日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

12月にむけて…一年間、ご購読ありがとうございました

2017年11月26日 | Weblog

 こんにちは。
 最近は本当に冬らしくなってきました。北日本では雪も降っているニュース映像も見るようになってきました。寒いわけですね。こんな季節は、私自身老いのせいもあるのでしょうか筋肉が固くなっていくようにも思えます。こんな時こそ、体に適度な運動が必要なのでしょう。外へ出てゆっくり体を動かすことが大切な季節なのかもしれません。
 「寒さの負けず…」ではなくて、寒さをうまく避けて日々生活することが必要なわが身を思うこのごろですが…。

 一年間、毎週の更新内容はいかがでしたが? 自分なりに更新記事を考えてみたものの時間の関係で「まあいいや」というときも多くありました。私にとって更新することは、日々の暮らしのなかで、自分への「一週間分の宿題」のような気持で更新してきました。そんな内容はいかがだったでしょうか。
 
 さて、今月は今年最後の更新となります。一年間読んでくれた皆様に感謝するとともに、来年にむけた準備もはじまる(?)ところです。


 11月になりました。今月はどんな本を読んだのでしょうか。
 今月は、前月の「年金」についての本を読もうという目標でしたが一冊カバンの入れっぱなしの状態でした。なかなか自分のこれからというものを金額という数字にしてしまうと「不安」ばかりがあるように気がしてなかなか手がつかず敬遠しているような月でもありました。給料もさがり、年金のありかたを知り、さらには自分の年金額を知る…ということがなんとも現実であることは知っていても「不安」でもあります。どんな答えがあるのかまさに「パンドラの箱」でもあるように思えてきます。


団塊の世代が定年を迎え、「第二の人生」を「夢の田舎暮らし」に託す人々が増えた。ところが……。安易に田舎暮らしを決めて、本当にいいのか? 厳しい自然環境、共同体の閉鎖的な人間関係、やがて襲ってくる強烈な孤独など、田舎に暮らすことの幻想を暴きつつ、それでも田舎暮らしを志向する人に向けて、自立し、目的意識を持つことの大切さを説く。田舎暮らし歴40年の著者が、豊富な体験から田舎暮らしに潜む危険を説く書き下ろしエッセイ。

 いくつまで生きられるかわからないが「田舎暮らし」なるものを考えたことがある。とはいえ月日が経ち、現実をみればますます遠のくばかりである。
 ぼくの「田舎暮らし」なるものは、仕事から解放されて日々をのんびり送りたいと…、この本を読むかぎりにおいてはいかにも危ういものであるように見える。なぜなら、まさに「幻想」のなかを自分の頭で考えられるバラ色世界だったと気づかされる忠告ばかりだったからだ。それでも、何も期待せず生きていくのであれば「ありかな」と思えないでもないことである。
 どうしてそう思うかといえば、ぼく自身が出身が田舎の出てあるからだろうか。ぼくの少年時代はまさの土の匂いのするとても不便な田舎があった。それを不便とも考えられなかったのは、おそらく若かったからだろうと思う。不便さは自分の体を動かせばどうにでもなる若さがあったからだろう。その体力もなくなり、何を頼りに「田舎暮らし」だという気持ちにもなってくる。なぜなら、何よりも大事なことは、近所の人たちのねたみや付き合いの中での田舎暮らしは、どれだけ耐えしのぎ自分の体と頭を田舎者らしくつくれるかが大事だということが読める本であった。事実、最近「村八分」という言葉を聞いた。(以下はその新聞記事)

【大分県弁護士会】「村八分やめなさい」人権侵害の是正勧告11/6(月) 19:18配信 毎日新聞
 大分県弁護士会は6日、就農のため県北部の出身地の集落(14世帯)にUターンした男性の世帯に対し、集落全体で「村八分」をしているとして、村八分をやめるよう是正勧告したと発表した。
 弁護士会によると、男性は母親の介護のため、2009年に関西からUターンしたが、11年ごろ、農地開拓の補助金の支払われ方に疑問を呈し住民とトラブルになった。母の死後の13年、集落は会議を開き男性を自治会の構成員に入れないと決定。その後、男性は豊作祈願などの行事の通達をしてもらえなかったり、市報が配布されなかったりしている。
 男性の申し立てを受け、同会の人権擁護委員会が調査、仲介に入ったが、集落が「構成員として認めない」との態度をとり続けたため、1日付で自治会長に勧告を送付。勧告は「男性の落ち度は少なく、一方的にのけ者にしている人権侵害だ」と指摘、男性を構成員として認め、平等に扱うよう求めている。
 弁護士会によると、村八分に関する勧告は県内で3回目。過去2回は公表しなかったが「農村部にUターンする人は増えており、同様のケースが増える恐れもある」と公表に踏み切った。集落がある市は取材に「まだ事情を聞いておらず、コメントできない」と話した。【尾形有菜】


