ぶらぶら人生

心の呟き

『百歳からあなたへ』

2023-04-23 | 身辺雑記
       松原泰三 著

    『百歳から あなたへ



     


 松原泰三(1907〜2009)101歳死去

 珠玉の言葉<70>からなる講話集。

 「ひとすじの気持ち」で生きてください。
 「ひとすじの気持ち」が美しいのです

 八木重吉の詩
   花はなぜ美しいか
   ひとすじの気持ちで咲いているからだ

 花が精いっぱい咲いて、
 精いっぱい生きる喜びを教えてくれます

 三好達治の詩
   かよわい花です
   もろげな花です
   はかない花の命です
   朝さく花の朝がおは 
   昼にはしぼんでしまいます
   昼さく花の昼がおは
   夕方しぼんでしまいます
   夕方に咲く夕がおは 
   朝にはしぼんでしまいます
   みんな短い命です
   けれども時間を守ります
   さうしてさつさと帰ります
   どこかへ帰つてしまひます

 問題解決のヒントは、 
 あなたの身のまわりにあります

 十六歳の舞妓さんは十六歳で両腕を切り落とされた。後の天台宗の大石順教尼は、カナリアの親鳥が雛に嘴で餌をやっている姿を見て一念発起したという。

 くちに筆とりて書けよと教えたる鳥こそわれの師にてありけれ


 雨の日、風の日があって
 生涯は豊かになります。

 
 「ありがとう」を口ぐせにしましょう。
 「ありがとう」はまわりを照らす言葉の明かりです


 愛は愛を呼ぶ。
 小さな虫も愛を説いてくれます

 牢獄の歌人」と呼ばれた島秋人(ペンネーム)の歌。

 手のひらの小さき虫がくすぐりて死刑囚われに愛を悟(し)らしむ(『遺愛集』)

 昔の話だが、数年間、毎日新聞を読んでいた時期がある。当時、毎日歌壇の窪田空穂選に、よく島秋人の歌が選ばれ、読んでいた。のちに『遺愛集』が出版され、早速入手し繰り返し読んだ。
 
 過去のブログにも、その歌集について書いた記憶がある。
 島秋人は昭和9年生まれ、戦後の引揚者でもあることなどは、改めて認識した。
 生きた時代によって、運命を狂わされたひとりかもしれない。


 姿が見えなくなっても、
 父や母は子の心の中に生きています

 父母のみ魂は我に生きをりと身をもて信じつゆ疑はず  窪田空穂



 自分の顔は親の顔、親の形見です。
 鏡をじっと見ていれば、親の気持ちが伝わってきます

 高村光太郎の長詩「母をおもふ」の結び、と歌一首。

 母を思ひ出すとおれは愚にかへり、
 人生の底が抜けて
 怖いものがなくなる。
 どんな事があろうともみんな
 死んだ母が知ってるやうな気がする。

 たらちねの母は死ねども死にまさずそこにも居るよかしこにも居るよ


 詩歌などを引用し、いい人生を歩くための言葉 が、紹介されている。

 昭和一桁生まれの私には、万事頷ける言葉である。父母が私に注いでくれた愛など、簡単に忘れられるものでない。
 が、今の世相を思うと、はたしてどうなのだろう? と、考え込んでしまう。

 この本が上梓されたのは、2007年である。
 
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前庭のモミジ(古木となって)

2023-04-22 | 身辺雑記
 日帰り帰宅を申し出て、9時半ころ、家に帰った。
 荷物をおくと、庭に出てみる。
 前回の帰宅は16日だった。中5日しか経っていないのに、この季節は、木々や草花の変化が激しい。

 前庭のモミジは、春の装いがひときわ遅れていた。
 ところが、今日は見事に葉を広げていた。
 老木のせいか、この木だけ、花をつけ実をつける。


    




    


    花は終わっていた。



    


    一部は、プロペラ状の実となって。



    


