日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

秋から冬へ・・・向かっています

2019年10月20日 | Weblog

 

 こんにちは、お元気ですか。

 少しずつ「涼しく」どころか、最近は寒くなってきました。秋がのんびりやって来たかと思っていたら、駈け足で冬にむかっているような毎日でしょうか。毎朝の通勤のとき、いつの間にか手をポケットにいれて歩いているこのごろです。見渡せば、身に温かさを包み込む洋服が多くなってきました。そして、季節の変わり目の「花粉症」がでてきました。鼻がムズムズする日々でもあります。

 さて今週は、先週の台風の被害たくさんニュースになっていました。関東・東北地方では川の氾濫によって死者、家屋崩壊などによっていまだに避難者の人たちがいることがわかります。身近な人のなかにもこの被害をうけている人もいました。新聞を読んでいたらこんな自然災害の多い昨今のことを考えれば、国は防衛省から防災省にして、自然災害の予算対策をしっかりやってほしいというコラムがあり、「なるほど、同感」と思いました。日本にとっては、いま「国民の生命と私有財産を守る」ということは、戦争などではなく激甚な自然災害対策がいちばん大事なことではないのでは、いうことでした。それも、「これまでに経験したことない災害」が多くなっていれば「なるほど!」と思います。

 あとは役人がどう考えていくでしょうか。

『定年退職』

「定年退職」をしたが・・・

いまだに働いている

「再雇用」という身分で今日も出勤している

こんなことは30年ほど前には誰が想像しただろうか

10年先もよめない世の中に

気がつけば「定年」という刻印が押され

さらに「年金」という言葉が現実になり、

そそくさと年金事務所に妻と足を運んだのはちょうど2年前だった

 

「働けど働けどわがくらしらくにならず」

いつか詠んだ啄木の短歌を思い浮かべ

今日も「再雇用」はでかけていく

社会は高齢者にも働くことを強要しようとしていて

老人は少なすぎる年金

「年金担当者の数字から、オレが働いてきた代償か」とうなずく
 

「100年安心時代」などといわれても本当の安心はだれも違うのを知ってでしょうか

あまりにも「他人ごと」のように聞こえてくる

「生涯現役」などと持ち上げられたところで

なんの力にもならない

あるのはゆっくりしたい体にムチをいれているような日々だ

静かにやってくる秋

短すぎる季節のなかで

長い冬の入り口に立っている

※今月働きだして40年が経つ。思えばこんなに働くとは想定外だったのだろうと思う。それも、たくさんのアルバイトをいれれば45年くらいは働いていることになるわけである。人生の半分を端らている数字でもある。そのなかで、得たものは仕事の給料もあるのだろうがかけがえないの人間関係だったのではないと思う。第一に奥さん。このごろは高齢になったせいか疲れやすくなっている様子だ。それはぼくも同じで疲れやすいし、傷みやすくなっているように思う。そして、たくさんの知古がありいまがあるように思う。それは、偶然のようであり、どこかでは必要不可欠の存在だったように思える。だが、最近では、それが少しずつ亡くなっていく状況にもあることは現実だ。悲しいものだ。

 最近、少子高齢化で働く人が少なくなってきたということで、定年退職年齢を60歳から65歳、さらには70歳までひきが上げようと政治が訴えている。そのなかでは「生涯現役」などといキャッチコピーがあったり、年金を70歳まで引き延ばせる制度までつくっているようだ。考え見ればよくわかることだが、少子化は老人のせいではない。まして、若年層のせいでもちろんあるはずがない。では、だれがそうさせてしまったのだろうか。一つには、子どもを産んでも暮らせる労働現場や賃金でなくなっていることがある。それが、おおよその人たちである。一方で、子どもも育てず、産まず企業だけは肥えふとっている。

 

 

  毎年のことではあるが、偶数月には散髪屋さんにでかけている。10月。今年もあとわずかで終わるなーと思う今月である。今月も散髪屋さんにいった。この散髪屋さんとのつきあいは40年以上も続いている。引っ越先から休みの日には電車に乗ってまでいっている日々である。とくに散髪屋さんのご主人とも奥さんとも会話をすることもなく、およし1時間座って目をつぶって、あげくの果てには居眠りをできる場所はめったにないと思う。ゆっくり「起こしますよー」と言われた時が終わったときである。

 そして、帰り道。およそ2時間半。降りた駅から自分の乗った駅まで歩いている。そのなかで立ち寄るのが井の頭公園である。30年もあいだボートがあり、水があり、動物園もあるなかを歩いて帰って来る。それでも、ゆっくり歩く足を止めると変わっていくものも多い。その一つに、静かさがなくなっている。公園の奥には三鷹の森ジブリ美術館に通う若い人が多い。玉川沿いの歩道にはその人たちが多く見かける。さらには、山本有三館。娘が子どもころ、井の頭動物園に帰りによく立ち寄ったところである。無料でもあったし、絵本なども貸し出してくれた。係りのおばさんが絵本の面白さを話してくれたものだった。今では有料になっている。おばさんもいない。

 少しずつ、「あうん」の呼吸ではないが自分がいちばん安心できる場所がかわっていくような時代である。それが本当にいいのか、ぼくには分からない。「変わることで時代は進歩する」というが、考えてみればその進歩によっての弊害もあるのだろう。それを、歩きながら考えて帰ってくる散歩道になっているように気もする。黙って座っていられる安心感のあるところが、便利になるなか減っていくように思える日々でもある。

*多摩川の散歩道(1週間ぶりに行ってみました)。

 1週間ぶりに多摩川にいってました。先週の台風19号のつめ跡はまだありました。野球場は穴だらけになってフェンスは倒れている状況でした。しばらくは野球もサッカーもできそうもありません。今年中は無理かもしれません。それにしてもすさまじいものです。大きな木も根こそぎ流されていました。さらには人工芝のサッカー場は泥がたまってしまっていて色を失っていました。なんとも、自然のエネルギーはものすごいものです。

グランドは穴ぼこだらけです。しばらくは片づけで精一杯でしょう。水が土を堀り起こしていました。

 

 ラグビーワールド杯もいよいよ決勝トーナメントに入ってきましたね。昨日は、ニュージーランドとイングランドが勝ち進んだようです。9月に始まったラグビーワールドカップ。おもしろいのは試合もいいが、選手たちの次の試合までの過ごし方も話題になった。ボランティアでがれきの片づけをしたいったカナダのチームもいた。きっといろいろ探せば日本という国で試合が行なわれた期間にいろいろな思いをもったことだろうと思います。とくに今回は史上初の二試合が台風の影響で中止になったりもしました。カナダの選手の災害地でのボランティアもニュースにもなりました。これまでのワールドカップでは経験できないことも多かったと思います。

 まさに災害国日本の印象が強く残ったのではと思います。そんな国に生れてしまったことを後悔しても仕方がありません。だからこそ「防災省」ということが言えるのではないかと思います。戦闘機を買うお金があったらその分を災害地の復興支援に役立てるときなのかもしれません。

 それでは今週このへんで失礼します。文房具屋さんでは来年の手帖が出回っていました。はやいものです。今年も残りあとわずかということです。月刊誌も終わったとことで来週の仕事はちょっと楽になるようです。明日はその整理ですか・・・ね。本当に山歩きを今週はやりたいものですが・・・。さて、どうなりますか。

 読んでくれた人、ありがとうございました。