<夜顔(よるがお)>という植物のことを知らなかった。
今朝、NHKの「俳句」の時間に、<夜顔>の句が紹介された。
<夜顔?>と、風情の乏しい花の名前に、(?_?)の思いであった。
朝顔・昼顔・夕顔の次に、夜顔もあるの? と、思いながら、すぐ手近にある電子辞書(広辞苑)を引いた。
<ヒルガオ科の蔓性多年草で、園芸上は一年草。熱帯アメリカの原産。茎を切ると白汁を出す。葉は心臓形で長さ10センチメートル余、時に3浅裂。夏、葉腋にアサガオ型で直径約15センチメートル、純白の数花をつけ、夕方開き香気を放つ。通称、夕顔(ウリ科のものとは別)。別称、夜会草。>
辞書には、上記のように記してあった。
私の知らない花らしい。さらにやっかいなことは、通称<夕顔>とあり、<夕顔>には「ウリ科のもの」を指す場合と、「ヒルガオ科の夜顔」を指す場合があるということだ。
『歳時記』やインターネットで、<夕顔>と<夜顔>をさらに調べた。
季語としては、<昼顔>と<夕顔>が夏の部、<朝顔>と<夜顔>が秋の部に属している。
<夕顔>は、①ウリ科の一年草で、夏の夜に白色の合弁花を開き、果実は長楕円形か球形で大きい実となり、食用の干瓢となる。
②夜顔の通称。
という、二面を持つ。
私は結局、<夜顔>は勿論、<夕顔>も、言葉でしか知らなかったことになる。
『源氏物語』の「夕顔」の巻から、勝手なイメージを抱き、夕方咲いて朝までの、はかない命の花として、また、朝顔や昼顔の類似の花として、思い描いていたに過ぎなかった。
ふと、正岡子規の歌を思い出した。
夕顔の棚つくらんと思へども秋まちがてぬ我いのちかも
「夕顔の棚を作ろうと思うけれども、その夕顔の実がなる秋を待つこともむずかしい命であることよ」
と、子規は詠っている。
この歌の<夕顔>は、①を指すに違いない。
棚は、当然、果実のためのものである。
それなのに、私はただ、朝顔に似た夕顔のはかなげな花を想像するだけあった。
子規は重篤の身で、果実を見るまでの余命を信じがたい思いを詠っているのだ。
そういえば、清少納言の『枕草子』にも、<夕顔>のことが書き記してあったはずである。そう思いながら、ページを繰った。
【67段】にそれは出ていた。
<草の花は なでしこ。>で始まる文の後半に、次のように記されている。
<夕顔は、花のかたちも朝顔に似て、いひつづけたるに、いとをかしかりぬべき花の姿に(注 朝顔夕顔と続けてよぶと、いかにも面白そうな花の姿に対して)、実のありさまこそ、いとくちおしけれ。……されど、なほ夕顔といふ名ばかりはをかし。>
清少納言は、花を愛でつつ、あの実はよろしくないと言っているのだ。省略した部分には、せめてほうずきくらいの大きさであればいいのに、と言っている。
『枕草子』の<夕顔>も、①である。
本棚に『枕草子』を取り出しに行って、思いがけず、白洲正子(1910~1998)の随筆集『夕顔』があるのに気づいた。1993年の新潮社刊であるから、かなり以前に求めた本である。(写真)
表題と同じ<夕顔>と題した随筆もあった。その冒頭に、
<私は夕顔の花が好きなので、毎年育てている。夕方四時になるといっせいに開き、明け方にはしぼんでしまうが、次か次へ蕾をもっているので、八月の半ばころから霜が降りるころまで咲きつづける。名月の晩などは、そこはことない花が闇の中に浮き出て、えもいわれぬ風情である。>
と記され、さらに名文が続いてゆく。
霜のころまで花が咲くとあるので、これは②、つまり<夜顔>なのだろう。
インターネットで調べたところ、<夜顔>は明治になって入ってきたものだという。
したがって、枕草子や源氏物語の時代にはなかった植物である。
白洲正子さんに倣って、私も来年は、<夜顔>(通称夕顔)を育ててみようかしら。元気があればの話だけれど。
そして、名月の晩に、その花を眺めてみたい。
今夕は、雲が広がっていたのに、今は雲が払われ、12夜くらいであろうか、ほぼ丸いお月さまが冴えている。
