山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

行動がもたらすこと

2007-12-05 23:08:57 | 未分類過去
今年の冬は寒いというので、新しいコートが必要かな?と思っている。
ここ数年、私はコートらしいコートを着ていない。特に、ロングコートは脱いだ時に面倒くさいので、今後も買おうとは思わないが、短かめのコートで、ちょっとまともなものが欲しいなと思い始めた。
近々、会社の忘年会があり、今年は地元ではなく、都会に繰り出していく。だから、少しまともな格好をして行きたい。

会社の忘年会は昨年初めて参加した。昨年はパートタイマーで参加したのは2人だけだった。その一人は、もう会社を辞めてしまった。今年はまた、古いパートさんも、新しいパートさんも誰も参加しないようである。お子さんのいる人などは、夜出かけるのは抵抗があるようだ。
昨年までは、私も、誰か一緒に行くパートの人はいないかな~と気にしていたが、今年はもう周りを気にすることはやめた。自分と同じ考え方の人をいちいち探すのも大変だし、行きたくない人を無理やり誘っても仕方が無い。人それぞれだから、自分の思うとおりに行動することにした。
社員さんの中に特に親しい人がいるわけでもないので、どういうことになるか見当もつかないが、職場で孤立して黙々と仕事をするのはイヤだ。仕事中に話をするわけではないが、仕事以外でコミュニケーションをとり、どういう人かが分かっていれば、仕事上でも気心が知れてやりとりが円滑に進むような気がする。
結局、そういう目的意識で行くわけだが、そこまでする気はないというパートさんが大部分ということである。私は、もうそういう空気には合わせないことにした。自分の思うとおりにする。そういう点では一歩前進したと思う。

そのことはそれでいいのだが、今日のテーマはコートのことである。というか、服装のことである。思えば、昨年も忘年会に行くのに変な靴じゃ恥ずかしいと思って靴を買った。
人間っていうのは、そのようにどこかに出かけるということをきっかけに物を用意するようになる。その結果、恥ずかしくない服を身につけたりし、無理をして高価なものを買ったりする。そうすると、そのための収入も頑張って得ようとする。
そうやって、前進していくのかもしれない。

それが、もし家にいてどこにも出かけないのなら、服を買う必要もないし、身だしなみに気を遣うこともないままである。
人と話す機会がないならば、どのような話し方をするべきかなどと自分が人に与える印象を気にしたりもしないままである。
だから、やっぱり行動をしたほうが、人間は表面的にも内面的にも洗練され進歩すると思う。

今日言いたかったことはそういうことでした。



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