 いまでも本当「村八分」はまだあるんだ…。
 田舎へのあこがれは捨てた方がいいね。
 今は「寄る年波」で肉体もあちこち傷んでいる。近ごろは、腰痛でなにをするにもおっくうになっている。そして、生活を支えるお金も低賃金で余裕などなくなってきている。これが事実だ。Uターンで若者を取り込もうという「地域おこし」でがっばっている人たちにはなんの恨みもないが、田舎も都会も人間は同じだろうと思う。



p194 土の中にミミズがいれば、農作物は長雨にも強く、干ばつにも強いという、まことに有りがたい話であるのに、このミミズの存在や活動について、あまりにも長い間日本人は忘れていたように思う。ミミズの掘ったトンネルは、作物の根が伸びるときにもちろん簡単に利用することもできるし、ミミズのトンネルは最上の肥効を持つミミズの糞で内張りされているので、作物は土の上にも、土の下にも結構この上なく成長することができる。

p256 そしてすべての食物連鎖のターミナル(終着駅)は人間の口である。

p319 健康な土から、健康な農作物を作り、それを食べてこそ人間は健康に生きることができる。大地という自然の恵みなしに私たちは一日も生きていることはできない。二十年も前…。

p366 人類の祖先が森を離れ、草原で狩りをして生き始めたとき、彼らは猛獣の牙や爪に対抗するものとして道具を選んだ。これが人類の第一の革命である。二百万年ほど昔のことだ。第二の革命は、人間が火を使い始めたときに起こった。正確な年代は分からないが、五十万年ぐらいの昔のことらしい。


 最近の日本はとても清潔になっているのか、それとも「隠されているのか」あまり「公害」という言葉を聞かなくなった。以前は「水俣病「「森永ヒ素中毒」などの公害反対の運動が日々聞いた。最近みるのは、その後の保障問題での裁判記録が多い。
 とはいえ、本当に公害はなくなったのか…、といえばなくなってはいない。放射能汚染はその先頭になっていることはだれでも認めるところだと思う。
 福島第一原発事故から、放射能は、除染処理などはやっているがまだまだ終わっていない。むしろこれから始まるのだろうと思う。放射能汚染で人体に被曝した人たちが影響をでるのは数年たってからというから、これからの問題だろうと思う。放射能汚染から避難した人たちを「ヘイトスピーチ」がごとく非難する人もいる。こういう人間の性格じたいも「公害」のように思える。
 「複合汚染」はまさにそのことを根ほりはほり、と作家・有吉佐和子が調べた小説。最近、こういう作家がいないように思う。
 ちなみに『沈黙の春』レイチェル・カーソンもこの部類の本だ。いつか読んでみたいと思う。



p39 人生は予測不能なことが多くて、未来にいったい何事が起こるかまったくわからいが、人間は死ぬことだけが確実である。

p104 ただ大切なのは、その「関係」あるいは「つきあい」というときに、その相手にしろ、在り方にしろ、実に多様なものであることを知っておくことなのだ。特定の相手と特定の関係に固執してしまうと、動きがとれなくなってしまう。そのとき、人間以外のものとの関係を、そのなかに入れてもつことは、意味が深いと私は思っている。


 最近「友情」や「愛情」などあまりにも鈍感になっていて、忘れているような気もする。思い返してみればあれが「友情」だったのかと思うことがある。
 それにしても、最近の付き合いはいったい何なのだろうか。おそらく「義理」ではないかと思える。「義理」と「人情」が心の奥底にあるのだろうと思う。世の中、口では「ドライで…」てなことを言うが、本当は意外と義理や人情で動いているのではなのだろうかと思う。それが、うまくいっていれば何とも思わなくいるだけで、気まずい思いをしたら「ドライ」に行こうと割り切るのだろうと思う。

 原則は本にも書いてあるように「一人では生きていけない」という大原則がわかっていればいい。だから…、苦しみもがけばいいだけ。そしてその経験を次につなげればいい友達もできることだろう。それが「戦友」にもなるのだろうし、これからの人生にプラスになっていくのだと思う。
 まあ、ときどき会って話をしていて、元気になれる(楽になる)、元気にしてあげられる人…、それが友だちなのだろうなぁー。そんな人、周りにもっていますかなどと考えさせられた本でした。
 ところで「大人」ってどんなひとなのだろうか…とも思う。ばかばかしいほど「大人の対応」というが。



p214 私は政権や官邸へとつまがる。唯一のドアをノックできる環境にいる。…「空気を読まない」とよくいわれるが、そのとおりだと思うし、むしろ読もうとしていない。


 いまいちばん大事なことはなにか…と言われれば「本当」を引き出すことではないかと思う。これだけSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が発達している世の中で、どれが本当のことなのかわからなくなってきている。ちょうど、ウソと本当の綱引きをしているような状態ではないのだろうか。分からなくされているのか本当に知ろうとしない限り、本当のことはわからなくなっているような状態ではないのかというところが現実ではないのだろうか。毎日、新聞などで目にする記事は、大事な仕事だろうと思える。それがまさに自分の暮らしにかかわってくるのであればなおさらのこと。では、誰が真実を述べているのかといういことも大事な選択肢となってくるのだろうと思う。分からなければ、それこそ「忖度」とかいう空気によって流されては、悪くてもついていくしかなくなるのではないかと思える。

