ぶらぶら人生

心の呟き

ブロッコリーの花と雑草の花

2008-03-25 | 散歩道
 畑の地面に土の部分がない。
 見事な緑化だ。
 佇んで畑を見ると、本来はブロッコリーの畑だったらしいと分った。幾つもの畝に植わっているのはブロッコリーの長けたものであった。もう食用にはならないだろう。黄色い花が咲き始めていた。(写真)

 畝横の地面には、雑草が見事にはびこっていた。畑には養分が多いに違いない。雑草も、勢いが違う。赤紫色の花をつける雑草(名前が分からない)が、一番のさばっていた。ぺんぺん草やハコベの勢いも、野辺のものとは違う。

 食用にもならず処理されるブロッコリーをもったいないと思ってしまう。
 大量に植えられているところをみると、出荷を予定して作られたものかもしれない。
 作り主に、何か思いがけぬ異変でもあって、ブロッコリーの収穫がなされることなく、雑草と共に放置されているのだろうか?
 取り留めのないことを考えて、ブロッコリーの花を眺めた。

 帰途、別の畑で、ほうれん草を収穫中の婦人に出会った。顔を見知っているだけの人だが、ほうれん草は要らないかと声をかけられた。畑に置いても、薹がたってだめになるから、要れば持って帰って欲しいと。
 私はありがたくいただいた。お店の三束分は十分ありそうな量であった。

 野菜作りは、素人が考えるほど易しいことではないのだろう。昨日見たブロッコリー畑ほどではないにしても、何のために栽培しているのか分からないような無駄も多いに違いない。必要分を適量作るのは、難しいことなのだろうから……。
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桜 (サクランボのなる木)

2008-03-25 | 散歩道
 散歩道の途中、人家の前に、サクランボをつける木が、数本植えられている。
 昨年は、3月1日に開花し、なんと気の早い桜だろう! と驚いた。その時には、サクランボのなる木とは知らなかったのだが……。

 昨日、その木の下を通って見ると、もう花の盛りは過ぎていた。
 サクランボの木にも、品種の異なるものがあるのか、花がみな同じではない。比較的遅咲きらしく、美しい花を残している木もあった。(写真)

 実のなる木は、花の後にも、梢を見上げる楽しみがある。
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久しぶりの海

2008-03-25 | 散歩道

 昨朝、久しぶりの散歩に出かけた。
 天気予報では、午前中は雨となっていたが、前夜、十六夜の月が冴え渡っているのを見て、多分いい天気の朝が迎えられるのでは、と思っていた。
 雨でなければ、散歩を再開しようとも考えた。
 散歩を怠ると同時に、九時過ぎまでベッドで過ごすといったふしだらな生活が日常化し、おまけに運動不足のせいか、食欲が減退した。悪い惰性は連鎖して、よからぬ状態を生み出してしまうようだ。動かないから食べられない、食べられないから体重も減る、結果として体力・気力ともに萎える、といった悪循環。
 この解消には散歩が一番、と前夜のお月様を眺めて思ったのだった。深夜の戸外に暫く佇んでいても、冷気を感じることはなくなってきた。夜の大気の中にも春の気配が感じられ、寒さを理由に散歩を怠るわけにはいかなくなった。

 七時半に家を出た。
 一歩外に出ると、鶯の声。山で鳴く鶯ではない。もう里まで下りてきたらしい。国道を歩いていても、すぐ傍で聞こえる。
 道野辺にも、春が訪れている。
 昨年は、自然が冬から春へ移ろう様を楽しんで散歩したが、今年は、いきなり春の風情である。

 しかし、久しぶりの海には、春ののどかさはなかった。(写真)
 波音が高く、白波が防波堤に波しぶきを上げていた。ただ、真冬と違うのは、ここでも大気が暖かなことである。海辺を歩いても、凍てつくような厳しい寒さがない。空をゆったりと舞う鳶の声も、伸びやかだった。

 視覚的にも、聴覚的にも、自然には春が満ちていた。
 歩いてみると心地よい。できることなら、散歩を継続したいと思った。意志薄弱なので、どこまで実行できるか分らないが、新聞を読み終えたら、すぐベッドを離れることを実践したいと思っている。