 裏庭の木々も、ただ今、個性的である。
 左から、モミジ・モミジ・アンズ・ジューンベリーと、4本が並んでいる。
 この時期の木々は、葉色の違いを際立たせる。


 シランが咲いていた。


    




    



 今朝は少々寝坊して、カーテンを開けると、朝陽はすでに山の端を離れていた。
 穏やかな朝の景であった。


    


 が、その爽やかさは、長続きしなかった。
 午後は、かなりの強風となった。


 帰宅してする仕事は、室内の用ばかりである。庭掃除くらいはしたいのだが、その余裕はない。
 洗濯(こちらは洗濯機任せ)と、洋間の椅子に座って、溜まった新聞(朝日新聞と赤旗日曜版)を読むことである。

 赤旗日曜版には、数独が2問ある。
 かつては、朝日新聞の場合、土曜日のb版のみに数独が載っていたが、最近は、日曜日と月曜日を除いて、火曜日から土曜日にかけて数独問題が提供されるようになった。まず、それを解くことから始め、その後で、ゆっくり時間をかけて、さまざまな記事を読む。
 明るいニュースは乏しく、暗いニュースの多いこと。

 今日の読書欄には、大江健三郎が取り上げられており、また、別のページには、マチス展の記事があった。
 今月27日から、上野・東京都美術館で、開催されるという。行きたい思いがつのるけれど、今は行けない。
 上掲の紙面だけは処理せずに、施設へ持参した。

 4時半にタクシーを呼んでいたので、慌しく支度をして裏口から出る。
 靴を履こうとして異物に気づき、思わず靴の一方を蹴飛ばした。以前、つっかけにナメクジが這っているとは知らず、素足で踏んで、びっくりした経験があり、その時のぬるっとした不快感が、今日また、一瞬頭をよぎったのだ。
 しかし、今回、靴の中にあったのは、ナメクジではなく、強風が運んだ枯葉の一枚であった。
 戸外は、予想外の荒れ模様になっていた。

 施設に戻ってみると、防風林の松並木も、大変な騒ぎようである。白波も高く、水平線上の小島も全く見えない。



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ハリエンジュとキングサリ

2023-04-21 | 散歩道
 季節が駆け足で移ろっているような気がする。
 しかし、今日は、外を見ると曇り空。防風林の松林も、かなり揺れている。

 昼食の後、南廊下のテーブルで、新聞を読んでいると、5号室のTさんが出てこられ、
神社通りの黄色い花の名前は、分かったかと尋ねられた。
 Google lens を当ててみたが、納得の得られる解答ではなかったと伝える。

 今なら、十分開花しているだろう。
 新聞を読み終えてから、散歩に出かけて、もう一度、Google lenを当ててみる、とTさんに伝えておいた。

 途中、ハリエンジュの花が満開になっているのに気づいた。白い花は、時間が経つと急速に薄汚くなりやすい。
 今日のところは、美しく咲き満ちている。
 大塚には、ハリエンジュの木が多い。


    


               ↓


    



 問題の、黄色い花のある庭を探しながら、大塚通りを歩いた。神社の近くだと思っていたのに、意外に遠い位置であった。
 早速、Google lens を当てると、
 キングサリ(キバナフジともいう)
と出ていた。


    


           ↓

    



     オダマキ

    



     柑橘類の花

     



     シラン

    


              ↓

    


 
 葉色の黄色いコデマリ。
 初めて目にした。
 Google lens によると、黄金葉コデマリというらしい。


    



 先日覚えたばかりのタツナミソウを、もう一度観察しておく。

    



     オダマキ

    



    小花のオオツメクサが、畑の脇にたくさん咲いていた。

    


              ↓

    



     リナリア

    


 
      ?

