こんにちは、お元気ですか。
寒さを感じながら歩く日々が増えてきました。雨が降るとさらに寒さが身にしみてきます。遠くに聞こえる灯油販売車の「月の砂漠」のメロディーが「あー、冬がちかい」ということを感じさせてくれているようです。この時期は、朝夕がポケットに手をいれるような寒さがありますが、日中は晴れていれば暑くなったりと温暖の差がはげしいようです。服を脱いだり、着たりとめんどうな日々でもあります。とはいえ、これをやらないとカゼをひいてしまうような日々でもあります。こうして、少しずつ寒さを感じながら冬になっていくのでしょうか・・・。嫌いな冬がやってくるのは好きではないのですが、これも自然の流れなので仕方がないと思っています。多摩川散歩で見た富士山の頂上に雪がたまっていました。どうりで寒いわけです。
さて、今週は、19日の台風の被害の修復もままならない中、またしても豪雨によって被害はとまりません。とくに千葉県や東北地方の被害は甚大です。死者も多く出て、家屋の浸水なども多くなっている状況にあります。日本は地震での被害もあるなかで、今度は集中豪雨、地盤沈下、河川の氾濫などが次々に起きる国となっています。きっと10年前の日本の四季の流れとは違ってきているのでしょうか。おそらく、ぼくが子どものころの四季のうつり変わりも全然ちがってきているのでしょうか。
今月は、ぼくの好きな城山三郎さんの小説を読んでいました。いろいろあるなかで手に取ってみる本は、星の数のほどある中での一冊ということになります。どうして、この本を手に取って読んだのかを読むまえに考えたみると、きっと今回の被害をもたらした台風19号で水害の大きさがこの本を手にとらせたのでしょうか。研究者なら、地球温暖化のことや地質学などのことも研究して被害のメカニズムなどを考えているのでしょうか。ぼくにとってはそれほど突っ込んだものを読む気力と時間がないのでむしろ、その被害でどんな状況であったのか、それに被害のなかでダムがどれほど役立っているのだろうか・・・ということがきっとあったのでしょう。だから『黄金峡』という小説を読んでみたくなったのではと思っています。そして『雄気堂々』はその流れの中で読んだのだと思います。理系より文系なんでしょうね。
とういうものの『雄気堂々』は二度目のようです。本の片すみに読んだ記録をみたら1990年とありました。ぼくが若かりし頃きっと手に取って読んだのでしょう。字が小さくて難儀しました。もう、字が小さいのは、とりあえず敬遠してしまいがちです。
最近は、ときどき昔読んだ本をもう一度読みたくなる本も増えてきました。ところが、字が小さいのにはどうも老眼の目には「真っ黒」に見えてしまうので疲れますね。さらに、本を探すとなると日々のズバラな性格なので「どこへ」ということがあります。めんどうくさいので、図書館で検索してみたりあるいはホームページなで検索してみたりとしています。悲しいのは絶版になっている本もあります。さがしているうちに根気負けしてそのままになっているのも多いようです。
読者のみんさんはどうしているのでしょうか?
