こんにちは……。
寒くなってきました。
朝、通勤電車からみえる近所の公園の木々がすこしずつ紅葉していました。どこへいくにも、寒さを避けるために工夫をしなければならない季節になってきました。ぼくは、これがそうも面倒くさく感じる季節になってきました。
電車では、着膨れで満員電車がさらに、窮屈に感じる季節になってきたということでしょう。
とうとう鹿児島県の川内原発再稼働について県知事が容認したというニュースが流れてきました。あれほど、福島原発事故の被害が騒がれているにもかかわらず、それでも県議会の再稼働賛成多数で容認しました。
容認の理由として、①事故時に国が責任を持つことなどを国が約束した。②原子力規制委員会の審査で安全性が確認された。③立地自治体の薩摩川内市と市議会、県議会の同意が得られたといった点で容認。
「容認」はいったいどういうことか?というと「再稼働」あり、ということなのでしょうか。それにしても、この容認をを歓迎しているのは、安倍政権と大企業、電力会社でしょうか。喜んでいる場合ではないと思うのですが……。
この結果をうけて、安倍政権はさらにエネルギー政策を原発に舵をとってくるでしょうし、ますます、東京電力福島原発事故は置き去れてしまうのではないと思うのは心配しすぎでしょうか。
日本は火山大国、最近では御嶽山が爆発しています。そして、地震大国でもあります。気象庁でさえあまり正確な予知ができない自然災害。そして、福島原発の事故の対応がまだまだ不十分ななか、ひとつも原発事故に対する具体的な「安心」が得られていない状況なかで、再稼働は時期尚早な気がします。
また、安倍政権が進める「集団的自衛権行使」による、海外派兵となってくれば、もし、攻撃された場合、日本の海岸線にある原発は格好な標的になりやすくなります。(もちろん、こんなことは許せすべきことではないのですが)。
原発が再稼働されれば、標的になってますます、地域住民は危険にさらされることになります。なんとも、安全どころか、安倍政権がやればやるほど危険が増大すていくことになります。……こんなことが誰にでもわかることだと思うのですが、これでも「再稼働」という動きには理不尽を覚えます。
国が責任をとる……。といわれても今まで責任を取る、といって本当にとってきたのでしょうか。福島原発事故では、避難生活をしている人、被曝をしてしまった人などが国の責任を追及して裁判闘争までやって、やっと認めるということをみれば責任がとれる……などということが本当にできるのか…とさえ思えます。水俣病も何十年も国の責任を認めさせるため裁判をやって認めさせた、という歴史をみても本当だとは思えません。
こんなことでは「再稼働賛成」などということはできないでしょう。
これで、一斉に再稼働の動きがくるとは思いません。まだまだ、不安は少しもとりのぞかれているとは思いません。
むしろ、廃炉にするために国の予算をつかうほうが未来のためには「生きたお金」になるのではないかと考えます。
それこそが、人がとりあえずの「安心」なのではないかと思えますが……。
もう一つ気になることがあります。
「派遣法改正案」です。現行3年となっている企業の派遣労働者の受け入れ期間制限を撤廃するという改正法案。審議会では、塩崎厚労相は「派遣で働く人の待遇の改善を図る一方で、正社員への道我開かれる」といっています。民主党は「一生、派遣労働者を続けることを認める内容」と反発していました。
本来、派遣などという地位はやめるべきだと思います。なぜなら、派遣社員をやっているとうことは一生、生活に不安定を強いることだかです。派遣は増えてきた背景は、安い賃金でいつでも解雇できる労働者として登場してきたのだと思います。何年か前に、秋葉原無差別殺傷事件がおきました。事件を起こした人も派遣労働者であり、雇用に不安定ななか起きた事件だと思われます。なぜ、こうなってしまったのか? ということをいつも考えます。
連合も改正には反対のようです。また、全労連、全労協なども反対の声があがりました。こんなことは、本当にめずらしいことです。
よほど、悪法なのだろうということなのでしょう。
子供の声がうるさい!、という記事がありました。
いまは、子供の声さえも騒音になってしまうのか……。
おかしいような気がします。だれでも、子供だったのに。大人になったらうるさい(騒音)とは、最近の大人はどこまでわがままになってしまったのかなあ。シルバーシトに座るやいなやスマホをやりだす大人がいるってことを考えれば納得するか。
それにしても、ちょっとおかしい。
私は子供の元気に遊んでいる声をきくと元気になうりょうな気がしますが……ねえ。公園で野球をやってはいけない、という看板もおかしいか。
みんな、子供だったころを思い出してください。
『意思表示』
何をしたかったのだ
何を言いたかったのだ
どこへ行きたかったのだ
○
今日のできごとを言葉にすれば
「最悪」
他人(ひと)とのズレが
溝をつくる
「不信」という言葉があたまをもたげる
それでも自慢下げに語る人々に
見るにつけ
悲しくなるのだ
○
これが私の意思表示
それでもいいといってくれる
人もなく
私だけが納得する
それが
意思表示
今年も、あと2ヶ月ばかり。
年賀状も発売されはじめました。喪中のはがきもまいこんでくる時期でもあります。
いったい、日本はどんなところへ向かおうとしてるのか…という不安さえ覚えます。沖縄では連日、県知事選挙投票日(16日)にむけて選挙戦が繰り広がられています。原発は「容認」。沖縄は辺野古基地移設賛成という流れになっていくのでしょうか。まだまだ、安倍政権への批判の流れは続きそうです。
今月11日(火曜)には国会デモが予定されています。原発が再稼働容認がでても、実際に動くかはまだ未定です。これで、火山でも噴火したら無事避難訓練はされるのかもわかりあせん。
何ができるのか、ここには仕事が帰りに行ってみようと予定しています。何もできないそうもないから少しでも身近にあるものは参加しようと思います。職場でもいろいろ問題がありますが……ね。
本当はまっと楽しいことを書きたいのですが、現実がそうさせていないようです。できることは少しでもやっていこうと考えていますが。
世の中なかなかうまくいきませんね。それでも、自分の立つ位置はつくらないと、物事にたいする私というものが流されて行ってしまいそうな気がする。
ゆっくり頑張ろうと思います。
それではまた、来週まで。
*読んでくださった方、ありがとうございました。
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