日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

寒さがいちばんきつい2月でした

2016年02月28日 | Weblog


 こんにちは。
 まだまだ寒さがきびしい日が続いています。
 それでも、足元には小さな花々が弱々しいけれでも咲き始めています。多摩川でも、河津さくらが咲いていました。まっさおな空にピンクの花がよく映えていました。町は少しずつでっすが色をもち始めました。
 うれしいこともある反面、花粉症も出始めてきていますね。通勤電車では、鼻がムズムズし始めました。マスクが日々のアイテムになってきました。今年は、きびしくなるといわれています。まいったなあー。

◆1 関西電力は26日高浜原発4号機を再稼働を開始した
 今年は東日本大震災・東京電力福島第一原発爆発事故から5年目。
 5年目にして原発事故で住む家も、おくべき心のよりどころもばらばらになった。そして、いまだそれを立て直すことの途上。その間、日本中の電力は企業努力もあって、原発ではなかった。だから、最近まで一発の原発も稼働していなかった。原発がなくても電力は供給できるんだと安心した。

 それが、世の中はなんとも非情なのか、企業が強欲なのか、今年になって再開しはじめた。それも、これまでの教訓は生かされているのかと思うほど強引に…。いまだに日本は「緊急事態」には変わりないというさなかにでも、資本家は利益を求めようとして、不安・危険という恐怖をまたしても人々に押し付けてきたように思う。
 5年後の今年、これから放射能の被ばく被害はまだこれからという。現に、甲状腺がんに関する健康調査も不十分という。眼に見えない被害がこれからでてくるのではないかと思う。さらには、当時の東京電力の東電元会長をひっとうに責任者が業務上過失致死罪で起訴される。ようやく、5年目になって原発事故の問題の本丸の玄関にきたのにもかかわらず、再稼働という事実はいったいこれからどうなるのか。
 地震はまだある…というなかでだ。

◆2 大阪・梅田の国道176号線で乗用車が暴走2人死亡、1人が重体の事故
 「不運」はどこにあるかわからない。
 自動車に同乗して、運転手が心臓から腰の部分の大動脈が破裂して心肺停止。ブレーキを踏むところアクセルを踏んでスピードを落とさず暴走し激突。歩行をしていた人もはねる。楽しいはずのドライブも一瞬にして悲劇になってしまった事故だった。

 ぼくにも経験がある。赤信号で停止していたが青になり進行するところ進まない。運転手をみたら下を向いて眠っていた。睡眠不足だったのだろう。車を近くのサービスエリアに停め、休憩をとった。そんなことは「そんなばかな」ことと思うが、人間だものないことはないと思うようになった。人はミスをか起こすようにできている…と思った方が無難かもしれないと。

◆おまけ:米国ネット大手グーグル傘下で軍事用ロボット登場/25日東京(夕)
 なんとも米国は怖い国だ。軍事用ロボットといえば地上戦だろう。
 戦争で大事なことは、空や海を支配することよりも地上(陸地)を支配することがいちばん大事なことだろう・ベトナム戦争では、米国は枯葉剤を空からまいて地上の支配しようとした。しかし、ベトコン、民族解放戦線は、地下で勝機をつくっていた。地上戦で反撃をくりかえし、けっきょく、米国軍はベトナムから撤収を余儀なくされた。米国はいかに地上を制することが戦争にとっては大事かを世界一よくしっている人たちだと思う。

 ぼくの好きな女優のシガニー・ウィーバー主演の『エイリアン』という映画でも、ある企業が宇宙人のエイリアンをエイリアン生け捕りにして、戦闘用(軍事用)にしようとしていた。
 人間の想像は、一方で残酷なことを平気で考える「アホ」な動物だなと思う。悲しいかな…。



 早いものですね。1月が終わったと思いきやもう2月も終わります。読む本はたくさんあるのでしょうけど、ぼくにとっては今月は車谷長吉という作家が面白くて読んでいました。この作家、久しぶりの私小説作家です。
 作家は「アホ」だという作家でたいへん興味がありました。なぜ「アホ」なのかその辺がいちばん興味がありました。読んでいくうちに、私小説ですから、自分の身内の恥をさらけ出して、さらには身内から後ろ指をさされ、地元では身内の生き恥をさらした極悪ものともいわれていました。それでも、小説を書く…と行為を最後までつらぬき通した作家でもあります。

 しかし、今まで出した本は絶版が多くて古本屋や図書館でしか手元で読むことができない貴重な作家でもあります。



人生の救い(車谷長吉の人生相談) 車谷 長吉 (朝日文庫)
【内容】
 新聞連載時より話題沸騰! “最後の文士”にして“私小説家の鬼”たる著者が、投稿による身の上相談に答える。妻子ある教師の「教え子の女子高生が恋しい」、主婦の「義父母を看取るのが苦しい」……この問いに著者が突きつける凄絶苛烈な回答とは?

