山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

天海上人

2006-05-08 22:26:25 | 旅行・街歩き
徳川家康から家光の3代にわたる補佐役であり、川越の喜多院の住職をしていた方だそうですが、川越の博物館に像があり、博物館の方が説明してくれました。
この人は、一番短い説でも108歳まで生きたことになるのだそうです。

百歳の生を得ようとせば
勤を硬く
色を薄く
食を細く
心を広くせよ

とおっしゃったそうです。

そうですね。
特に最後の、「心を広く」を守りたいと思いますが、
難しい~

「川越の住文化」?

2006-05-08 21:33:13 | 放送大学
「川越の住文化」という題名をつけても、けっしてまとまったことが書けるわけではありません。
城下町であって、城の前方に町が広がっていて、城の裏側はぬかるんだ湿地だったために敵が攻めてくる心配がなかったので、裏側には町がなかったのだそうです。そして、周囲に寺など配置して敵が攻めてきたときの防衛の拠点となるようにしたり、通りに面して武士が住みながら敵が入り込むのを守ったりしたそうです。
川越の町は過去に何度も火が出ているようです。最後に明治時代に大火事があって町の大部分を消失してしまい、残ったわずかな建物が蔵造りだったために、その後蔵造りの家を作るようになったのだそうです。蔵造りは木や竹の骨組みのまわりに土を練って頑丈に固めたもので、芯だけでなくその周りにも縄や木など筋となるものが入って固められているようで、何段階もの工程を経て時間をかけて造られたそうです。黒がいい色だとの事で仕上げは真っ黒に塗ってあります。屋根は立派な瓦です。
川越の商人の家は通りに面した店も蔵造りなのが特徴で、防火のみならず、見た目もきれいにできています。当時、間口の広さによって税金の額が決まったことから、間口は狭く鰻の寝床のように奥に細長い家が並んでいます。そして、北風によって類焼した経験から、北側にはほとんど窓をつけないのだそうです。

こういう日本のある町に見られる特徴のある家に興味がわきます。

というのは、以前放送大学で、「東アジア・東南アジアの住文化」という科目を受講したことがあるのですが、そこには韓国の両班の住まいや、中国のヤオトンや三合院・四合院、東南アジアの高床式の家やなどいろいろ載っていてとておもしろかったものの、肝心の日本はどういうものがあるのかな???という疑問だけが残ったのでした。
日本の家について何か科目があったかどうか記憶がありませんが、もしかしてないならばすでに知っているはずだからなのかもしれません。改めて大学で勉強することではないのかな?日本人には日本の家は常識なのかな?と思うものの、自分自身知らないことが事実です。
例えば、合掌造りの家など、小学校や中学校等で簡単に勉強したことはあったかもしれません。江戸の下町の町人の家なども江戸東京博物館にでも行けばわかるのでしょう。
しかし、実際に自分の国のことについて、知らなすぎると思うわけです。

「東アジア・東南アジアの住文化」のように日本の昔からの土地と文化に特有のいろいろな家屋の特徴を勉強できたらいいなあと思います。

連休開けの一日

2006-05-08 20:41:17 | 未分類過去
会社に行くと、いつもと同じ毎日が始まっていた。
私は5連休だったが、6日前のことをすっかり忘れてしまっていて、読みかけにした書類があったことを思い出した。
続きを読み始めたら、普通の週末をはさんだ程度に記憶をよみがえらせることができた。

それと、5月の1日・2日のことを思い出すと、私は出勤だったが、社員もパートも休みが多く、通常の3分の1くらいの人数で、結局いつもやっていることをする人がいないために、その仕事を私が頼まれて、やったこともない作業に右往左往してしまった。

そのうちのひとつは、5月1日に、書類20数枚に送付書をつけてある人にFAXを送るという仕事だった。私はこの会社に入ってからFAXを送る仕事はしたことがない。
パソコン内から送付書のフォームを出して内容を書き込んで送るようにということだった。
先方の方が8日にうちの会社に訪問してきて、その書類の内容についてやり取りすることになっており、内容は「一日しかないところ恐縮ですが、簡単に目を通していただければ幸いです」というようなものであったので、なるべく早く送るべき書類だった。
しかし、上司に言われたとおりパソコン内を探したつもりだったが、送付書の出しかたがわからず、かなりの時間を使ってしまい、結局別の社員の方が送付書をつくって用件も書いてくださり、私はそれを事務の人に教わりながらなんとかFAXで送ることができた。

今日の午後、上司や社員数人の方の姿が見えないと思っていたら、1日にFAXを送った相手の方が来ていて、会議をしているようだった。
ああ、あのFAXの人がいらっしゃったんだ、と1日のことを思い出した。

送付書のフォームは自分のパソコンに保存したので、今後は送付書をつけてFAXするくらいのことは、もう少しスムースにできるかもしれない。

認知症ではないのだが・・・

2006-05-08 01:32:34 | 未分類過去
実家の母と私たちとはどうしても判断基準が食い違う部分があって、どうしても母の考え方は理解できないことが多い。

