先日、山口に行ったとき、文栄堂書店で、新書2冊(写真)を求めた。
一冊は、新聞の広告を見て、入荷していれば、求めようと探していた本。
興膳宏著 『仏教漢語50話』(岩波新書)
もう一冊は、偶然目にし、拾い読みして面白そうだと思い、求めた本。
長谷川櫂著 『和の思想 異質なものを共存させる力』(中公新書)
いずれも、一部を読んだだけだが、それぞれの面白さがある。
『仏教漢語50話』のうち、関心の大きいものから10話を読んだ。
三昧・萬珠沙華・睡眠・世間・未曾有・迷惑・鬼・玄関・言語道断・蒲団
仏教との関わりを知っていたものもあれば、初めて知ったものもある。
<睡眠>は、かつては<スイメン>と読み、仏教用語として使われ始めたものだとは知らなかった。
<眠>を<メン>と読むのは呉音であり、仏教用語は、一般に呉音で読む場合が多い。
その程度のことは知っていたが、この本には、一つの単語の変遷も記されていて、なるほどと思うことが多い。
睡眠(スイメン)は、修行のためには、控えるべきことだったようだ。(そういえば、修行をシュギョウと読むのも呉音)
現在は、同じ漢語をスイミンと読み、健康のためには、よい睡眠を心がけなくてはならないことになっている。
言葉の意味は、時代によって変わり続ける。
例えば、<未曾有>の項では、まだ記憶に新しい、麻生太郎元首相の誤読の話から論を展開したり、また、他の項では、夏名漱石や吉田兼好などの例文を使ったりして、難しそうな漢語論のはずが、楽しく読めるエッセイとなっている。
後者の『和の思想』が長谷川櫂氏によって手がけられるきっかけとなった一つは、昭和8年(1933年)に書かれた、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』だという。
昔読んだ『陰翳礼讃』は、すっかり忘れた。
深く意味を解さないまま、読んだつもりになっていたのかもしれない。
『和の思想』の第一章を読んだばかりだが、先を読むのが楽しみだ。
長谷川櫂氏の考え方に接しながら、<和>について、また、『陰翳礼讃』についても、考えてみたいと思っている。
内容とは関係のない話だが、2冊は、いささか読みやすさが違う。
岩波新書は、1ページが15行、中公新書は、14行である。
当然、活字の大きさが異なっているのだ。
私の目には、勿論、後者の方がはるかに読みやすい。
若い時には考えたこともない活字の大きさが、気になる年になった。
文字の大きさで、本を選択しなくてはならないのは寂しいことだ。
が、次第に読める本が限られてゆくのだろうな。目の問題だけでなく……。