こんにちは。
はやいもので1月も終わりです。バタバタとした感じもしないけれど過ぎてしまえば「速い」ものだと思えています。さて、何をやったのかという収獲も感じず、日々が去っていくようです。
休日の午後、知人のお見舞いに都心にいってきました(写真)。夕方、西日にがビルの間から見えるのをぼんやりと眺めていたら、こんなところで40年以上も仕事で通勤していたことにむなしくなってきました。
あげくの果てに、病気になって大病院に入院してしまった知人のことを思うとなんともやりきれなくなってくるような夕暮れ時の都心の景色に見えました。
知人との会話のなかで「仕事はきついが、人間どんな形であれ働けなくなったらおしまいかね…」という会話を思い出しました。「もう少し働きたいものだ」とも…。「できれば、のんびりと働きたい年齢だし」。
寒さもあってなんともやりきれない帰宅となった1月の終わりでした。
さて、月末は恒例の「今月の読書」コーナーです。一か月の間、ほとんど通勤や空いた時間をみつけて読んだ本の紹介です。本もじっと我慢の時間が必要です。じっと動かず本を読む持久力のある体力が必要なようです。その我慢のむこうには、著者の言いたいことや思いがやっと伝わってくるような気がします。著者の本位はどうかはわかりなせんが、自分の気持ちが出来てくるのが楽しい気がします。それが「感想」であったり「思案」でったりするのでしょうか。その面白さに、読んでできるだろうと思えます。
それでも、最近は本も高いです。新刊などは2000円以上は当たり前になっているようです。文庫本になりなで待っていてもいいのですが、年齢を考えると文庫本になる前に、わが身が絶版になってしまう可能性ももありで、永遠の会えなくなってしまうようなこともあります。
とりあえず、書店でみて「さようなら」で、図書館に通い、その作者のこれまでの著書を検索して読むしかないのでしょうね。
そんなところです。
2017年になって、今年はどんなものを読んでみようかと思いつつ始まりました。今年、一番初めに読んだのは、『遠い光芒』という小説でした。これは、昨年暮れに三国連太郎という俳優の本『出逢いの哲学』を読んでいたら紹介されていた一冊でした。生きていればいろいろな人とめぐり合うのですが、めぐり合うということはある意味その人への日々の努力へのご褒美のようなところがあるという感想でした。
日々の人への苦労や成功への報いとして「出逢い」もあるのだろうと思います。その俳優が紹介していたのが『遠い光芒』という本でした。私たちが、日々努力…しているかという裏返しのような問いを突きつけられているような気持ちもありました。そして、反省でしょうか。考えさせられる一冊にもなりました。
そんな出会いの本や人に、今年はどれだけ出会えるのだろうか、と思いました。
【著者紹介】木下富砂子:佐賀県唐津市生れ。1992年『鈴の音色』静岡市民文芸受賞。1993年『命消えし夜』静岡県芸術祭入賞。1994年『この流れの中に』北九州市森鴎外記念事業自分史文学賞受賞。1995年『峠の茶屋』田宮文学賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1921年1月2日生まれ。1946年6月中国・徐州市より引揚。1960年静岡市にて美容院経営。1992年『鈴の音色』静岡市民文芸賞受賞。1993年『命消えし夜』静岡県芸術祭賞受賞。1994年『この流れの中に』北九州市自分史文学賞受賞。1995年『峠の茶屋』田宮文学賞受賞。静岡市在住(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
『わが恋は炎なりき』より
■p30 …もう手遅れ。この言葉をこれまで幾度聞いたろう。もう手遅れ、もう手遅れ。炭鉱の暮らしでは何処かで誰かが言っている。生まれて来たのも手遅れながら、生きているのも手遅れ、死ぬのも手遅れ。
九州の炭鉱町を舞台にはじまるこの物語は、家族の物語でもある。
荒くれでもあった父と兄弟3人から始まるそれぞれの「生きる」という選択がどんな人生をつないでいったのか、興味深い。親から子へ、さらには孫へ受け継がれていく「生きる」が時代のなかで翻弄されながらもつないでいく。どんな運命でも、足を地につかせ出発していく、それしかないように思えた小説だった。