以前、実家のテレビ映りが悪くて民間テレビ局の番組が全然見えないため、母がそのままでいいというのを無視してケーブルテレビの会社に調べてもらったことを書いたが、今回行ったら、前回よりも大分よく映っていた。やはり、実家の至近距離にあったケーブルテレビの電線に取り付けられた装置が原因だったのではないかと思われる。こんなに簡単に改善されるんだったらとっくに見てもらえばよかったものを、どうして「NHKだけしかみないからそのままでいい」と言い張っていたのかと思う。

今回、田舎に帰ると、母は竹の子をたくさん煮ていてくれたのであるが、その竹の子は何十分か歩いて行ったところにある持ち主がよくわからない竹やぶから取ってきたのだという。母が言うには持ち主はしょっちゅう来るわけではなく、いないようなもんだと言うのであるが、こっちからすると、「それって竹の子泥棒じゃないの?」と思うのである。
しかも、以前子どもが小さかった頃は、家の近くの放置してある竹藪にみんなで行って、竹の子を掘ってきたことがあるのだが、「竹の子を取らないと竹が密集してしまって竹藪がダメになってしまうから、何もしない持ち主のためにも、竹の子を取ってあげるのはいいことだ」のようなことを母から聞いて、その頃は悪気もなく取っていたのである。
しかし、放置してあるように見えるからと言って、やはり持ち主に無断で竹の子を取るのは泥棒だろうと思うのである。今年近所の竹やぶではなく、遠くの竹やぶにとりに言ったというのも、あやしいところだ。だが、母には自分が泥棒のようなことをしているという感覚はない。

このような判断基準は、世代や地域によるものも大きいようである。

ゴールデンウィークにいったときに、竹の子狩りを商売にしている竹やぶもあり、その宣伝がのっていた。私たちは竹の子を掘るのもおもしろそうだと思い、そんなものがあったと母に伝えると「そんなことにお金を使うのはバカらしいし、竹の子なんか掘るのはたのしいけれど、そのあと食べるまでの段階が、面倒だからそんなことはやめろ」と言われた。昔の田舎の人である母にとっては、お金を出して竹の子狩りをするなんて考えられないことのようだ。

また、母にとっては、食べ物の賞味期限などもまるで意味を成さない。一人暮らしで食べきれないということもあるのであるが、牛乳も卵もはるかに賞味期限を越えたものを平気で食している。母にとっては印刷された数字よりも、自分で臭いをかいで判断するほうが信用できるようだ。
また、母は買ってきたものや食べ遺した惣菜などをすぐに冷蔵庫に入れない。翌朝まで置いておいても大丈夫だからだそうだ。とりあえず何でも冷蔵庫に入れようとする私とはそこでまた行動の不一致が起こる。腐らないにしても冷蔵庫に入れて何が悪いのか、入れればより安全だと私は思うのであるが、入れることは必ずしも必要ではないという考えが、入れるべきではないという母の意見になっている。

私たちは、ルールを重視するが、母は本能で動いている。たとえて言えば、信号が赤ならば車が来なくても待っているのが私たちであるが、母の場合は信号なんか無視して、車が来るか来ないかを見て渡るという方法ですべてを過ごしているようである。

実家は最近お風呂を改築したのであるが、以前実家の風呂はお湯がたまるのに、20分以上もかかっていた。東京の風呂の場合、7分でたまるので、どうしてそんなに遅いのかと思っていたのであるが、母は支障はないなどと言って、どうしようともしなかった。

実家の場合、公道から直接引き込んでいるので、細い水道管を分配しているわけではないから、水圧が低いと言うのは不思議だった。
それが、今回お風呂を改築したときに、水道工事の人が水道を止めて再び開けたところ、普通に勢いよく水がでるようになったのだそうだ。なんのことはない、元の栓をあまり大きく開けていなかったのが原因であったのだが、その状態で何年も我慢していたのだからバカらしい。

ところで、母の話では、最近、メーターに来る前のところで、水道管から水がすこしずつ漏れているのだと言う。常にきれいな水がもれ出て湧き水のように溜まっているのだそうだが、母が言うには、それはうちのメーターよりも上流で起きていることなので、うちの水道料とは関係がないから放置しているのだそうである。しかし、それは確かに実家の敷地内で起こっていることであり、その水は誰の目にも触れず近くの排水溝に流れ落ちているらしい。水道メーターを調べに来る人にはわかるはずだから、なおすならその人がどうかするだろうなどと言っていた。

このような判断も私には信じられないことで、いくら自分の家のメーターに関係なくても水が漏れることはよくない状況なのだから、それを知っているからには水道局に連絡をして直してもらうべきだと母には言っておいた。メーターを調べるひとはそれだけを任されているのであって、そうでないことには関わらないつもりなのかもしれない。

ルールや物事のあるべき状態を重視する私たちにとって、母の思考回路はその場で問題がなければ適当にやり過ごすという感じがして、どうにも納得できないことが多い。
どうなっているのかな~