山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

仕事は癒しだった

2010-12-13 22:49:18 | 日記
 

今日は馬車馬のよう働いた。
朝は早く行って、昼休みは10分で食べ、わき目も振らずに働いた。
しかし、2時半ごろ1度限界に達し、ロッカールームに行って、窓から外を眺め、目を休ませた。そして、腕や首を回し、屈伸体操をして席に戻った。そのくらいはしなくちゃ、持つはずがない。
4時を過ぎると、急に視力が減退してきた。細かい図面が見えなくなってきた。文字もゆがんでいる。4時半を過ぎると、残業を申請しなくてはならない。今日中という書類を全部読むと6時を越えるかもしれない。夕方までという依頼だったので、できるところまでやって返すか、それとも遅くなっても最後までやるのかを担当者に聞きに行ったら、明日の午前で良いことになったので、4時半を過ぎないうちにタイムカードを押してから、残業をせずに帰って来た。
目は異様に疲れて、痛い。夕飯の前に少し目を閉じて休んでいたら、いくらか良くなった。
パソコンをやるとまた目に悪いが、見るものや角度が違うので大丈夫だろう。

最近、年末だけあって、さすがに忙しくなってきた。しかし、これは、先週有給休暇を1日取ったのが尾をひいているとも言える。その日の6時間分のしわ寄せがきている。やはり休暇を取れる状況ではなかったのかもしれない。明日からは、仕事を溜めないようにしなければと思う。自分があとで苦しまないで済むためには、朝や昼休みに10分ずつでも多くやっておく事である。12月はもう1回有休を取りたいと思っているので、何でも早めに消化しておこう。

それにしても、理系人間で構成されている会社はまるでサナトリウムのようだ。それは、この会社に入社した時に感じたことだった。人と人のつながりが希薄な分、ぶつかりあったり、言葉で傷つけあったり、論争を起こしたりすることが、ほとんどない。それは、あるときは人間味の無さを感じることがあるが、疲れた心にとっては安らかである。自然科学はいいなあと、思ったものだ。
「人間」のことを考えていると、心がずたずたになってしまうのだ。昔の傷が痛んでくるのだ。「人間」に向かって「人間」のことを論じることが、一番神経を蝕むのだ。それを忘れていた。

きっと、人間とのやりとりで、ごたごたしていると、車の運転も危ないかもしれない。余計なことは考えないことだ。

 
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論じることのむずかしさ

2010-12-13 01:44:41 | 日記

「戦争で死ぬことに意味なんかない」
その言葉に対して、それが根本的に間違っている、と言っていいのか?

「意味がない」という人が、本当にその言葉通りのことだけを思っているわけではないことは、誰にでもわかるはずだ。

異国の若い兵士と若い兵士が、たまたま戦地でぶつかり合って、戦って殺し合うことに意味があるのか? それは、不条理なことである。
そういうことを「意味がない」という。

戦争が終わり、兵士が心にも肉体にも傷を負って戻ってきて、敵対していた国と国には、何らかの平和が訪れたとする。それは多くの人が流した血によるものだ。
その労苦に関して、「意味がなかった」というわけはない。
また、戦地での経験が人生の中で「意味がなかった」などと思う人はいない。
また、残念ながら平和は訪れなかったとしても、そこで戦った人の労苦に「意味がない」わけではない。

しかし、戦争というもの自体、尊い命を失うのは「意味がない」ことだと表現する。
そういう犠牲はつきものだが、願わくば、ないほうがいい。失うものが多すぎるからだ。
でも、人間はすべて、「無駄」なものにやっきになる。それを「無駄」なものというと、またつっかかる人がいる。

意味があるのかないのか。
無駄なのか重要なのか。
精神病なのか精神病ではないのか。
その両極は、どっちも、実質同じことなのだ。
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