【メモ】
東北の静かな山村に、日本最大のダム建設計画が持ち上がった。交渉のため村に乗り込む開発側と、先祖伝来の土地に愛着を抱く住人たち。多額の立ち退き補償を巡り、村は賛成派・反対派に分かれ騒然となる。ダム建設は、人々に何をもたらすのか。補償交渉に翻弄される人々の苦悩ーーダムが人を壊していく……。ダム問題をえぐる衝撃作。高度経済成長黎明期の1959年に、経済小説の先駆者が執筆した傑作社会派小説。(講談社文庫紹介より)
いまごろの季節はこのダムのモチーフとなった舞台は紅葉の季節となっていることだろうか。舞台となったのは福島県の只見川における発電用の田子倉(たごくら)ダムを舞台とした小説である。ダム開発をめぐって住民の思惑がとびかう中、それぞれの人間模様が写しだすがたが今も昔も変わってはいない姿なのかもしれない。ダムを造るために開発推進する国と住民との対応をめぐる小説でもある。
ダム建設を進める国は住民に金銭を提示しながら切り崩しをかけてくる。住み慣れた土地から離れるのはつらい。その穴うめとしての保障金をめぐって若者と老人たちの対立・・・。同著者の作品に『人生のる流儀』(新潮文庫)のなかで「金銭と人間で、金には加害者のにおいがする」と語っている。
とはいえ、保障に当たっては金銭で解決の糸口しかないのも確かなことである。そんな意味で考えるとお金が「万能薬」のようなところもゆがめないことも確かであると思う。そして、いつの間にかダム建設意義とか必要性とかということより、そちらが先行してしまう中に人間の悲しさも読みとれるような気がする小説でもあると思う。それは、ダム建設だけにはとどまらないものなのだろう。
例えば、米軍普天間飛行場(沖縄県)名護市辺野古移設に関して、海底の軟弱地盤あり、県が国に埋め立て一時停止を求めた訴訟がありました。だれが見ても、軟弱地盤については埋め立てに関して変更するか、一時停止をしてほしいという内容の裁判に関して裁判所は却下して埋めたて続行を求めてしましまいました。なんとも、おかしなことだと思います。危険が察知しているのであれば、停止して調査してみることが大事だと考えるところですか、それも無視される続行には「理不尽」がまかるとおる時代になっているよう時代です。
【メモ】
(上)p37 たとえば道場破りとはいえ、渡世には渡世の道がある。池のような田舎でも小さくくらすより、外海の荒波にもまれ、その波をのり越えて自分も生きてみたい、と栄一は痛切に思った。ぎとりで心もとなければ、喜作と組んでのり出してもよい。互いにとりえのない人間同士だが、荒波にもまれて行く中、渡世の智慧と力がついて行くことであろう。
(同)p225 結果は悲惨であった。若年寄田玄番頭(げんばのかみ)に渡された天狗党同士は、取調べひとつ受けず、酷寒なのに丸裸で鰊倉庫に放りこまれたあげく、三百五十余人が雪の敦賀港で斬罪になり、残りは追放・流罪となった。武田・藤田らの首は二十四は、わざわざ水戸まで運んでさらしものにされ、刑罰はその妻子まで及んだ。
(同)p306 一万里もへだったところで心を労しても、どうにもならない。最初に立てた実際的判断どおり、学問技芸に少しでも多く習得することだと思った。
(下)p114 そして、この糸平といい、古川といい、さらに三井の三野村といい、三人ともそろって無学。いつでも〇(まる)を書いている三野村をはじめとして、ろくに字も読めないし、書けなかった。それでいて、新しい時代の風の中にいち早く身をおどらされて、颯爽と生きている。それに比べれば、志士上がりの政治家たちは、どこか疲れて見えてきている。また、江藤が指摘したような弊害や、陰湿な争いが、政治の世界にひろがっている。
(同)p161 「八百万の神々には、話合いが必要なのに、殺し合いに進んでしまう。政治の世界では、事はそんな風にまで、こじれてしまう。おれが、それがいやになった。同じ国に生きのに、なぜ、智慧を出し合い、力を出し合って、やって行けないのか」
