文庫本と新書本を納めている書棚に、講談社現代新書の本がぎっしり収まっている一段がある。
その中から、『日本語のリズム』と『時間と人間』を読み、ブログに、簡単な感想も書いた。
文庫本より紙質がよく、活字も読みやすい。しかも、持ち重りしないので扱いやすさも抜群である。
久しく本屋をのぞくこともない。
講談社現代新書は、今も同じような体裁で、出版されているのだろうか? と、ふと思い、早速、ネットで調べてみた。<講談社現代新書>で検索すると、まっさきに目に飛び込んだのが、下掲の本であった。
本の体裁は、昔と異なっているけれど、いい本が、今も出版され続けているのだと知って嬉しかった。
3年くらい前、友達のRさんに教えてもらって、久坂部羊の小説を幾編か読んだことがある。医師でもある作家の小説なので、素材的な面白さもあった。
今回、出会えた本は、エッセイである。
幅広の帯には、<「幸せな死」を迎えるためには予習が必要です!>という宣伝文句があり、私に読むよう誘いかけている。
残り少ない余生は、私の書斎にある本を読み、新しい本をAmazonへ注文するにはやめようと、今年に入ってからは、心を決めていた。
が、ネットで目に止まった本が、内容に関心があるうえに、作者が久坂部羊と知って、なんの躊躇もなく、たちまちAmazonへ注文した。
今日届いて、早速読んだ。
久坂部 羊 著
『人はどう死ぬのか』
子どものときから18歳頃まで、病気がちだった私は、長生きはできないだろうと思っていた。
50歳のころ、親しくしていた本屋の主人が、手相に凝っていて、私の手相を見てあげるという。
正直に言ってもいいかと、私に尋ねたあと、手相で見る限り、60歳まで生きられない、との話だった。私は、そうでしょうね、と言いつつ、残念な気持ちにもならなかった。
その私が、90歳まで生きてしまった。別に健康でありたいと努力をしたわけでもないのに、自分の楽しみたいことをして、日々過ごしていたら、90になってしまった。
しかし、当然のことながら、最近は老いを否めず、これが90歳の現実だろうな、と思うことが、何かにつけて多くなった。
そんな私へプレゼントされたのが、上掲の本である。
私の考えていることと、大きな隔たりはなく、私自身の考え方を確認するような気持ちで、久坂部羊の本を読了。
過分な治療は受けないことも意思表示しているし、ごくごく自然体で、老いの身に可能なことを楽しんで、残生を過ごしたいと思う。
加島祥造の『求めない』の考え方も、上掲の本に、紹介されていた。
私が、『求めない』に気づいたのは、上京した折、大丸の三省堂だった。本の題名も、また体裁も変わっていて、早速求め、その日、本屋の喫茶室で、窓辺の席に座って、早速読んだ。
加島祥造の考え方が気に入って、その後、出版されるごとに求めた本が、書棚に6冊ある。その都度、みな読了した。
加島祥造の晩年の生き方も、自然体で素晴らしい。
お手本になる生き方は、参考にさせていただきながら、私は私の、そう長くはない老いの日を生きたいものだと思っている。
96歳で亡くなった父は、最期の朝まで、洗面も自分でし、そのあと、部屋へ戻る途中、歩けなくなって廊下にうずくまり、その夜9時に亡くなった。
父は病院嫌いであった。診察を勧めても、頑固に拒んだ。
父も、人生の終わり方の、一つのお手本であったように思う。
久々に眺める晴れやかな落日の空。