日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

10月…お疲れさまでした

2012年10月28日 | Weblog


 こんにちは。
 朝夕が寒くなってきました。うっかりしているとカゼをひきます。今年のインフルエンザはどうなるのでしょうか。日々の仕事で体が弱っていれば、すぐにつけまれカゼをひいてしまいます。まずは、体力をつくっていく日々がいちばんだと思います。

 さて、週末、友達といしょに高尾山歩きにいってきました。天気は曇り空。
 汗をかいて休むと、寒くなっています。温かいものがうまいくなってきてもいます。それにしても、一緒にいった人が20年も年が離れていると、のぼりに下りに体力のなさが身にしみます。息子のような年齢差です。私だって、昔はこんなに元気に歩いたのにとぬかるみをころばぬように行ってきました。

 そこで、年齢差は気にせず、私なりの歩き方がいちばん楽なことに気がつかされます。山は高いところに登っていくのもいいかもしれませんが、私の場合は歩くことを目的にしていますので、どこでもかまわないのではないかと思います。ただ、木々があること、風の音が聞こえること、自然の色がわかるところ……が条件になっているように思えます。低山歩きは、そんな余裕をつくってくれるように思えました。

 今週、都知事が突然辞職したのには驚きました。オリンピック東京招致も失敗し、その予算も一部不明のままの辞職でした。それに、80歳という年齢。その老人に政治を任せるのかというのも、私は不安感を感じます。なぜなら、政治が失敗したところで責任のとれる年齢ではあるまい……と思えたからです。
 原発のことを思うと、さんざん「原発は安全」ということを推進してきた政治家や科学者たちで、今生きて証人になる人が何人いるのか…ということも頭をよぎりました。その時代は、頑張っていてても、次世代にはとんでもない事故がおきたときには、もういないのです。生きていた時代その政治家は栄華を楽しんでいても、次世代にとっては疫病神でしかないのですから……。

 さてさて、週明けいよいよ国会が招集されはじまります。いったいどうなるのでしょうか。赤字国債発行賛成で解散かね……。

PHOTO:いよいよ冬の到来ですかね…。木々の紅葉もはじまるし、風は冷たくなってきました。それに、日が短くなりましたね。山歩きをしていても、うっかり昼寝でもして時間を忘れていると、急に寒くなり、暗くなっています。さっさと荷物をもとまて下山するありさま。でも、日が高く昇っているうちは、風の音を聞きながら静かな時間が山では最高です。
 平日、休みをとってぼんやり公園を散歩をしていると、お母さんがと子供が落ち葉を踏みつつ歩いていました。子供の成長を誰よりもねがう母のあたたかい愛情で寒さも忘れさせてくれるのでしょうか。しっかり、歩いていました。
 季節は冬になります。北風に負けずにがんばれ……!
 ふと「休むことも仕事のうちだな」と思いました。





 今月の本の紹介です。
 最近、日本文学でも昔の作品を読もうと考えています。なぜなら、世間では「いいよ…」といわれても、「自分にとってはそれほどでもないという作品もあるのでしょう」と思うからです。そうは、いっても、名作はどこかに、きっとすばらしいと思えるところがあるのではないかという期待もあります。なぜなら、星の数ほど出版されるなか、いまでも店頭にならんで生き残っている、ということです。

 人にはそれぞれの個性があるように、作品にも個性があるのでしょう。その中で、自分にあった、その時、その場所、その気持ちにあった作品があるのだと思います。それが、数珠のようにつながって、読者の個性をだすのではないかと思います。

 さて、今月は名作中の名作?と呼ばれるノーベル文学賞受賞・川端康成の「雪国」を読んでみました。以前「伊豆の踊り子」という作品を読んでみたことがありますが、わたしは「伊豆の…」のほうが好きです。どちらも、淡い恋心……という内容で、前者は不倫という大人の恋、後者は若者の青春の恋を描いています、どちらの小説も男のめめしさよりも、女性の大らかな人間が印象的でした。読んでいて、どこまでいっても男は、ビジアル系ロック歌手がゴールデンボンバーの歌に「めめしくて、めめしくて……」のようなところがありますが、まさに、そんな男がでてきていますね。