    


 [追記 Remさんから、スパニッシュ・ブルーベルでは、とコメントいただきました。スペイン、ポルトガルが原産地のようです。]


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4月一番の暖かさ (朝陽・夕陽、美しく)

2023-04-20 | 身辺雑記
 全国的に、今日は気温が上昇し、夏さながらの地域もあったようだ。
 当地も、急に暖かくなった。
 
 施設の自室から眺める朝陽、自室前の廊下から眺める夕陽は、ともに自然の営みのなかで、最も美しいもののように思う。
 私は、施設で生活することで、季節やその日の気象によって、日毎に異なる朝陽や夕陽を眺めることのできる僥倖に恵まれている。
 
 以下、今日の朝陽と夕陽。
 今日の暖かさが、太陽の見え方に影響があるのかどうか、その点はよく知らない。

 夜明けの山並みは、輪郭を鮮明にすることなく、薄墨の濃淡をうまく使い分けて描いたような雰囲気である。
 シャッターを切る直前に、ツバメが一羽、飛び込んできた。


    



 夕食を終えた後、廊下に出て夕陽を眺める。
 この季節の夕陽は、山口県側の山ではなく、水平線上に沈む。
 遠景は平凡である。が、日ごと、夕焼け雲が、眺めに変化をつけてくれる。


    



 夕陽は、落日の寸前に、日の丸さながらの赤色に変わる日もある。が、今日は朱色の穏やかな落日であった。
 今夕は海上の雲の層が薄く、夕陽が水平線に姿を消すまで眺めることができた。
  

    


 夕焼け空も、穏やかな朱色系であった。


    



 突如、視界に現れたのは、鳥ではなく、東京行きの機影であった。
 機体は高度を上げつつ、瞬く間に視界から消えてしまった。


    




 午後、美容院へ行ってきた。まだ一か月も経っていないのに、耳の後ろあたりの髪が伸びすぎて、うっとうしい。爪もよく伸びる。今回だけのことではなく、最近はいつもひと月我慢できない。
 いつも思うことだが、伸びなくてもいいものが成長する。頭脳の働きが、髪や爪のように伸びてくれると嬉しいのだが、全くその気配はない。
 「確かによく伸びましたね」と言いつつ、美容室の担当者は、カットしたり、デトックス、シャンプーなどをしてくださった。

 久しぶりに妹にも会って、一緒にコーヒーを飲み、買い物をした。



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『忘れるが勝ち!』

2023-04-19 | 身辺雑記
 外山滋比古の本の中から一冊を取り出し、先日、日帰り帰宅したとき持参した。

 『忘れるが勝ち!』
  前向きに生きるためのヒント


 作者は、私より10歳年長の1923年生まれなので、老いてなお著作を続けられる姿に感動しながら、新しい本が出版されれば注文して読んできた。
 2020年に、96歳で死去された。 

 『忘れるが勝ち』は、2018年12月初版となっているので、著者の晩年に近い作である。


    


 帯の裏表紙側には、

 九十五年、わたしは忘れることで生きてきた。
 忘れる頭はいい頭である。
 詰め込んだ知識や人生の苦悩ーー頭の中のよけいなゴミをだして人生を有意義に生きる知恵が満載。

 と、記されている。

 目次は、
 第一章 忘却のすすめ
 第二章 思い出はつくられる
 第三章 忘れるための実践法
 第四章 つよい記憶、弱い記憶
 第五章 忘れてこそ豊かな人生

 と、なっている。

 ここまで書いて、この本については、初読の折、ブログに書いたに違いない、と思った。

 でも、どんなことを書いたか、何も覚えていない。
 忘れようと努めなくても、忘れるらしい。
 おぼろにでも、覚えていた方がよいことまで忘れがちであるから、私も忘れ上手、とは言い難い。
 精神上、決してよくないことが、モヤモヤと消えがたく残ることがある。誰しも、同じかもしれない。これはよくない。
 <レム睡眠の自動的効果>に頼って、特にマイナス的なゴミは、その夜のうちに忘れてしまいたいものだ。