(同)p213 書くためには、硯と墨と筆が要る。この三つがそろわなくては、役に立たぬが、三つは、それぞれ役割や動きもちがえば、寿命もことなる。硯は幾年経っても寿命は来ないが、墨は使う中に減ってしまい、数カ月の中には、影も形もなくなってしまう。筆に至っては、もっと寿命が短く、激しく使えば、数日ですりきれて、すてねばならなくなる。受身で動かぬ硯が寿命が長く、最も動く筆がいちばん寿命が短い。だが、そうだからといって、筆を動かさずにおいても、虫がくったりしてだめになってしまう。これに対し、硯は動かしたかといって、とくに早くすりへるものではない。硯は硯でm静を以て、その用の体としているからである。
江戸幕府が倒れて明治維新にいきた人びとを描いた作品は多い。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は最もよまれた小説だと思う。とくに若い世代の背中を押すような小説だと思う。ぼくも若かりしころ夢中になって読んだ小説。この小説読んでいた時代は、おそらく人生でいちばん楽しかったのだろうと思う。すぐちかくには友のすがたあり、悩み事や夢や仕事などことがいちばん多く語られた時代であったのだと思える。出来る、出来ないは別次元であり、とにかく語り、動き、失敗・・・であったのではなかったかと思う。それでもへこまずきたのは、いまでは過ぎ去っていったたくさんの人びとのすがたあることは多い。そんな人たちの顔を思い出しながら読んでいたのではないだろうかと思える小説だった。
時は、江戸幕府終幕の時代。海には多くの外国船が浮びこれまでの鎖国政策から解きはなれていこうとした時代。人々のこことのなかには新しい期待や不安がうずまく時代だったことだろうと思う。そして海外からもたらされる多くの文化。そしてそれをいちはやく自分の体のなかに吹かせたいと思うのは世の常として若者たちの胎動だろうと思う。そして、とうとう江戸時代が終り明治時代へとなっていく。この作品の主人公の栄一こと渋沢栄一の育った時代だった。農夫の身ながら新しいものへの執着はひといちばいおおい精神の持ち主でもある。そして、とうとう自分が理想とする日本の経済の土台を築くことに成功した人物となる・・・。今のどこにでもある「株式会社」の屋台骨をつくった人物となって歴をつくって人でもある。
とはいえ、渋沢栄一が今の会社の在りかたをみたらなんと思うのだろうか。不正融資問題で信用が失墜した静岡のスルガ銀行や郵便局の不正保険業務。さらには、一流企業でおきる「過労死」問題など、今の経済の問題でもあろう。どれも「利益至上主義」の果てに起きている現実をいったいどんな気持ちで見るのだろうかと思う小説でもあった。とくに渋沢がきらった「独占」という企業のありかたを思えばいちばんきらった形なのかもしれないと思える。それは渋沢栄一自身の出身が農夫の出であるかことからもわかるような気もする。
いつからかこんな経済状態になってしまったのか。『雄気堂々』を読み終えて、いまは人間のことを中心においていない経済構造が大手を振って、底から支えている人間(労働者)を無視するかのように利益誘導で成り立つような社会になってきていることも感じることができる。
城山三郎 (1927-2007)名古屋生れ。海軍特別幹部練習生として終戦を迎える。一橋大学を卒業後、愛知学芸大に奉職し、景気論等を担当。1957(昭和32)年、『輸出』で文学界新人賞を、翌年『総会屋錦城』で直木賞を受賞し、経済小説の開拓者となる。吉川英治文学賞、毎日出版文化賞を受賞した『落日燃ゆ』の他、『男子の本懐』『官僚たちの夏』『秀吉と武吉』『もう、きみには頼まない』『指揮官たちの特攻』等、多彩な作品群は幅広い読者を持つ。2002(平成14)年、経済小説の分野を確立した業績で朝日賞を受賞。
10月、台風19号に始まり翌週の集中豪雨は甚大な被害をもたらしました・・・。毎日の新聞をめくるたびに災害の大きさを見る日々です。休日のたびによく散歩コースとして利用している多摩川の土手を歩いていると、光景をみていると「川が氾濫したらひどくなるだろうなー」と思います。野球場は大きな水たまりになり池のようになっているのを見るにつけ今回の台風の大きさを思い出します。
