山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

ミスを探してるわけじゃないけど

2008-08-14 22:02:25 | 日記
今日、仕事で入力されている画像データに間違いがあることがわかり、それを担当している部署の人に伝えに行った。
そうしたら、なぜ間違ったものが入っているのかわからないのだそうで、その間違ったデータを消してしまうわけにもいかないとかいうことだった。
つまり、そのデータはどこか別のところに入るべきデータなのだが、入るべきところに入っていないとなると、間違って入っているのを消したら、データ自体がどこにもなくなってしまうというおそれがあるわけだ。だから、結局のところ訂正はできないということなのか。
以前も同様の間違いを見つけたことがあり、そのときも別枠のファイルでくくって区別するしかなく、結局は同じ場所に保存しておくしかないのだった。

その部署の人は、その間違いは自分たちがしたのではないというようなことをほのめかしていた。そして、間違いがないかどうか調べているんですか?と聞いてきた。いちいちそんなこと調べてるのか?のような雰囲気でもあった。
終わった仕事を一応記録して残しているだけなので、多少の間違いはあっても問題ないだろうと言うふうな感じで、それをいちいち調べられるのも不愉快だ、というほどでもないが、ちょっとそんなような空気がただよっていた。

私がそれをみつけたのは、そのデータを元に、別の資料を作っているからである。だから、間違いがないかどうか疑って調べているわけではなく、資料を作る途中で偶然見つけたのだということを伝えたわけだが、普段から検品のような仕事をしているので、どうしても「間違い探しの人」のような印象をもたれてしまう。

しかし、その部署では単なる記録として残しているものであるものの、別の部署ではそれをもとに、次の仕事のための参考資料を作っているのだから間違いがあると困ったことになる。あまりにも違う画像だったから気がついたものの、気がつかずにそれで資料を作ってしまうということも起こりかねない。

このように、ある部署での仕事が別の部署の仕事にどういうかかわりを持っているのかという情報が、どうもうまく認識されていないようだ。
私自身、そのデータを誰が入れているのかもよくわからない。一応管理しているのがその部署となると、そこの人がいつも事務的に入れているのかと思っていたら、そうでもないようなので、別の部署の担当者が入力することもあるのかなあと思ったしだいだ。
こちらの部署では、そこにちょうどデータがあるから、それを使って資料を作ろうと考えているわけで、そっちの部署ではそれがそういうことに使われるなんてことは聞いたこともないのだろう。それも問題だ。

また、間違いを見つけていやがられるというのは、以前スーパーに勤めていたとき、賞味期限の管理の見落としをみつけたときもそうだった。値下げするはずのものがされていないものなどをよくみつけた。
みつけるのはいいことのはずだが、それが度重なるとなんだか煙ったがられるような雰囲気もあった。本来管理するべき担当者が見逃していたことが判明してしまうからである。
だから、人のミスをみつけるのもあんまり気持ちのいいもんじゃない。
人間関係を考えると、そういうものは、気づいても気づかぬふりをしていたほうがいいのかなとさえ思ってしまう。でも、やっぱりそれではいけないだろう。

人間のすることはミスだらけだ。勘違いやうっかりから起こる間違いも多い。
ミスをみつける私だっていつもミスをしている。
ミスを指摘されるのが好きな人間はいない。
ミスをしないように充分注意するしかないのだが、それでもミスは皆無になるはずはない。
ミスは皆無になることはあり得ないと思いつつ、ミスを皆無にしようと心がける。
人間だからミスをしても仕方がないという判断をもちつつも、そういう甘えは持つべきではなく、ミスは絶対に起こしてはいけないという心構えでいく。
人に優しく、物事に厳しくっていうのは、どうしても「矛盾」がある。


コメント    この記事についてブログを書く
« 出費! | トップ | 暑がり »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事