 安倍政権がこれほど長くつくづく中、政治の核心をどれだけ記者が国民に伝えているのかということを日頃思う。「丁寧」「謙虚」という説明は本当にやっているのか…。それらを追いかけている記者の本だ。最近の放送や記事がなにか変だと思う一人として『新聞記者』という本は、政府の答弁に質問することから始まって、その真意をききだすドアにいる。ジャーナリストの存在はいまいちばん貴重なときかもしれない。新聞などで記事になるのはほんの一部にすぎないかもしれません。それでも、読者にとっては、そこから読めるヒントをたくさん与えていると思います。大事な仕事だとつくずく感じた一冊でした。「フェイクニュース」「ポスト真実」が一気に流行語となっている昨今、信じきれる記者をさがすことさえ大変な世の中となっているからなおさらだと思う。



 今後の宿題として…とおこうといます。今回もカバンに入れて歩くだけにならないようにしたいものですが。



 今年も残すところおとそ1カ月弱。冬の木立から一年間いっぱい太陽の光をあびて栄養を木々に蓄えてさせてくれた葉が紅葉して落ちていきます。なにかと寂しい木だけが目立っています。それでも落ち葉は土の栄養となって春に緑をつくる栄養分として土にかえっていくのでしょうか。

 さて、来月は楽しみな「年末一時金」の季節なのでしょうね。私のところは「再雇用」になってからはありません。なぜなのだろうか…、ということをいつも疑問に思うのですが、現実にないのです。通常であれば、12月はボーナスもあり楽しい気分でどうにか忙しさも乗り越えられるモチベーションになるのでしょうか。だから、年に2回のボーナスは働く者にとっては大事な賃金の一部であると思います。

 そんなことを思いつつ、靴のバーゲンに行って来ました。場所は浅草です(=写真)。福引などもあり、いかにも年末が近づいている気がしました。
 私は、ここに2年1度くらいで来るようになっていました。名ブランドの靴はありませんが、靴底などがしっかりしたものが多いのには感心しています。モノづくりは楽しいものでしょう。同じモノつくりをしている人間として、バーゲンにくるたびに思います。

 そういえば『男はつらいよ』の映画で、寅さんの甥っ子のみつお君の就職先が靴屋さんでしたね。それも浅草だったような気がします。靴の営業にいたような気がします。デパートをまわって靴を手配しているシーンがありました。
 何回目かのシリーズでそんなシーンがありましたね。靴をめぐって多くの労働者がかかわって手元に届いていることがわかります。

 これまで日本の製品は「メイドインジャパン=自信の持てるモノつくり」でした。最近は次々に企業の偽装が発覚してモノづくりの信頼が揺らぎ始めているように見えます。それも、私たちの暮らしに直結する自動車や航空機の部品の偽装などがいわれています。なぜ、こうなってしまったのでしょうか。それも、それに関わった人たちの気持ちを思うとモノづくりについていつように非難できるものではないように思います。その背景には、その人の気持ちより優先されたものがあったのだと思えます。一流企業のブランドも根本は利益をあげるためにやることは同じなのでしょう。「どこかを省略可」して利益をあげることになっているのでしょう。今後はそんな経済の背景が問われるのだと思えます。「経済優先」その先行きは「偽装」ではありません。
 「メイドインジャパン」のモノづくり日本の復活。バーゲンであろうとなんであろうと、それを利用する人が信頼できるモノづくりが今後も大切なことだと思います。

 

 もう師走が近づいています。私の仕事は以前よりは楽になったものの12月は忙しい月にはかわりはありません。
 「多忙」という時期に人の関わりがいちばん大事な一ヵ月にもなります。そんな思いが毎年、この時期に浮かびます。
 さて、今年はどんな「多忙」ななかで仕事をしているのでしょうか。
 年末一時金も出ない年末はさびしいものです。ややもすると、モチベーションという言葉もなく消化するだけの日々になると思います。それを、支え合うのも人と人の関係です。どれだけ、人を思い、関係し終わらせるのか12月のテーマでもあるようです。
 まあ、焦らず、怒らずを言いきかせて日々を過ごせたらと思います。
 ということで、今月はこのへんで失礼します。


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