今朝、NHKの「俳句」の時間に、<夜顔>の句が紹介された。
<夜顔?>と、風情の乏しい花の名前に、(?_?)の思いであった。
朝顔・昼顔・夕顔の次に、夜顔もあるの? と、思いながら、すぐ手近にある電子辞書(広辞苑)を引いた。
<ヒルガオ科の蔓性多年草で、園芸上は一年草。熱帯アメリカの原産。茎を切ると白汁を出す。葉は心臓形で長さ10センチメートル余、時に3浅裂。夏、葉腋にアサガオ型で直径約15センチメートル、純白の数花をつけ、夕方開き香気を放つ。通称、夕顔(ウリ科のものとは別)。別称、夜会草。>
辞書には、上記のように記してあった。
私の知らない花らしい。さらにやっかいなことは、通称<夕顔>とあり、<夕顔>には「ウリ科のもの」を指す場合と、「ヒルガオ科の夜顔」を指す場合があるということだ。
『歳時記』やインターネットで、<夕顔>と<夜顔>をさらに調べた。
季語としては、<昼顔>と<夕顔>が夏の部、<朝顔>と<夜顔>が秋の部に属している。
<夕顔>は、①ウリ科の一年草で、夏の夜に白色の合弁花を開き、果実は長楕円形か球形で大きい実となり、食用の干瓢となる。
②夜顔の通称。
という、二面を持つ。
私は結局、<夜顔>は勿論、<夕顔>も、言葉でしか知らなかったことになる。
『源氏物語』の「夕顔」の巻から、勝手なイメージを抱き、夕方咲いて朝までの、はかない命の花として、また、朝顔や昼顔の類似の花として、思い描いていたに過ぎなかった。
ふと、正岡子規の歌を思い出した。
夕顔の棚つくらんと思へども秋まちがてぬ我いのちかも
「夕顔の棚を作ろうと思うけれども、その夕顔の実がなる秋を待つこともむずかしい命であることよ」
と、子規は詠っている。
この歌の<夕顔>は、①を指すに違いない。
棚は、当然、果実のためのものである。
それなのに、私はただ、朝顔に似た夕顔のはかなげな花を想像するだけあった。
子規は重篤の身で、果実を見るまでの余命を信じがたい思いを詠っているのだ。
そういえば、清少納言の『枕草子』にも、<夕顔>のことが書き記してあったはずである。そう思いながら、ページを繰った。
【67段】にそれは出ていた。
<草の花は なでしこ。>で始まる文の後半に、次のように記されている。
<夕顔は、花のかたちも朝顔に似て、いひつづけたるに、いとをかしかりぬべき花の姿に(注 朝顔夕顔と続けてよぶと、いかにも面白そうな花の姿に対して)、実のありさまこそ、いとくちおしけれ。……されど、なほ夕顔といふ名ばかりはをかし。>
清少納言は、花を愛でつつ、あの実はよろしくないと言っているのだ。省略した部分には、せめてほうずきくらいの大きさであればいいのに、と言っている。
『枕草子』の<夕顔>も、①である。
本棚に『枕草子』を取り出しに行って、思いがけず、白洲正子(1910~1998)の随筆集『夕顔』があるのに気づいた。1993年の新潮社刊であるから、かなり以前に求めた本である。(写真)
表題と同じ<夕顔>と題した随筆もあった。その冒頭に、
<私は夕顔の花が好きなので、毎年育てている。夕方四時になるといっせいに開き、明け方にはしぼんでしまうが、次か次へ蕾をもっているので、八月の半ばころから霜が降りるころまで咲きつづける。名月の晩などは、そこはことない花が闇の中に浮き出て、えもいわれぬ風情である。>
と記され、さらに名文が続いてゆく。
霜のころまで花が咲くとあるので、これは②、つまり<夜顔>なのだろう。
インターネットで調べたところ、<夜顔>は明治になって入ってきたものだという。
したがって、枕草子や源氏物語の時代にはなかった植物である。
白洲正子さんに倣って、私も来年は、<夜顔>(通称夕顔)を育ててみようかしら。元気があればの話だけれど。
そして、名月の晩に、その花を眺めてみたい。
今夕は、雲が広がっていたのに、今は雲が払われ、12夜くらいであろうか、ほぼ丸いお月さまが冴えている。