないのだけれど。
アメリカではよくある「少年誘拐」が基本に。

前半の描写のもたつきぶりが何とも。
「ファイブ・ナイツ」だから「DAY1からDAY5」というシンプルな形式にすべきではなかったか。

主人公マイクの描写はもっと削ってよし。
「意地悪な叔母」ジェーンの存在も活きていず。

警官ヴァネッサの「父娘関係」も要らず。
べビーシッターのマックスとその兄についても同様に。

タイトルに「フレディーズ」とあるように「エルム街の悪夢」(’84)由来な模様。
夢の中での出来事が現実になるのを覚えておこう。
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「『性被害』がもたらすものに関する本と映画」について

2024-09-26 02:42:07 | Weblog
くもりときどき晴れ。このところトンボをよく見かける。

川本静子編訳 ヴァージニア・ウルフ「病むことについて」を読む。

かの作家の知性をあらためて。
「病むことについて」を表題にしたのは訳者の思い。

「書評について」の真っ当さが染みる。
「講演という形式」を疑問に思う「なぜですか?」も同様に。

「源氏物語」も読んでいたのね。
ラストの「遺贈品」の出来も素晴らしく。

彼女を苦しめたのは躁鬱病で。
自分が壊れる前に自分を壊した人。

それをもたらしたのが子どもの頃の「性被害」であるのを忘れずに。
どうにか生き延びてもらいたかったと思うことしきり。

リドリー・スコット「テルマ&ルイーズ」(’91)を今頃観る。

スーザン・サランドンとジーナ・デイヴィスの姿よ。
前者の過去と後者のハシャギぶりが交錯して事態は複雑に。

レイプがもたらすものの大きさをあらためて。
夫が妻を「虐待する」のも。

マイケル・マドセンはまだ若くプレスリーに似てルイーズにやさしく。
彼女たちの唯一の理解者にハーヴェイ・カイテル。

ブラッド・ピットが「やくざな泥棒」だったり。
もっとも彼とのセックスでテルマは「目覚め」たり。

それでも彼女たちのラストを思えば。
いささか複雑な気分が残る次第。

ポジティブに解釈するなら。
「誰にも捕まらないよう天国に逃げた」ということで。

ルイーズの「先導」によって始まった逃避行の中で。
泣いてばかりいたテルマが「花開く」のは実に爽快。

シンディ・ローパー「girls want to have fun」を載せておく。
この種の女子がもっと各地にいますように。
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「昨日の記録と『ブルーベルベット』を初めとする監督を描いた本あるいは残念なチェコの映画」について

2024-09-25 02:52:23 | Weblog
くもりときどき晴れ。風に冷たさが感じられるように。

『晴れ。急激に秋の気配が濃厚に。

坂巻哲也「隣のボノボ 集団どうしが出会うとき」を読む。

著者は「科学的であること」に誠実な人だということがわかる内容。
もっとも素人にはいささか辛く。

その記述ぶりは「論文」な感じが強く。
アルファベットと数字が飛び交い。』と書いて昨日は爆睡。

佐藤信介「BLEACH」(’18)を観る。

原作を知らぬまま。
本作が面白いかと言われると微妙。

主演の福士蒼汰はNHK朝ドラ「あまちゃん」から5年後になる模様。
杉咲花は同じく「おちょやん」の2年前。

吉沢亮はこれまた「なつぞら」の1年前だったり。
早乙女太一とMIYAVIの存在感がなかなかで以上が昨日の分。

イアン・ネイサン「デイヴィッド・リンチ 幻想と混沌の美を求めて」を見て読む。

「ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間」(’92)と。
「インランド・エンパイア」(’06)が未見だということを確認する。

最初の出会いは「ブルーベルベット」(’86)だったか。
「これは愛の映画だね」などと言っていた記憶がある。

カイル・マクラクランの顔の魅力とイザベラ・ロッセリーニの「退廃ぶり」に加え。
ローラ・ダーンの「輪ゴム唇」が思い出される次第。

もちろんデニス・ホッパーの「変態ぶり」も。
ボビー・ヴィントンのタイトルと同名の曲を載せておく。

あれこれ思い出して楽しい限り。
「物語」には「結末」より「余白」が大切だという見方を教えてくれた監督。

キオニ・ワックスマン「アルファコード 未知なる能力」(’20)を観る。

「スターシップ・トゥルーパーズ」(’97)のデニス・リチャーズがチェコ映画に。
ただしこれまた面白いかと言われると微妙。

全体的にいかにもな「B級感」が漂い。
途中で「ネタ割れ」もあり。

主人公たちを追いかける「黒服たち」も何だか。
エイリアンもちょっとだけ登場するのだけれど。

何より物語の展開と描写が「ヘタ」。
予算が十分にないだけのせいではないと思われる。

どの国にも「名作」もあれば「駄作」もある。
残念ながら後者だということでよろしく。
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「ニセモノふたつ」について