■p63 騙されるのは楽になる道なのです。
この世に人間として生まれて来たことの不幸から、少しでも救われたいと思う人は、文学・芸術・哲学の道に進む以外に途はないのですが、この途に進むことはきわめて困難なことです。まず貧乏に耐え、勉強する決心が必要です。その決心は大部分の人には出来ません。従って手取り早くは、新興宗教に途はないです。

■p83~84 死を覚悟して真の人生が始まる
私はあなたのことを、考えが甘いとも傲慢な人とも思いませんが、人はある年齢に達すると、自分にもいずれ死が来ることを、はっきり覚悟する必要があります。極端に言えば、そこからはじめて真の人生が始まるのです。この死の覚悟のない人は、駄目なんです。世の七割ぐらいの人は、人生がはじまることなく、終了の日を迎えます。~どちらにしても、人としてこの世に生まれてきたことは、一切の救いはありません。

■p182 私の特徴をいとおしむ気持ち
まず最初に「人はなぜ、他人の身体的特徴をわざわざ声に出していうのでしょうか」と記してありますが、それはそうすることによって、悪い楽しみを得たいからに相違ありません。

【感想】
 「人生相談」という記事は、各新聞などに載っていて読んでいてもおもしろいと思う。
 人間が生きていれば、それはいろいろあるなあと思い知らされる時間でもある。とはいえ生きていく中で少しでも「自分が思い描いたものでいたい」という気持ちを持ちながら相談しているように思う。読んでいくうちに思うのが、人間のあさはかさ、みにくさ、悲しさがつづられているようである。人の世はなんともあさましい限りなのか、それとも楽しいものか、いろいろだなーと思う。
 今を、先を、もっと先を…相談するのだが、いちばんいい回答は自分ではいつくばって(おおげさもしれない)探すだけではないかと、思う。車谷長吉の毒のある答えを読むと、「良薬は口ににがし」ろ思えます。
 毒にも薬にもならない小説を読むより、猛毒を知ることが大事なのではないかと思います。

 読んでいて、人生相談も法律や金で解決できるものはまだいいのかもしれない。それに、頑張ればどうにかなる悩みであればどうにかなる地点はいい。他人をも巻き込んでしまう悩みはこれは大変だと思う。
 
 

銭金について 車谷 長吉 (朝日文庫)
【内容】 エッセー
■p132 地球上にはその日の食にも事欠くような飢えた人々が、ごまんといるのである。不毛な宇宙開発をするくらいなら、その金でそういう飢えた人々を救済することを考えたらどうなのか(「罪の意識なき人」)

■p138 人の本質は悪である。畜生である。いや、畜生以下の畜生である。人は人を殺す生物である。それは人間の歴史的現実である。そういう現実を、十四歳の少年にどう思い知らせるか、ということは、人権がどうとか、へちまがどうとかと言うている、いまの世の時代の精神では、まず不可能であろう。人は誰でも、一度は挫折するのである。その時、その挫折の内圧に押されて刃物を手にするか、言葉を己れの凶器とするかは、ほとんど紙一重の差にすぎない(「人殺し」)

■p202 ~文学とは何か、という基本的なことが分かった上で、あらためて漱石や鴎外を読んでみると、十代で読んでいた漱石や鷗外の小説とは、全然違った読後印象があった。つまり、一冊の本、あるいは一つの物語には、「文学を文学たらしめている根拠」のようなものが、かならずあります。そこを突き止めることが、本を読む上で一番肝心なことではないか。ただ、単にストーリーを追うているだけでは、その本を充分に読んだことにはならない。

■p220 文学というのは、この関係性の中にひそんでいる苦しみについていかに対処したか、あるいはその苦しみに遭遇して、人がいかに七転八倒したか、その哀れな、滑稽なざまを書く。これが文学です。

■p240 ~「事実か、嘘か」という問題があります。私のように私小説を書いていていると、「車谷さん、あなたの書いている小説はどの程度事実なの、どの程度嘘なの」とよく尋ねられます。~小説は事実ばかりを書くのではなく、嘘も混ぜた方が、より事実に近いのではないか、と考えています(「島崎藤村の憂鬱」)。


【読んでみて考えた】
 一人の小説家が、主題になるモチーフをどう捜し、それを題材にして小説を書くのかよくわかる本だった。なんともそれは、大変なことだと思った。
 それ以来、「文学」というものがこれまでにないいやらしさの中にある本だったということが理解できたのではないかと思う。
 日々、生きて悩み、苦しみ、悲しみ等々。そんなことを経験してなお生きている意味はあるのか、という疑問を思う時「文学」がいかに大切か分かるよう気がする。
 生きていることに答えを求めようとする時代。そんな時代に翻弄されていきている人。いつになっても答えが出ない日々を送っている。