 次に「裁判百年史ものがたり」が面白かったです。
 裁判員裁判がはじまり、私たち一般人も裁判に参加することになった昨今、一度読んでみてはいいかと思います。裁判官の苦しみ、被告の環境、弁護士の闘い…と一つの裁判が結審するまでは、被告の裁判官、弁護士の人生がかかわってきているようです。時代の流れのなかで、被告の位置付けがどう変わってきたのかがわかります。昔は「問答無用」な裁判から、被告の犯罪を犯すまでのすべてを調査して、犯罪を犯す原因まで裁判の資料とした「永山事件」などが紹介されています。

 今月はこの二冊が特に印象的でした。


    

◎裁判百年史ものがたり/夏樹静子/文春文庫


【内容】

裁判はこんなに面白いのか!時代を変えた12の法廷ドラマを、夏樹静子が迫真のノンフィクションノベルに。帝銀事件、永山則夫事件など有名事件から、翼賛選挙に無効判決を下した裁判長の苦悩、犯罪被害者になった弁護士の闘いまで、資料を駆使した人間ドラマとして描く。判決の裏にあった人々の苦闘と勇気に胸が熱くなる傑作。(本紹介より)

【感想】

 裁判など……これまでは未知の世界だった。
 自分が事故でも起こして裁判にかかわらない限り、永遠にかかわることがないだろうと思っていた。それが、「裁判員裁判」という形ができて、ややもすると招集令状ではないが、出頭せよになりかねい世の中になってしまった。

 おそらく、わが零細企業ではご辞退するしかないだろうが……。
 最近、話題にならなくなったが裁判員裁判はやっているんだろう。軽犯罪から凶悪犯罪に至るまで参加して、評決する一人としておこなわれているのだろう。

 しかし、一人の人間を「罪名」をつけて判決するのは大変な作業だと思う。まして、証拠となる物証でてこない限り、これは「無罪」に近い。まして、最近は警察の供述調書での証拠は、証拠にならない時代にきている。

 私はいちばん注目したいのは「永山事件」での精神鑑定書だろうと思う。最近みた、NHKのドキュメンタリー「永山事件」で大きく取り上げれていた。小さいころから、両親に兄弟にとことんいじめられ、唯一心のよりどころの姉も病気になってしまい、生き場がなくなってしまった永山少年の事件の背景はすさまじい。強度の人間不信におちいっていく姿が痛々しかった。

 少年犯罪が増える昨今、そんな社会環境の変化によってさまざまな事件が起きてくのではないかという思いもよぎる。いつ、なんど、自分が加害者、被害者になるかわからない世の中こそがおかしいのではないかと思う。
 これほどに人間を凶悪にしてしまうのも人間、人間を救うのも人間…だと思えた。また、裁判員裁判に参加した人の後遺症が話題になっているのも気になるところでもある。
 
夏樹 静子
東京生れ。慶応義塾大学英文学科卒業。1973年、「蒸発」で第26回日本推理作家協会賞を、1989年、フランス語訳「第三の女」で第54回フランス犯罪小説大賞を、2006年、日本ミステリー文学大賞を、それぞれ受賞する



◎僕たちはいつまでこんな働き方をするのか?/小暮太一/星海社

【内容】

『資本論』と『金持ち父さん、貧乏父さん』から見えてくる、毎年全力でジャンプしなくても高いところに手が届く「次世代の働き方」。

【感想】

 読んでの感想は、この本は「経済学」の本です。資本主義のしくみを理解する本でもある。
 多くをマルクスの「資本論」から比較して、現段階における自分の位置を確かめてから働こうということだと思える。無理をするより、その無理を経済学的に分析して、いまここだよ……と教えているような一冊だと思う。

 賃金(給料)はどう決まるのか?ということからはじまり、いかに資本家は労働者を働かせて利益を得ているか解明している。
 そのなかで会社の利益と自分の利益が一見同じ土俵にいるように見えるのが経営者の知恵のつかいどろ。実は賃金はどんなに働こうと契約で決まってしまっている。それが利益をつくっているという。