 スタートはかなり遅くなったけれど、今朝も散歩に出かけた。
 昨夜も深夜に目覚め、玄関に月影があるのに気づいて、外に出てみた。立待月が、雲のない中天に冴え冴えと浮かんでいた。明朝も散歩を怠る理由はなさそうだと思いながら、十七夜の月を眺めた。
 昨日より、晴れ間の多い朝だった。絶えず自らの影を地面に伴っての散歩であった。しかし、海上遥かは霞んでいて、水平線と空とが溶け合っていた。したがって、高島の姿を眺めることはできなかった。
 海原の波も、昨日より高く、防波堤を乗り越えた波が、波打際に白く砕けていた。
 海上の天候は、陸地とはかなり異なるようだ。
 
 今朝も、鶯のさえずりが野に満ち、美しいショウビタキの姿も、あちこちで見かけられた。ショウビタキは人を怖れず、その故に、バカビタキなどとも呼ばれるらしいが、なんだか融和的姿勢が憎めない。鶯は、声を楽しませてくれるけれど、姿はなかなか捉えられない。

 今朝は昨日と違って、帰途、右足の腿に疲労を覚え、しばしば立ち止まった。歩くことを怠けているうちに、脚力が弱ったのだろうか? 一時的なことならいいのだが……。明日からは、距離を縮めるとか、調整法を考えなくてはならないかもしれない。情けない話である。

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土筆の坊や

2008-03-24 | 散歩道
 土筆は、春の日差しをいち早く感じ取って、地上に頭をのぞかせるらしい。
 その姿は土色に近く、ぼんやり眺めていては見つからない。気づいたときには、スギナと呼ばれる、杉に似た緑色の草となっている。

 今春も、か細いスギナを見つけて、もう土筆の時期は過ぎ去ったのかと落胆した。 先日(22日)、草花舎へ出かける道すがら。
 まだ、大丈夫だった。
 スギナの周辺に、土筆を見つけることができたのだった。(写真)
 思わず頬が緩んだ。
 一旦気づくと、不思議なことに、そのあたり一帯に、土筆の坊やが見つかるのだった。しかし、すでに、頭部のほうけたようなものが多く、食用としては役に立たないのだろうと思った。

 土筆を摘んで、自分で料理したことがない。
 来春の楽しみにしておこう。もう少し早い時期に見つけて、若い土筆を料理してみたいものだ。元気でいて、来年の春にめぐりあえますように!

 大阪池田に住む妹夫婦は、ひとり娘の幼かった頃、春休みに帰ってきては土筆を摘み、大阪へ持ち帰っていたものだ。驚くほど沢山の土筆を摘んでいた。その嵩も、料理すればわずかなものになるらしかった。
 余分なことだが、土筆摘みに余念のなかった姪も、近々家庭を持つらしい。
 春の食卓に、彼女の摘んできた土筆の料理が並ぶのだろうか。若い人の日常には、そんな長閑なゆとりはないのかもしれない。
 昨年、久しぶりに家に立ち寄った姪に、お得意な料理を尋ねたところ、
 「ハンバーグなら大丈夫かな?」
 と、笑っていた。
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3月の庭 (タンポポと雑草)

2008-03-24 | 草花舎の四季
 草花舎の庭に限らず、植物の芽吹きは、地面から始まるように思う。
 木々の梢は裸木が多く、冬さながらなのに、地面はいち早く春めき始める。

 草花舎の庭に、タンポポが逞しく咲いていた。周囲には、オオイヌノフグリの薄紫色の小さな花や、ハコベの白い花、名を知らぬ花なども、地面を覆って一面に咲いていた。(写真 22日)
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3月の庭 (クリスマスローズ園)

2008-03-24 | 草花舎の四季
 3月いっぱい、草花舎が閉店になるので、22日はお天気もよく、散歩がてら出かけた。
 <クリスマスローズ園>といえばオーバーだが、庭の一角に色の異なるクリスマスローズが咲いていて、そう呼んでみたくなった。(写真 22日)

 クリスマスローズの名が示すとおり、季語としては冬。
 が、歳時記の説明によると、
 <日本で、この名で栽培されている春咲きのものは、近似種のレンテンローズ>と呼ばれるものなのだそうだ。
 本来のクリスマスローズより、花色の種類が多いようだ。

 草花舎では、花の少ない冬の庭に咲き始め、今も咲き続けている。
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三隅公園で 7 (スミレ?)