 そこに「文学」が登場してどんな役にたつのか。
 すくなくとも、読み継がれている作家にはなにかあるといいます。人生の人には経験できない非日常を描き、誰かの慰めにしてもいいのです。それが、作家の役目ではと思います。生き恥をさらし、それでも書き続けていかなければ人間はある意味「アホ」ではといいます。そんな職業にはいってしまったことに覚悟をもって小説を書いて私たちの前にその生き恥を小説としている作家論などもおもしろく読めるエッセーでした。



山口二郎『若者のための政治マニュアル』(講談社現代新書)

■政治の最も大事な目標は何だろう。~生命を尊重することである。人間の生命は無条件に大切だという前提がなければ、政治にかかわる議論は始まらない。人生の目的は人それぞれであるが、それも生きるという前提があってのことだ(p14)

■(戦争は)~人間の生命もしばしば軽んじられた。特に戦争が起こると、人間の生命は国家が目的を追求するために手段になる。国家は、戦争を起こすと、人間の生命を軽んじるからこそ、戦争で死んだ人間に過剰な意味づけを施し、栄光で包もうとする(靖国神社など)(p16)

■~政治家と違う価値観を持つ私やあなたも、「あんな奴」と名指しされるかもしれないのだ。政治家に、人間の気高い生き方じゃこうだとか、~このような生き方は意味がないなどと言わせてはならない。政治の第一の使命は、人間が人生をまっとうできるよう平和を守ることである(p20)

■どのような形であれ、人間が社会の一員として居場所を確保し、他者からも認められているという状態を、最近の政治学では社会的包摂(Social inclusion)と呼ぶ。~平和である(p28)

■競争万能の中で中規模の商店は続々廃業に追い込まれ、公共事業費削減で建設会社も倒れる。~生活の基盤が不安定な人々が、社会に大量に出てくることになる。政治学ではこうした現象を社会的排除(Social exclusion)と呼ぶ。社会は不安定になり、秩序は揺らいでいく(p29)

■人間の尊厳を守るためには、経済的な基礎は不可欠であるが、さらに、それぞれの人間が他人によって認められ、自分が生きる意味を確認できる場が必要である。そのような場をいかして再生するか問われているのである「生命を粗末にするな」(p30)




この国の冷たさの正体・一億総「自己責任」時代を生き抜く・和田 秀樹(朝日新書)
【内容】
なぜこの国はかくも殺伐としているのか? 個人、組織、そして国家、どの位相でもいびつな「自己責任」の論理が幅を利かせる。「自由」よりも強者の下で威張ることをえらび、「平等」より水に落ちた犬を叩く。私たちを取り巻く病理を全解剖。

■生活保護は、日々の暮らしのセーフティネットです。仕事を失った、病気で働けなくなった、母子家庭になったなど、人生にはいろいろなトラブルがつきもの。生活の手立てを失う可能性は、誰にもあります。そうなったときに日々の生活を再建するために、生活保護があるのです。この制度は憲法第25条の生存権を保障するための制度です。~「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」のことです(「『自己責任を突き詰めて行くと、どの先は死しかない』P23」

■一億総活躍社会を裏返してみれば、要するに「働かない人間を許さない」という社会です(P25)

■また、ある問題に対して、全局一致して叩くテレビという存在は、正義とマジョナリティの混同も引き起こします。このふたつは、まったく違うものです。~マジョリティが振りかざす現状は、どんどん日本を生きづらくしています(p35~36)

■自己責任がはびこるところには、必ずそれによって恩恵を受ける強者がいるということ。彼ら強者が責任回避の隠れ蓑として自己責任論を持ち出すということです(p42)

■私は、自己責任論の本当の目的というのは、高齢者殺しではないかと思っています。これから日本は史上類をみない超高齢化社会に本格的に突入します。蓄えのない高齢者や年金の少ない高齢者は、このままいけば、生活保護を受給せざるを得なくなるでしょう(p71)

■報道のあり方が自殺者を増やすということについて科学的な研究が行われているにもかかわらず、日本のマスコミは一方的に自殺報道を垂れ流しているのです。そうした配慮のない報道がなされているのも、マスコミが自殺を自己責任だと考えているからでしょう。しかし実際には、マスコミによる報道は、精神的疾患を抱えている人に行動のきっかけを与えてしまうのです(p90)

「都市の論理」=国鉄民営化。郵政民営化。
「地方の論理」=民営化によって赤字路線が廃止となり、出かけるときの足としての交通が分断される。切手代、手数料の増額。勤務時間の増。