 要は、その契約ではじめから自分を高くする方法が大事だといってもいる。
 とはいっても、限界があるように思う。
 マルクスがいっていることにもう一つ大事なことを忘れているように思う。
 『万国の労働者、団結せよ』という意味である。資本家と労働者の力関係である。どんなに頑張ったところで、資本家主義経済は結局のところ労働者は産業予備軍。格差がでてくるのか、それがどう解決されるべきなのか……ということを期待したいたが、ちょっと期待はずれだった。

木暮 太一
作家、出版社経営者。1977年千葉県生まれ。慶應義塾大学を卒業後、富士フイルム、サイバーエージェント、リクルートを経て、独立。ビジネス書作家として活動しつつ、出版社(マトマ出版)を経営している。大学の経済学部在学中に「資本主義経済の構造」と「労働の本質」を学び、その後10年間の会社員生活で「労働者のリアル」を体感しながら、現代日本で若者が現実的に選択し得る「幸せな働き方」を追求してきた



◎にほん語観察ノート/井上ひさい/中公文庫

【内容】

お役所言葉はなぜ難しい?必ず笑える駄洒落のコツとは?ふだんの言葉の中にこそ、日本語のひみつは隠れているのです。「言葉の貯金がなにより楽しみ」という筆者のとっておき。持ち出し厳禁、言葉の見本帳。(著者情報より抜粋)

【感想】

 日々生活していると、場所、時間、あるいは天候によってさまざまな日本語で表現されていることに気がつきます。その言葉の意味をもっとさぐっていくと、以外と面白いことがわかる……ということを気がつけせる一冊です。

 日本人の表現が大きいものから小さいほうへと、視点の移動の仕方がある…ということも面白かった。外国では小さいから大きい方へ視点がいどうするそうだ。例えば、ある新聞社の記事を説明するのに、○○新聞の△△記事というのが、外国では△△記事は○○新聞というように視点がつがうそうです。

 そうえいば「大は小をかねる」みたいなものが発想の根底あるからでしょうかね……。これを文化の違いだけでなく、しつこく研究してみると面白いかもしれません。

井上 ひさし(イノウエ ヒサシ)
1934(昭和9)年、山形県に生まれる。上智大学仏語科卒。「ひょっこりひょうたん島」など、放送作家として活躍後、戯曲・小説の執筆に専念。72年、「道元の冒険」で第17回岸田戯曲賞、「手鎖心中」で第67回直木賞、80年、「しみじみ日本・乃木大将」「小林一茶」で第31回読売文学賞、「吉里吉里人」で81年、第2回日本SF大賞、82年、第33回読売文学賞、91年、戯曲「シャンハイムーン」で第27回谷崎潤一郎賞受賞。99年、第47回菊池寛賞、2001年、第71回朝日賞を受賞。03年、戯曲「太鼓たたいて笛ふいて」で第44回毎日芸術賞、第6回鶴屋南北戯曲賞を受賞する





 はやいもので、もう今年も残り2か月。散歩道では年賀状販売の、のぼりがありました。まいってしまいますね。
 これといってやったものはなく、収穫もなく11月が始まろうとしています。
 さて……。おれって何をした一年間だったのだろう…と思う月末でもあります。会社が移転後、ガムシャラに走ってきたように思います。
どこかで、誰かの小言を何度もききながら、11月になります。

 まあ。こんなもんか……俺の一年は……と思うばかりです。
 まだまだ、続く今年はどうするのか?
 
 私の一生、私の人生…まあ、楽しくしたいと思います。それには、どんなに思われようと私なりにプランをねって、反省しして、また前に進むしかないようです。近所の子供の成長が早いのに驚きながら、自分がそれだけ年をとったことをきもに命じていくしかありません。
 
 それと、またマンションの理事会で二度目の理事になることに……。もうそんなになるんか?
 それもそのはずだ、洟垂れ小僧がいまは中学受験だと…話すくらいですからね。時代はめぐるわけですね。
 まあ、いまは体に気をつけていくしかないようです。


追伸:11月になったらまた、ゆっくり紅葉を見に山歩きにいきたいと考えています。高尾山は11月中旬以降でしょう。今度は、朝早く行きたいものです。お疲れ様でした。

*読んでくださった方、ありがとうございました。


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