2024-09-23 03:06:42 | Weblog
くもりときどき晴れ。だったはず。

「気候崩壊後の人類大移動」読了。

薄い内容を繰り返して本にするアメリカのパターン。
ダメだこりゃ。

「厚味」を持たせないと本に出来ないというシステムがある模様。
途中から飛ばし読みをした次第。

残念ながら本書には「読み取るべきもの」が少なく。
各地に取材に行って「知るべきこと」は知ってますよと言いたいだけのような。

著者の主張にはうなずける部分もあるものの。
結局のところ「私を認めて」ということでしかないのが何だか。

白石和彌「碁盤切り」(’24)を観る。

監督が歪な「囲碁好き」なだけ。
草彅剛の「石の打ち方」をせめてもう少しどうにかしてもらいたかったもの。

そもそも時代劇に関する素養が無さすぎるような。
真田広之の「SHOGUN」が評価されている現在だから余計にそう思われる。

「『正義』がもたらすもの」についての描写も微妙。
唯一の「救い」は清原果耶か(好きなんです)。

左門の奥野瑛太が印象に残る(音尾琢真関連の起用なのかどうか)。
小泉今日子、國村隼は「これくらいが普通」。

「敵役」を斎藤工にしたのもミスキャストのような。
実際の棋士である井山裕太や藤沢里菜を登場させるのも。

市村正親の「親分」はもったいない使われ方。
きちんとこなしてはいるのだけれど。

「凶悪」(’13)「孤狼の血」(’18)は面白かったのに。
これだけのキャストを使ってこんな出来ではダメでしょう。
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「すでに現実であることと『待つ』のみのわが国あるいは物語としてのキリスト教の魅力」について

2024-09-22 04:00:45 | Weblog
晴れときどきくもり。また墓参りへ。

ガイア・ヴィンス「気候崩壊後の人類大移動」を少し読む。

このままで行くと年間平均気温は上がり続け。
今まで暮らしていた土地を離れざるを得なくなると(すでに世界各地で現実に)。

ただし人類はその起源から「移住」が基本だったと。
だからその「計画」を立てるべきだというのだけれど。

小松左京「日本沈没」を思い出した次第。
確かラストは日本人を各国へ受け入れてもらう話になったはず。

日本だけならまだしも。
世界中でそうなるのだからいやはや。

そんなことが可能なのかどうか。
明日確かめる予定。

マル激を観る。

今回は「自民党総裁選」の意味について。
当初目立った小泉進次郎はやや「失速」。

石破vs高市という「構図」になるやもしれず。
「古い自民党と安倍以降の右寄り自民党の対決」だという解釈。

後者が勝てば「対立軸」が明確になって野党が戦いやすい模様。
前者が勝てばそれがあいまいに。

いずれにせよ「貯蓄が100万円以下の家庭」が圧倒的に多い現実からすれば。
そうした人々の「暮しやすさ」をもたらす政策がなければどうにも。

気になったのは古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」の観点の評価。
あらゆる指標が悪いのに「満足度」はむしろ増していることについて。

国がどのような状態であろうと関係なく。
「期待」をせずにいればそこそこ楽しく暮らせるというのだけれど。

「ゲーム」や「推し活」があればいいのか。
それは「戦争という現実」が身近に押し寄せていないからだけで。

たまたまウクライナやガザ地区ではなく。
やがてそうはいかない時が来るのをいたずらに待つだけなのか。

リドリー・スコット「エクソダス 神と王」(’14)を観る。

「出エジプト記」のモーゼのお話がいささか「現代風」に。
監督にとっては「兄弟の評価」が肝心だったやも知れず。
 
ラムセス、ジョエル・エドガートンの顔が気になる。
「不穏さ」がいかにも前面に出ているので。

ツィポラ、マリア・バルベルデはスペインの人らしく。
ジョン・タトゥーロ、ベン・キングズレー、シガニー・ウィーバーが脇を支え。

奇しくも「エクソダス=国外への大量脱出」だから。
初めに書いた本の内容と重なるところも。

モーゼという存在が事態を動かすのは「権威主義」に似て。
「カリスマ」と言った方が正確か。

それにしても「キリスト教という物語の魅力の大きさ」たるや。
よく出来ていると感心することしきり。
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「想像力の結果としての描写が素敵な古典小説と『リラックス』を説く不思議な映画」について