台風といえば、停電、強風くらいしか経験がなかった時代にいました。川は水は増えたとしても今回のようになるようなことはめったにありませんでした。ところが、今回は停電のほかに川の氾濫が加わってきて、これがいちばんの危険を感じました。生命にとって水は大切なものです。しかし、その水で命を奪われてしまったのが今回の台風だったと思えます。
今年も残すところあとわずかです。月日のたつのがとても早く感じられます。そして、管理組合の定期総会も1年ぶりにありました。一年間の経過報告とそれにともなう財政状況についての総会でした。人間が年をとると体が弱くなるように、建物も弱くなり耐震性が弱くなることはだれでも認めるところです。昨年、大規模修繕計画があり、外壁や共同部分の整備がされました。ところ、今回の台風19号での雨漏りやそれに随時して電気系統が悪くなっていることが報告されました。「これは、いったいどういうことなのか説明を・・・という意見が続出して、議案の「次回大規模修繕計画(案)」が否決されるということもありました。さらに、消費税10%になり、管理費が値上げも報告されました。管理を委託している〇〇サービスの方でもちょっと否決にあわてたようです。
総会に出てみると、やはり年ごとに意見が増えているように見えます。機械式駐車場が電気系統の故障で車が出せない時があるなども意見のなかで強くいわれていました。「毎回の使う車がこれは困る」。「管理会社はなにをやっているのか」なども言われていまいした。
年々意見も劣化部所が多くなっていくのでしょうか。その度に臨時総会などを開催して乗り切ってきました。こう思うと、30年、50年先はいったいどうなっていくのでしょうかね。いずれ、全部建て替えといった修繕計画の中に記入される時代があるのでしょうか(その時はおそらくぼくは死んでいるでしょうが)。そんなことを考えると、いずれ建築物もゴミになっていくのでしょう。そして、何がのこるのでしょうか。
委託している管理組合の人は、年々入れ替わればすむことですが住んでいる人にとっては替われないのです。そんなことを思うと、あまりにも勝手な修繕計画の数字の入れ方にはあきれてしまった気持ちもありました。本来、管理組合はそこに住んでいる人がやれれば最善なのでしょう。それができないため、予算を組んで依頼しているわかです。そう考えると、ちゃんとやれなければ違う管理組合も方法もあるのだと思います。
吹く風も冷たくなってきました。もう少しで北風も本格的に感じる季節になってくるのでしょうか。10月も、もう終わりのようです。早いですね・・・。終わりといえばラグビーワールドカップもいよいよ終盤にむかっています。決勝はイングランドと南アフリカにきまりました。3位決定戦戦はニュージーランドとウェールズということになったようです。およそ40日間のワールドカップでした。日々、個人的に楽しんでいました。家族もラグビーの面白さを知ったようです。さて、決勝戦はどんな試合がまっているのでしょうか。力の南アフリカに対して技術のイングランドという感じもします。それでもイングランド監督の試合の作る戦術も楽しみですね。今回のワールドカップでのラグビーの激しさや厳しさを見せてくれた試合が多いように思えました。以前にも、知人と千駄ヶ谷の秩父宮のラグビーの試合を見に行っていたのですが、なにかワールドカップはちょっと違うような気さえおきていました。どこが違うのかといえば、今回はラグビーの試合の楽しみかたを覚えたように思います。あまり、応援するチームに力をいれるばかりで観戦でしたが今回は、相手のチームの良さを見るのも楽しいということも知ったように思います。それだけ、対戦同士がいろいろな工夫をしてやっていることを考える楽しさもあるように思えました。
今回は休みを利用して、山歩きをしたいと考えていたのですが雨が多くて中止した日が多い結果となっていました。少しずつ気候も安定してくれば思います。山歩きの再会を少しずつ準備しうようと思います。
10月はいかがでしたか。もう今年も2カ月です。何があるのでしょうか。
今週はこの辺で失礼します。体を温めて動き出したい日々です。娘に聞いた話ですが、老人は「教養(今日用事)と教育(今日行く)」が大切だそうです。なるほど!!と思いますね。それでは今週はこの辺で失礼します。
読んでくれた人、ありがとうございました。