今、平成という時代にいきている間にこれまでの生きた証がなんらかの形で残っていることだと思う。当たり前だが、そのなかでも小説になることはごく稀なことだと思う。一つの時代に生きた市井の人たちの歴史はほとんどが姿になってあらわれてきていないのが現実だろう。
そのなかで、なにかの巡り合わせのようにこの本は感じて読んだ、今年「初読み」の一冊。
内容は九州の炭鉱町を舞台に繰り広げられる小説。
一つの家族から新しい家族、さらには異郷でのそれぞれの生活。家族の一人ひとりの思いをのせて追いかけては描かれていく。そこには、どこであれどうにか人の思いと自分の思いの葛藤の中ですすめていくしない人生を感じさせてくれる。そして、時代に流されながらも自分をふるいたたせる「言い分」を見失っていない物語はいい、と思えた。
読んでいたら五木寛之の『青春の門』を思い出した。この小説も九州の炭鉱町を舞台に始まる大河小説だったように思う(40年ほど前に読んだ)。
【内容】
イギリスのEU離脱、反イスラムなど排外主義の広がり、トランプ米大統領誕生……世界で猛威を振るうポピュリズム。「大衆迎合主義」とも訳され、民主主義の脅威と見られがちだ。だが、ラテンアメリカではエリート支配から人民を解放する原動力となり、ヨーロッパでは既成政党に改革を促す効果も指摘される。一方的に断罪すれば済むものではない。西欧から南北アメリカ、日本まで席巻する現状を分析し、その本質に迫る。
・■p196<大西洋を挟み、イギリスの「置き去りにされた」人々に続いて、アメリカの「忘れさられた」人々の逆転劇が演じられようとは、誰が予想しえただろうか。/font>
いま世界を席巻している政治の流れがポリュズムという流れだそうです。
ヨーロッパでも英国の難民受け入れに難色をしめし、EU(ヨーロッパ連合)を離脱するか否かの国民投票がで離脱派がわすかの差で勝ちました。さらには、米国では民主党のクリントン氏が有利とみられた大統領選挙ではトランプ氏が大逆転で大統領になりました。
これらの流れはいったい何かというと、「ポリュズム」だと言われます。では「ポリュズム」とはいったいどんなものかということで、今回の『「ポリュズムとは何か』水島治郎(中公新書)を読んでいました。
政治の流れは「わかりやすさ」も必要ですが、本当の弱者の生活をを贅沢ではないけれど通常の生活に引き上げることにあります。それには、底辺の力が必要になりそのパワーを、中流のなかに引きずりこませる政治が大事になってくるようです。
アウシュビッツ解放から72年、国連の式典でグテーレス事務総長が「ポピュルズムが、外国人への嫌悪やイスラム教徒への憎悪に拍車をかけている」(1月29日「天声人語」)の記事が印象的だ。
【内容】
太平洋戦争を機に海を渡り、戦後も帰国せずにその地で生きることを選んだ「日本に帰らなかった日本人」を、『17歳の地図』の著者が世界各地に訪ね歩きインタビュー。取材から完成まで20年の歳月をかけた渾身の書下ろしノンフィクション。インドネシア、台湾、サイパン、ポナペ、韓国、中国、ロシア、キューバ……終戦の混乱の中で、彼ら、彼女らの下したひとつひとつの選択、ひとりひとりの生き方を寄り添うように描く。
■p196 バンザイ・クリフのところにいくつもの慰霊碑が立っていた。その慰霊碑をはさんで、ピースサインの観光客が写真を撮っていら。戦争の記憶が風化するよりは、どんなかたちでも記憶された方がいいのか、僕には分からない。ただ複雑な気分でそんな光景をながめていた。
■p200 「短いね。人生の苦楽の楽もないのに、もう七三になった。苦労の連続だものね。子供の頃の希望通り行っていたら七三年は長いかもしれないかど、僕ら何も恩恵がないまま七三になった。これは短い。誇り? 誇りは仕事を真面目にやってきたぐらいなもんだ。休まず、遅刻せずに、ちゃんと仕事だけは真面目にやったというぐらいのもんじゃないかね」(金城善盛・サイパン)
昨年あたりから「戦後なになに」ということを多く耳にするようになった。