2024-09-21 02:11:17 | Weblog
晴れ。37度超え。

フローベール「サラムボー(下)」を読む。

戦いの壮大さとカニバリズムも含めた悲惨さなど。
もう「物語」などどうでもいい趣き。

サラムボーとマトーとの恋はむしろ「おまけ」。
大して面白くないし。

スペンディウスの方が気になった次第。
なるほど「狂言回し」に相応しく。

ゾウやライオンの姿がなかなか。
チャン・イーモウ「グレートウォール」(’16)を思い出させる戦いぶりも含めて。

ちょいとSFを感じさせる作品。
1857年(安政三年)に本作を書き上げた作家に拍手を。

ホン・ソンウン「おひとりさま族」(’20)を観る。

カード会社のコールセンターで働くジナ、コン・スンヨンは優秀で。
ただ彼女は父親も含めて極力他人との付き合いを避けていて。

そんな彼女が後輩スジン、チョン・ダウンの教育係を任され。
嫌々ながらそれをこなすのだったが。

「孤独死」した隣人の幽霊を見たり。
スジンが聞いていた不思議な音を自分も聞くようになり。

「ひとりで平気なフリ」が出来なくなってしまいラーメンの味も変わり。
仕事を休職することになるお話。

上司役が印象に残るのだが名前を確認出来ないのが残念。
彼女の「もっと手を抜けばよかった」という台詞にふむふむ。

ラストの父親への電話の内容もなかなか。
「監視カメラの映像の中だけで会いましょう」と。

いたずらに頑張らなければ。
もっとリラックスして楽しく暮らせるはずというメッセージがある模様。
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「『極彩色に満艦飾な描写』を楽しむフランス古典小説と韓国の『正義』が溢れる清々しい青春映画」について

2024-09-20 02:59:11 | Weblog
くもりのち晴れ。夕焼けのピンクが不気味。

中條屋進訳 フローベール「サラムボー(上)」を読む。

極彩色に満艦飾。
昔のハリウッド映画でもこうはいかないだろうというほどに。

セシル・B・デミルを思い出したり。
例えば「サムソンとデリラ」(’49)など。

ただし物語の展開は微妙。
主人公の魅力をもっと前面に出すべきではないか。

「歴史絵巻」だと思ってよさそう。
「目に浮かぶ描写」を楽しむのみ。

(下)は明日読了予定なので。
どのようにラストをまとめてくるかが大いに気になる次第。

キム・ジュファン「ミッドナイトランナー」(’17)を観る。

警察大学に入学することになった主人公ふたり。
「肉体派」のパク・ソジュンと「頭脳派」のカン・ハヌル。

いずれも「田舎者」で「彼女探し」にクラブに行った後。
たまたま誘拐事件に遭遇し。

被害者を助けようと動くのだが警察組織は動かず。
ヤン教授ソン・ドンイルにも「大学に戻れ」と言われる。

それでも金持ち夫婦への卵子提供のために誘拐された家出少女たちの悲惨な姿を見て。
一度は「撤退」を余儀なくされるものの自らを鍛えてリベンジに。

かつての教官「メドゥーサ」パク・ハソンの助けを借りて。
その後の展開は言わずもがな。

やはり「正義が貫かれる」内容。
「青春映画」の爽快さに敬礼を交えつつ「忠誠」。
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「センスは悪くないが惜しい本とソロリティ=大学の女子寮が舞台のホラー風青春映画」について

2024-09-19 02:13:30 | Weblog
晴れときどきくもり。36度とか。

ペク・ソルフィ&ホン・スミン「魔法少女はなぜ世界を救えなかったのか?」を読む。

「ディズニープリンセス」の復活ぶりに始まり。
「リトル・マーメイド」「ムーラン」「美女と野獣」「アラジン」「ポカホンタス」、

「塔の上のラプンツェル」「アナと雪の女王」「モアナと伝説の海」「ラーヤと龍の王国」など。
「少女の、少女による、少女のためのブランド」だとのこと。

ゲーム業界も当初は圧倒的に男子のもので。
「新たな市場」として女子を見出した「過去」があった模様。

「最初の魔法少女アニメ」の「魔法使いサリー」は1966年(昭和三十一年)の横山光輝作品。
「ひみつのアッコちゃん」は1969年(昭和三十四年)の赤塚不二夫作品。

要は「少女マンガ」を男性が描いていたのだけれど。
やがて女性の作品が登場。

「ベルサイユのばら」「キャンディ♡キャンディ」「ガラスの仮面」「エースをねらえ」。
そして1997年には「美少女戦士セーラームーン」が始まり「おジャ魔女どれみ」も。

そうした後に「プリキュア」が登場。
日曜の朝たまたま目覚めた時にちょいと観ていたりしたもの。

本作はこうした「歴史」を思い出させてくれた一方。
「70年代の少女マンガ家たち」が描かれないのは残念。

終わり方もいささか唐突で。
センスは悪くないが「構成に欠ける」憾みあり。

マシュー・グッドヒュー「キラー・ナマケモノ」(’23)を観る。

「ソロリティ=女性のみで構成されるクラブ」のあれこれ。
いかにもな「女王」ブリアナのシドニー・クレイヴン。

彼女が「三選」を目指す中、エミリーのリサ・アンバラバナールが立候補する。
もっともそれはキュートなナマケモノのアルファのおかげでもあるのだが。

「野生動物の保護」に熱心なマディソン、オリビア・ルーリエや。
マニッシュなゼニー、 ビアンカ・ベックルズ・ローズ。

あるいは「酒浸りの寮母」ミス・メイのティフ・スティーブンソンなど。
いろんなキャラクターを楽しめる内容。

原題は「slotherhouse=スローターハウス=屠殺場」。
「sloth」が「ナマケモノ」を指すダジャレ含みで。

タイトルからはカート・ヴォネガット・ジュニアを思い出したり。
93分という長さも好ましい「ホラー風青春映画」。
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