日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

2月がはじまりました

2017年02月05日 | Weblog

 こんにちは。
 節分、立春と少しずつ春を感じさせる催しがありました。節分では、豆を食べては今年の無事を呑込んでいるような気がします。
 季節は春と確実にすすんでいるように思えますが「心」のなかはまだ冬の寒さを引きずっているような気がします。例えば、職場で一人ずつ厳しい状況で仕事をリタイヤして、親の介護に専念していった人の送別会など、或いは体を悪くして入院してしまった人など…。
 自分の年齢がそれらを多く経験するときなのだろうかと思いつつ、春を迎えようとしているこのごろです。
 「年齢に応じて…」という言葉が引っぱって今を生きているのではと、ある意味あきらめているような気がします。身の周りの出来事を日々考えて、ちょっと楽しいことも考えつつ春をむかえたものですね。いつもフレッシュな気持ち、立つ場所も少しずつ変えていきたいものです。

 さて今週、米国のトランプ政権の傍若無人ぶりがニュースになっていました。まだ、具体的な動きは移民禁止の大統領令があっただけですが、今後もっと具体的になって政治になってくるように思います。
 それにしても沖縄の問題は、現実には反対の世論があるのに、無視されたような流れには困ってしまいますね。だいたい、沖縄には与党の国会議員はいないことの事実。そのことはっきり意思表示しているように思えるのですが。


 東京電力福島第一原発事故による福島県内の避難指示が今春、帰宅困難区域以外のすべての区域で解除される見通し。飯舘村と川俣町山木屋地区の解除が決まったほか、浪江町や富岡町でも調整が入っている。しかし、住民は困惑している。「この状況でなぜ帰るのか」。町民への説明会での会場方針に疑問が出ている

福島第一原発事故から今年は6年目。誰も住めなくなってしまった地域も多いと聞く。町には、人がいなくなって増えたのは野生動物という。放射能の除去も急ピッチで進んでいるように見えた。それでも、いまだに、放射能を除去した残土あとにも放射能は少なくないだろう。まして、除去しようとして掘りこされた土やがれきの行先もままならない状態だともきく。さらに、放射能をおおく含んだ水の行方が懸念される。水は命の源というぐらいであるからその点も、解決しているということも定かではない。

以前、安倍首相が「放射能はコントロールされている」と言っていたことを思いだす。本当に「コントロール」できていれば、避難地域の避難解除が出されても避難者たちは安心して帰るのはないか…。それが、新聞の説明会の様子では住民の質問に説得力のかける答えばかりで避難民の不安は増すばかりのように読める。
そして、気になったのは避難先での地元学校での差別・いじめが話題になっていた。

 まさに、地域では地元住民が「上から目線」で言いたいこといっている。まさの「ヘイトスピーチ」さながらのように思えるのは考えすぎだろうか。
 2020年、東京五輪の開催が目前でもある。外国の人たちはいったいどうみているのだろうか。何か、避難者たちの不安は「帰って本当に大丈夫」なのかという不安もあるが、避難先での「今」をどれだけ安定させることが大事なのではないのだろうか。時間が解決さるようなことではないことはわかるが、いま大事なのは避難先での生活を安定させることのように思える。ごり押しにしてしまえば、まさに「弱者囲い込み」にして隔離れているようにも思えた。


 インターネットの検索サイト「グーグル」に対し、自分の逮捕歴に関する記事を検索結果の表示から削除するよう男性が求めた裁判で、最高裁第二小法廷の決定は、検索結果を表示する表現の自由と比べ、プラバシーの保護が「明らかに優越する場合」に限って削除できるとする厳格な条件での判断基準を初めて示した。

 世の中が超スピ―ドで情報が流れる世の中にあっては「忘れられる権利」というのも出てくるのだろうか。パソコンで自分の名前を検索すれば、検索内容が地球をかけめぐって探し出す。自分の名前の一部が入っている文字を何件も表示することも可能な世の中だ。
 もし、犯罪をしてしまったなら小さな記事が世界中をかけめぐることになる。法的に罰せられて、服役して、新しい気持ちで更正しがんばろうと思った矢先に、検索した犯罪記事に自分の名前が載っていたらどうだろう。
 今回の最高裁判決はこの点がなかったとニュースになっているのだろうと思う。「他人の不幸は蜜の味」といいます。
他人の幸せをうれしく思える境遇でなければやっぱりねたみます。それだけでことが終われば世の中「まんざらでもない」と思うこともあります。他人の成功物語をいくら読んだり、聞いたりしてもしょせん他人のごとで、自分のことではないといつも思います。ぼくは、むしろ、失敗した人の方が親しみを感じますが…。それでも前向きにしている人に…。

