今晩のNHK<日曜美術館>で、「風の彫刻家・新宮晋」を見た。
紹介された作品はみな、自然(草原や湖など)と調和し、融和して、さわやかであった。
あるかなきかの風にそよぐ作品は、心のささやきのようであった。
新宮晋氏ご自身の雰囲気も、いかにも風の彫刻家らしい。
テレビで新宮晋氏の姿を見て、<やはり、このお顔だった!>と思った。
が、ずいぶん昔の話で、記憶が非情に曖昧なのだ。
私は偶然、新宮晋氏と言葉を交わしたことがあるような気がしているのだが…。
山口線で。
乗りなれた山口線の車中では、とにかく読書することにしていて、その日も本を読んでいた。 偶然目をあげたときに、4人がけの席の斜め前に坐っていた人が言葉をかけてきた。それが新宮晋氏であったように思っているのだが、少々覚束ない。あるいは、新宮晋氏をよく知っている人であったか?
私は、すでに宇部市の野外彫刻展で新宮晋氏の作品に接していて、初対面の人とは思えず、言葉を交わしたように思う一方、思い違いをしているのかもしれないと自信がない。
テレビを見終えて、書棚に向かった。
新宮晋氏の本があるはずだと。
予想した場所に、その本はあった。
『風ありて 伊都子短章』(著者 岡部伊都子 小山三郎 新宮晋)(1986年刊)(写真 左)
小山三郎によって選ばれた、岡部伊都子の詞華集に、新宮晋の作品が数ページごとに添えられた一冊である。
ぱっと開けたページには、
いつもその人に見ていてもらいたい。
いつもその人を見ていたい。
考えを話し合いたい。
喜びをともにしたい。
○
相手に自分の肩書きを忘れさせてしまう男。
それは心にくく、しゃれた男だ。
○
恋の歌の尽きせぬように、
恋してなやみ、恋されて苦しみ、
さて恋に縁なくてさびしむ、
かなしい人の世。
このような詞花が並んでいた。
添えられた新宮晋の作品のすべてが、詞花に調和している。
(表紙絵も、新宮晋氏の作品である。)
この本を求めた動機も覚えていない。
山口線の車中で、たまたまこの本を読んでいて、新宮晋氏ではなく、その知己に声をかけられたのかもしれない、そんな気もしてくる。
実に朧な記憶である。
が、とにかく、新宮晋という彫刻家には、かなり以前から(宇部市の野外彫刻展で、その作品を見て以来)、関心を抱いていたことだけは、間違いない。
『風ありて』の本には、新聞の切り抜き(朝日新聞)が挟んであった。(下の写真 右)
<新宮晋が彫刻で「風のサーカス」計画>(横見出し)
<トレーラーで米国各地を移動 異なる環境と作品の共振探る>(縦見出し)
この切り抜きには、1986(S61)・7・1(火)と、自筆で日付を記入している。
25年前の新聞である。
この切り抜きからも、新宮晋という彫刻家への関心のほどは分かるのだが、<風の彫刻>を話題とした人が、ご本人であったのか、知己であったのかは、依然として曖昧である。
何という記憶の覚束なさ!
切り抜きを読み返しながら、当時の活字の小ささにあきれた。
老いの身には、新聞を読む楽しみが半減しそうな小ささである。
その点、現在の新聞はありがたい。活字が大きくて、今のところ、読むのに不自由を感じない。
紹介された作品はみな、自然(草原や湖など)と調和し、融和して、さわやかであった。
あるかなきかの風にそよぐ作品は、心のささやきのようであった。
新宮晋氏ご自身の雰囲気も、いかにも風の彫刻家らしい。
テレビで新宮晋氏の姿を見て、<やはり、このお顔だった!>と思った。
が、ずいぶん昔の話で、記憶が非情に曖昧なのだ。
私は偶然、新宮晋氏と言葉を交わしたことがあるような気がしているのだが…。
山口線で。
乗りなれた山口線の車中では、とにかく読書することにしていて、その日も本を読んでいた。 偶然目をあげたときに、4人がけの席の斜め前に坐っていた人が言葉をかけてきた。それが新宮晋氏であったように思っているのだが、少々覚束ない。あるいは、新宮晋氏をよく知っている人であったか?
私は、すでに宇部市の野外彫刻展で新宮晋氏の作品に接していて、初対面の人とは思えず、言葉を交わしたように思う一方、思い違いをしているのかもしれないと自信がない。
テレビを見終えて、書棚に向かった。
新宮晋氏の本があるはずだと。
予想した場所に、その本はあった。
『風ありて 伊都子短章』(著者 岡部伊都子 小山三郎 新宮晋)(1986年刊)(写真 左)
小山三郎によって選ばれた、岡部伊都子の詞華集に、新宮晋の作品が数ページごとに添えられた一冊である。
ぱっと開けたページには、
いつもその人に見ていてもらいたい。
いつもその人を見ていたい。
考えを話し合いたい。
喜びをともにしたい。
○
相手に自分の肩書きを忘れさせてしまう男。
それは心にくく、しゃれた男だ。
○
恋の歌の尽きせぬように、
恋してなやみ、恋されて苦しみ、
さて恋に縁なくてさびしむ、
かなしい人の世。
このような詞花が並んでいた。
添えられた新宮晋の作品のすべてが、詞花に調和している。
(表紙絵も、新宮晋氏の作品である。)
この本を求めた動機も覚えていない。
山口線の車中で、たまたまこの本を読んでいて、新宮晋氏ではなく、その知己に声をかけられたのかもしれない、そんな気もしてくる。
実に朧な記憶である。
が、とにかく、新宮晋という彫刻家には、かなり以前から(宇部市の野外彫刻展で、その作品を見て以来)、関心を抱いていたことだけは、間違いない。
『風ありて』の本には、新聞の切り抜き(朝日新聞)が挟んであった。(下の写真 右)
<新宮晋が彫刻で「風のサーカス」計画>(横見出し)
<トレーラーで米国各地を移動 異なる環境と作品の共振探る>(縦見出し)
この切り抜きには、1986(S61)・7・1(火)と、自筆で日付を記入している。
25年前の新聞である。
この切り抜きからも、新宮晋という彫刻家への関心のほどは分かるのだが、<風の彫刻>を話題とした人が、ご本人であったのか、知己であったのかは、依然として曖昧である。
何という記憶の覚束なさ!
切り抜きを読み返しながら、当時の活字の小ささにあきれた。
老いの身には、新聞を読む楽しみが半減しそうな小ささである。
その点、現在の新聞はありがたい。活字が大きくて、今のところ、読むのに不自由を感じない。