戦後と言われても…、という気持ちの方が強い。とはいえ、ぼくは戦争に行った父から生まれた子どもだ。いったい戦争とはどういうことなのかということは本や人に聞くしかない時代に生きている。実際、大砲や機関銃の音も聞いたこともない。まして、平成という時代に生れた人にとっては、親も子も戦争は他国の様子でしかみたこともないかと思う。幸いにも日本には平和憲法があるし、原爆の悲劇を世界のどの国よりも経験している国でもある。だが、そのことは平たんな道の中で生まれたものではないということも知ることができる。戦争という音も空気も知らないぼくたちは、幸福なのだろうと思う。
『ひとり記憶』(写真・文・橋口譲二)は戦争という時代に生きた人たちの話だ。ただ違うのは、戦争が終結しても帰国せず異国にとどまった人たちを訪問し話を聞いた記録である。
橋口譲二という写真家は戦後帰国せず異国に生きる日本人を訪ねるという。なぜ、帰国せずその国に残って生活してきたか本人と会話をつづけながら聞いている。いわば、異国で終戦をむかえた人たちの話である。
終戦をむかえた日、昨日までは征服されていた人々が自国の土地の自分にもどっていく。一方、支配者だった日本人が支配される側になっていく。
しかし、よく話を聞いてみると異国の地での敗戦は兵隊も住民も「やっと自分を取りもどした」という感覚だったように思えた。
敵も味方も、攻撃する方もされる方も「国家」という重荷を降ろした瞬間でもあったようにも見える。祖国に帰還する日本人にならず、異国での生活や選んだ理由を聞きながら思うのは、国は違っていても生きているもの同士、本当に自分の人生をまっとうしたいという理由があったからだろう。そして、大切に思えるのは、人は本来理解あえる存在だという安心感が残った。
それを引き裂くのは、個人ではなくて国家を背負ったときの人間なのだろうと思えた。事実、拳銃や戦闘機は個人の持ち物ではなく国家の持ち物だったということを再認識させてくれた一冊だったように思う。
「生きる」ことを大事にすれば、国とか祖国とかではない。昨日まで敵同士で戦っていても、国家に与えれた銃(暴力装置)から解放されれば、残ったものは「ともに理解しあい生きる」ことだけ。人は生き方が求められ、見られ理解しあっていくのだろう。
「再会」
生きてみるもんだなぁと、思う
その笑みはあの日の悲しみがあって
その口もとには強がっていた時間があって
そのえりあしにはやさしいにおいがあった
時間はそんなことを勝手に
忘れさせていくが
お会いしたその一日
40年前のえくぼが語っている
どんなに悔やんでも
泣きたい40年は
ただあなたを包んだいる
空気のなかにあるだけだ
生きてみるもんだなぁと、思う
その笑みはあの日の悲しみがあって
その口もとには強がっていた時間があって
そのえりあしにはやさしいにおいがあった
時間はそんなことを勝手に
忘れさせていくが
お会いしたその一日
40年前のえくぼが語っている
どんなに悔やんでも
泣きたい40年は
ただあなたを包んだいる
空気のなかにあるだけだ
1月も終わりですね。
どんな2017年の始まりだったでしょうか。知人は、まだ入院先で過ごしていました。きっと、来月、手術だろうともらしていました。
お見舞いに、一人で、遠い地方からきた知人を案内して再度お見舞いにと暖房で暑すぎる病室に通った1月でした。 「こんど、おいしいものを食べにいこうよ」と言って帰途にむかっていました。
出会いと別れ…。
そんななかでまた始まっていくようです。
1月は、人にも気候にも寒さだけが目立ってしまって「寒い」日が続いたように思います。そんななかでも、梅の花や蝋梅はきれいに花を咲かせていました。そんな景色を眺めつつ春が待ちどおしい日々です。
とにかく2月はいい月にしたいものです。
散歩をしていたら、引っ越しをしている若者たちを見かけました。みんな旅立つ日も近づいているようです。
体には自信がないのですが、ぼくなりにボチボチ始まっていこうと考えています。
さて今月はこのへんで失礼します。
インフルエンザが流行しているそうです。気をつけて予防してください。
もうじき2月が始まりますね。節分があって、立春が待っています。少しずつ温かくなっていくのでしょう。
読んでくれた人、ありがとうございました。
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