 今、日本はどんな状態なのだろうか。
 通勤電車の中、8割がたスマホをながめ下を向いている。シルバーシートに若者が座り、これもまたスマホとにらめっこ状態。なにが気にいらなかったのか、怒鳴りあう乗客。
今年に入ってから周囲に起きているできごとから「今」を見つめるとすれば、どんなことがあるのだろうか。
 ぼくが、子どものころにくらべれば確かに世の中「殺伐」としているなと思う。それとも、あってもぼくが知らなかっただけかもしれない。
とはいえ、今ほど文章中にあるように「殺伐」とはしていなかったように思える。いまよりずっと貧しかった生活だったが、いまほど他人を冷たくみなかったように思う。

子が親を殺してしまう、子どもが子どもを死においやるほどいじめを繰り返す、老人が誰にもみとられずひっそりと死んでいく孤独死。働いて生活を楽しくしようと頑張っているうちに体を壊すほど働く過労自殺。残業代を払わないブラック企業等など、いいことより悪いことの方が多い。
 そんな中でも、そうならないようにと踏ん張る人。頑張っているうちはまだいいのだが、頑張れなくなったときのリスクを考えるほどの余裕がなくなってしまっているのが今日なのかもしれない。
 なぜなのだろう…と、これまでの政治や経済の動きの中からていねいに説明する。
 『この国の冷たさの正体』ではこれまでニュースのたびになってきた「自己責任」という言葉の正体を問い詰めていくなかでみえてくる安倍政権の「一億総活躍時代」の陰の正体が見えてくるように思える。日々の暮らしを楽しく、あたりまえに生活する人たちの多くのリスクのなかみが浮き彫りになってくる。

 大切なのは自分の居場所をよりよくするための「自己弁護」を考えていくことだろうと思う。誰でも、失敗はあるだろうし、それに対して叱責されることもあります。あまりにひどくなればパワーハラスメントという形ででてきて、それに対する保護も出てきます。それは、最終手段の方法でしょうか。その前に問題に向き合い、自分のできる範囲をよく知ってできない部分に対しては「自分を弁護」できるようにすることだと思います。その中から、問題の本質を考えていけば自分への負担が減りつつ、大事なことが見えてくるのではないのでしょうかね。



 1~2月と駆け足ですぎていったように思います。季節がまだまだ寒い日々が続きますが、もうちょっとで温かさが身近になってくると思うとうれしくなってきます。
 温かくなればなんでも解決するとは思ってはいませんが、ちょっとはおもてに出て自然を楽しめるのではないかと思います。
 
 仕事は…。少しずつ忙しくなってくるうのではないかと思います。
 でも、まだ、健康で仕事ができるくらいならまだいいのです。

 地震の揺れなどがあると5年前の3月11日をふとよみがえってきます。すこし、トラウマが残っていて「ゾッ」とします。まして、反省をしらない原発再稼働などの現実をみうると「いったいこの国は何を考えているのか」ということを思います。いくら言ってもきかない「わからずや」とかかわっているより「俺はおれの生きたいようにする」という思いもでてきます。
 何を言っても変わらず、停めず変えようとしないことにかかずらあってもラチがあかないとなれば、自分の一生は何かあるまで好きなようにするしかありません。

 最近読んだニュースのコラムに「だまってトイレをつまらせろ」という記事がおもしろく読めました。
 朝日新聞2月28日(日)版の「政治断簡」(高橋順子・政治部次長)さんの記事です。
 ある工場で働いていて、用をたしにトイレにいって、紙がなかったらどうしますか…という問いにコラムを書いたものです。経営者がケチって紙をおいていないのであれば、自分で手元にある新聞紙であれハンカチであれきれいにするために使えばいい。トイレがつまってしまってもあとは会社が考えてください…ね。ということでしょう。
 最近の安倍政権はまさに、聴く耳を待たないというのか「この道しかない」と言わんとしているやり方で国会を運営しているように見える。なぜ、「この道しかない」というのか。国民はいろんな考えがあって、選択肢をもって生きている。さすがに、貧しくていいひとはいないはず。でも、何億円持っても貧しいと思う人もいるかもしれません。その50分の1でもいいという人もいるかもしれません。
 すべてを持っているひとがいいとはかぎりません。
 となると、誰一人として「この道は一つではない」となるのでしょう。
 
 まさにそれが大事だといっているのだと思えるコラムでした。
 大事な自分の人生です。自分で決めていきたいと思います。

 来月は、新年そうそう亡くなった知人を訪ねて職場の友達と一緒に遠出をします。新幹線で1時間。
 また、ゆっくり山歩きを再開したいと考えています。
 これで、今月は失礼します。どんな2月でしたか…。
 今月のまた、まとまらないまま終わりそうです。
 お疲れ様でした。
 
 …読んでくれた人、ありがとうございました

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