2008-03-22 | 身辺雑記
 「ミヤマカタバミ」かと思える花に気をとられながら、あそこにも、ここにも、と眺めていると、その白い花とは違う、スミレ色の花を見つけた。(写真)
 これ、スミレ? と足を止めたが、自信はない。
 正しければ、今年見た、<スミレ1号>ということになるのだが……。
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三隅公園で 6 (ミヤマカタバミ?)

2008-03-22 | 身辺雑記
 木の花や色鮮やかな植物は、人の目を惹きやすい。だが、うっかりすれば見落としてしまいがちなほど小さかったり、地味な色をまとったりした草花も沢山ある。
 梅林公園の散策道の傍らに、その地味で、小さな花が、たくさん咲いていた。数では見劣りしないほど。(写真)
 なんという植物だろう? と眺めた。
 妹夫婦は、私よりはるかに、植物について詳しい。しかし、葉がカタバミの種類に似ていると言いつつも、見知らぬ花のようだった。

 昨日、妹からメールが届き、「ミヤマカタバミ」では? と記してあった。「コミヤマカタバミ」という名の植物もある、と書き添えてあった。
 その名前を頼りに、インターネットで調べたところ、おそらく「ミヤマカタバミ」だろうと、私も思った。
 <ミヤマ>とは<深山>のこと。その名も姿も、崖下のような、山蔭の日陰に似合いそうな花である。
 説明を読んだ限りでは、「コミヤマカタバミ」は、もっと寒冷地の森林などに、「ミヤマカタバミ」より、さらに小ぶりな花(ミヤマの上の<コ>は、<小>の意)を咲かせているのではないかと思えた。

 この控えめに咲く花に気づいたのは、今回が初めてであった。
 以前から自生していたのか、どうか?
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三隅公園で 5 (ボケの花)

2008-03-22 | 身辺雑記
 お彼岸の三隅公園には、ボケの花も咲き始めていた。(写真)
 しかし、まだその花の数は少なかった。

 三隅神社の境内は、<花の公園>である。
 梅は山の斜面を利用して植栽してあるのだが、その他に、ツツジ(5万)、サクラ(115)、カエデ(420)、アジサイ(50)、ボケ(200)などがあると、公園の紹介に記してあった。

 これから季節を追って、上記の花を楽しむことができるようだ。
 ツツジは数が多く見事であり、陽気な季節と重なって、人出が多くなる。
 この季節には、私も幾度か訪れたことがある。
 もう少し近ければ、四季、花を眺めながらの散歩を楽しめるのだが……。
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三隅公園で 4 (梅林入り口の ヒカンザクラ?)

2008-03-22 | 身辺雑記
 三隅の梅林公園入り口に、あでやかな大きな蕾を枝々につけた桜かと思える木があった。蕾は自らの重みに耐えかねるかのように、垂れ下がっていた。蕾が異常に大きく、その色も目立っていた。(写真)
 この写真、私が撮ったのか、甥の長女(小学二年生)が撮ったのか、よく分らない。
 
 今朝、テレビを見ていて、<ヒカンザクラ>と紹介されていた蕾が、この写真のものとよく似ていた。が、果たしてそうなのかかどうか?


 身近に幼子をみる機会がほとんどないので、この日、墓参を共にした甥の長女を観察していて、面白いなと思った。周辺の様々なことに関心を示し、場合によってはすぐ実践してみようとする姿を、頼もしく眺めた。
 
 墓参の前後、三時間を一緒に過ごしただけなのだが、その間に、私のデジカメで写真を撮ったり、私が電子辞書を取り出すと、それを使って言葉を調べてみたり、最近私が遊びごとに始めた書道の道具を見つけると、筆で文字を書きたがってみたり(三年生になると、習字の授業があり、その道具一式を最近求めたのだとか)、新しいことへ無関心ではおれないらしい。その結果、小さな少女の頭脳や体に、新しいことがどんどん注入されてゆくらしい頼もしさを感じたのだった。
 私自身の少女期を思い出しながら……。私の場合、大人しいだけの、ただぼんやりした少女だったのではなかっただろうか。

 21世紀の生活環境は、私の育った時代とは大いに違っている。幼子の経験する内容も、随分高度なものになっているようだ。
 今昔、どちらがいい環境なのか分らないが、どの時代を生きるかを人は選ぶことはできないのだから、自分の生れた、それぞれの時代に適応して生きるしか仕方ないのだろう。
 子ども時代の私が、今の時代を生きるとすれば、不適応反応を示してしまいかねない気もするのだが……。
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