「PTSD」とは、悲惨な事故や自然災害などに遭遇した時に大きなショックを受け、その心の傷が消えず日常生活に支障をきたすような状況になっているときなどによく使われる言葉だ。日本語では「心的外傷後ストレス障害」というそうだ。
私の場合は日本語学校に関する出来事から日本語に関係したことに関われない異常な心境になっているところが「PTSD」に似ていると思える。
しかしそれは「単なるトラウマ」か「嫌な思い出」くらいのものであろう。人から行動や人格を否定されたなどということは心的外傷とは言わないのかもしれない。調べてみると虐待などを受けたことによる心の後遺症もPTSDに入るそうであるが、殴られて受けた体の傷が癒えてもなお心の傷が残っていておびえるというような、やはりはっきりした身体的危機のようなものがあるのが、一般に言われている「PTSD」のようだ。
身に危険があったわけでもなく、思い出したくもない辛い記憶などというものを持っている人はたくさんいるはずだし、私自身それを思い出したところで、多少心臓がドキドキすることはあるものの、それで日常の健康状態に支障があるわけではない。延々と恨みつらみを書けるということは、心が健全ではないにしても、むしろ元気だということだろう。
しかし、やはり「みかんの皮」は異様に嫌いだ。あまり見たくない。みかんの皮のせいでクビになったような気さえする。食べたくもない。
また、3度の学校をやめたときの心の傷はだんだん年月とともに浸潤してきて、日本語学校のみならずボランティアで教えるのもいやになり、ついには日本語関係の教科書を開くことさえ恐ろしい状況になっていて、やはり精神的にかなりおかしいと思う。
そのほかにも日本語を教えるのに付随したことで、ここには書けないような様々な望ましくない出来事があるのだが、そのことから、どんな中国人(厳密には他の国籍の外国人でも)からの電話にも出ることができないという精神状況でもある。用件を聞くのが怖くて留守電が入っていても返信できないで無視してしまう。そして中国語を勉強するのも困難な精神状況になっている。今まで好きだった飲物を飲もうとしているのに、なぜかどうしても飲み込むことができないというような感じだ。
それがどの事件から始まってどこで加速がつき、どこまで浸潤してこうなっているのか、今後どうなるのか、回復するのかそのままなのかさらにひどくなるのかさえわからない。
とりあえず、放送大学の「日本語基礎」の試験を受けるのは大丈夫だった。
結局、1度も勉強する事なく、会場に行く途中の電車の中で教科書をぱらぱらと見ただけだった。もう何年もかかわっていないので忘れているかと思い、いくらなんでも全く勉強しないで受けるのはまずいのではと不安になったが、幸い解答に困ることはなかった。
思うにかなり簡単な問題で、他の受験者も15分くらいで終わってしまって退場できる30分経過後には全員が席を立っていたようだ。50分の試験時間でマークシートの択一式問題12問ってあまりにも少なすぎるんじゃないだろうか?
これで、2単位は取れるということで、今回日本語を履修した目的は達成した。
この科目が済んで精神的にもすっきりしたところで、日本語学校のことは忘れ、他の科目の勉強にはげもうと思う。
私の場合は日本語学校に関する出来事から日本語に関係したことに関われない異常な心境になっているところが「PTSD」に似ていると思える。
しかしそれは「単なるトラウマ」か「嫌な思い出」くらいのものであろう。人から行動や人格を否定されたなどということは心的外傷とは言わないのかもしれない。調べてみると虐待などを受けたことによる心の後遺症もPTSDに入るそうであるが、殴られて受けた体の傷が癒えてもなお心の傷が残っていておびえるというような、やはりはっきりした身体的危機のようなものがあるのが、一般に言われている「PTSD」のようだ。
身に危険があったわけでもなく、思い出したくもない辛い記憶などというものを持っている人はたくさんいるはずだし、私自身それを思い出したところで、多少心臓がドキドキすることはあるものの、それで日常の健康状態に支障があるわけではない。延々と恨みつらみを書けるということは、心が健全ではないにしても、むしろ元気だということだろう。
しかし、やはり「みかんの皮」は異様に嫌いだ。あまり見たくない。みかんの皮のせいでクビになったような気さえする。食べたくもない。
また、3度の学校をやめたときの心の傷はだんだん年月とともに浸潤してきて、日本語学校のみならずボランティアで教えるのもいやになり、ついには日本語関係の教科書を開くことさえ恐ろしい状況になっていて、やはり精神的にかなりおかしいと思う。
そのほかにも日本語を教えるのに付随したことで、ここには書けないような様々な望ましくない出来事があるのだが、そのことから、どんな中国人(厳密には他の国籍の外国人でも)からの電話にも出ることができないという精神状況でもある。用件を聞くのが怖くて留守電が入っていても返信できないで無視してしまう。そして中国語を勉強するのも困難な精神状況になっている。今まで好きだった飲物を飲もうとしているのに、なぜかどうしても飲み込むことができないというような感じだ。
それがどの事件から始まってどこで加速がつき、どこまで浸潤してこうなっているのか、今後どうなるのか、回復するのかそのままなのかさらにひどくなるのかさえわからない。
とりあえず、放送大学の「日本語基礎」の試験を受けるのは大丈夫だった。
結局、1度も勉強する事なく、会場に行く途中の電車の中で教科書をぱらぱらと見ただけだった。もう何年もかかわっていないので忘れているかと思い、いくらなんでも全く勉強しないで受けるのはまずいのではと不安になったが、幸い解答に困ることはなかった。
思うにかなり簡単な問題で、他の受験者も15分くらいで終わってしまって退場できる30分経過後には全員が席を立っていたようだ。50分の試験時間でマークシートの択一式問題12問ってあまりにも少なすぎるんじゃないだろうか?
これで、2単位は取れるということで、今回日本語を履修した目的は達成した。
この科目が済んで精神的にもすっきりしたところで、日本語学校のことは忘れ、他の科目の勉強にはげもうと思う。
トラックバック練習版というのは、この画面でいうとずっと左下のほうの枠の中にある[今週のお題]というものです。今週は「・息抜きの方法は何?」ですね。そこをクリックするとトラックバック練習板の画面が出てきます。そこに説明も載っているので開いて見ればわかると思いますよ。