しかし、ことが犯罪事件となると生命・財産に関係すると大変なことになります。他人の一生を決めるのは「憎しみ」ではないのだと思います。いっとき宗教や主義主張のちがいによって暴力が起き、「憎しみの連鎖」という言葉が世界中を席巻しました。これは、報復という形と権益ということがあるのだと思います。まさに「テロ」です。「戦争」ならまだ大義名分があるのでしょうが、テロはなにもありません。そんな気がします。

「忘れられる権利」というのは、加害者でも被害者でも必要だと思います。
 とくに加害者は、犯罪を起こしたことは一生消えません。それでもなお、生きていくために働くことになります。とてもまじめに働き、社会に貢献していることに自負することが大事ではないかと思えます。本人は加害者であることは忘れることないのでしょう。(忘れたいのでしょうけれど…)
要は、関係者ではなく、それを利用して悪用すること社会がおかしいのではないかとつくづく思えるのです。



 「形あるものはいつか壊れる…」とは知っていたけれど…。
1月末日。とうとうきた。
15年使った給湯器がとうとう壊れた。風呂が沸かない、シャワーが冷たい、床暖房がつかない。まして冬である。緊急避難でもしたいくらいの日々がきたのだった。その、予兆はあったが、俗にいう「ダマシ、ダマシ」使っていたのだがとうとうだめになった。ガス漏れも怖いといこともあって、某給湯器メーカーに相談してみた。「給湯器は寿命が平均10年ですから…」という返答だった。
 今年の冬をどうやり過ごすかということも考えてみたが、風呂に入れないのはつらい。さらには、銭湯が近所では少ない。さらに遠い…。

 とうとう某メーカーに来てもらい「見積書」なるものをつくってもらうことになった。その見積書見て、さらにふところが寒々となった。○十万円の価格。(オイオイこれは高いのではと思った)驚いた。多機能な給湯器は高くなるそうだ。寒さや健康を考えると「仕方ないか」とうらみつつ注文したのだった。
 「ローンも払い終わってもいないのに壊れないでくれよ!」と思う。これは、家族でも「予算案」という計画書も必要になってくるのだろう。

 独身時代、暖房器具などは炬燵とストーブですましていた。それで4畳半の部屋は十分だった。まして、風呂などは入るのも1日おきでたくさんだった。
 家族を持つようになって、全員を満足させるに十分な暖房はやはり一台のストーブでは間に合わないよう思えた。若さは、無理を体力でカバーしているようなところがあった。

 「いつかは壊れる」ということは暗黙了解であるのだろう。
 それにしても、自分がなるとは思わなかったというのが正直なところ。おそらく、壊れる前までには何らかのシグナルが送られてきたに違いない。それがどこでどんな形であるのか、わからないで日々を送っている。わからないのではなくて、わかりたくないと思っているのかもしれない。それでも、いつかは年数が弱った部分に拍車をかけることは疑いない事実だろうと思う。

 機械であれ、人であれいつか壊れる…。このことを肝に銘じていくしかない2月が始まったように思います。年齢を重ねれば重ねるほど、病気のリスクは高くなるようです。健康をちょっとでも意識して体にいい負荷をかけていくことも大事な日々のように思います。





『還暦のきもち』
気のきいたことはいえないが
「こんどうまいものでも食いにいこう」と
生活に日焼けした笑顔に
都会暮らしの田舎者には
ごちそうのように聞こえた

その日焼けが
たくさんの書物の1ページのことばより
ずっとみじかな
春を見つけたように思える

ただ、なおったら
「うまいものを食いににいこう」
そう、聞こえた後ろすがたに
日にあたっていくようなぬくもりと
本当のことを聞いたような
笑いながら泣いてみたいものだ
そんなこ日がきっとくるといい

 週末、先週に引き続き病院に兄弟のお見舞いにいってきました。ぼく自身、2週続けてのお見舞いにはおどろいてしまいまし。週末の遠出は大変でした。

 とへいえ、一度は顔をみせてみたいと思い出かけたのでした。写真にもあるように、醤油の町です。子どもの頃は、町にでかけるたびに、醤油の香りをかぎつつ過ごしていました。今でも、工場はあるのですが、昔ほどの醤油のにおいがなくなったのは気のせいでしょうかね。子どものころあったお店などはほとんどなくなていました。醤油工場はさすがに町のどまんかに工場がありました。さすが醤油の町ですね。たしか有名図書館もあったように思いますが…。
 野田は長塚節の『土』という小説で出てきますね。利根川と江戸川にはさまれた町でもあります。


 さて、今週はこのへんで失礼します。
 来週はもう一人の知人が再入院するようです。仕事も、雑誌の締め切りも近づいているようで忙しくなるのだろうと思います。まいたったね。
 では、このへんで。天気がくずれてきそうです。少しは雨も必要でしょうか。乾燥しすぎているから。
読んでくれた人、ありがとうございました。


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