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『千の風になって』

2023-04-18 | 身辺雑記
 この本(新井満著『千の風になって』・CD付き)が、世間の話題となり、朝日新聞の「天声人語」に取り上げられたりしたのは、20年前である。

 折しも、私自身が永訣の悲しみのなかにいたので、救いとなった本でもあり、曲でもあった。
 その作者・新井満さんも、すでに鬼籍の人である。


    


 本は、先日、帰宅の際持参したのだが、CDは、施設に置いて、今は亡き人をしのぶときや、孤愁に打ち沈むときなどに聞いている。

 今日は、『千の風になって』を読み、掲載された写真を眺めたりして、ひと時を過ごした。


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クロバナロウバイとニセアカシヤ

2023-04-18 | 身辺雑記
 クロバナロウバイの開花。
 チョコレート色の花は珍しい。
 90歳となって、初めて見る花。
 今回の写真には、蕾も艶やかな葉も一緒に収めることができた。


    



 ニセアカシヤ(ハリエンジュ・針槐)
 開花寸前。
 今年は、本来5月の花が、4月中に咲く気配である。
 これも、お隣Oさんの散歩土産。


    


   
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河口の眺め 散歩 3

2023-04-17 | 散歩道
 散歩の最後は、河口に出て、穏やかな水面を眺めた。
 風もなく、工場の煙が真っ直ぐに立ち上っている。


    




    



 風力発電機の支柱が、川面にも映って、今日は万事穏やか。

   
    



 直立している植物は、隣室のOさんにただいたクロバナロウバイ。
 右は枯れ残っているアケビの葉。


    



  これもいただいた花。名前?


    

  
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タツナミソウほか 散歩・2

2023-04-17 | 散歩道
 「タツナミソウを見ましたか」と、昨日、5号室のTさんに声をかけられた。
 私はまだ見ていない。
 そこで、今日は、タツナミソウに会って来ようと、まずインターネットや広辞苑で調べておいた。
 広辞苑の写真には、碧紫色の花が載っていた。そこで、その花色を探したがなかなか見つからない。
 タツナミソウだとは意識しないまま、白色の花をカメラにおさめた。
 Tさんに廊下で会ったので尋ねると、白い花もあり、先日雨の中、アケビの花を見に行った家の庭にあるのは、白いタツナミソウだ、と教えてくださった。
 もう一度調べ直すと、広辞苑にも、きちんと白花のあることを記してあった。


    



 Google lensによると、イングリッシュ・ブルーベル。


    


    アイリス・アルビカンス(Google lens検索)


    


    アイリスにも、いろいろな種類があるらしい。
    ダッチアイリス(Google lens検索)

    


    
    今日、歩いた道でも、ナガミヒナゲシ。


    


    ? 色鮮やか。

    




    
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シャクナゲほか 散歩 1

2023-04-17 | 散歩道
 あらっ! シャクナゲ?
 と、散歩の途中、とある家の庭先で足を止めた。
 シャクナゲに出会う機会は、旅先の京都で、寺社の庭が多かった。
 大塚7年目の春にして、シャクナゲとの初めての出会い。
 最近植えられたものかどうかも、よく分からない。

 
   (大塚神社通りの家の庭に咲くシャクナゲ)


    



 フジの花が散り始め、地面に花びらを落としていた。それを見て、目を棚に転ずると、まだ美しい房を垂れていた。


    



 モッコウバラかな? と、石垣の上にのぞく淡黄色の花を見上げる。


    


 
 奥まったところには、白いモッコウバラも咲いていた。


    



 近寄ることのできない家の軒先に、白い花が群れ咲いている。
 ナニワイバラであろうか?
 ふと、草花舎の入り口に向かう垣根の花を思い出す。
 16日、日帰り帰宅をした日、家の方から施設に向かう折、タクシーの窓から、ハナミズキが高く伸び、赤い花をつけているのに気づいた。
 立ち寄る機会のないこの頃だが、春の庭を眺めながら、コーヒーをいただきたいな、とふと思う。


    



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