老いというものは、次第に可能性を減じることだと、暮らしのなかで感じることが多い。
ランタナ
アカツメクサの豊かに咲いた原っぱが、草刈り機で、無惨に刈り取られがっかりしたのは、いつであったか?
ザクロの花盛り。早くも、実を結んだものもあった。
大邸宅の裏道を歩く。以前から、その裏庭に、大きな柑橘類の実がなっているのは気づいていた。今日も、放置されたままなのが、気になった。
歩く先々に、アジサイの咲く季節。
桜並木の小径では、必ずアケビの実を確認する。まだ全く変化はなさそうだ。このアケビのさらに上の方に、たくさんの実がなっていると、同じ道を散歩する人から聞いているのだが、私の目には止まらない。幾度か見上げては見たか、その姿勢を保つことができない。色つき始めたら、ひとりでに見つかるだろう。
今は桜葉が繁り、昨秋、カラスウリを見つけた辺りがどこであったかも、分からない。
が、まだ自分足で、戸外をひとり歩きできる。幸せなことである。
少々蒸し暑い今日であった。無理をせず、施設の周辺を一巡してくる。
以下、出会いの花々。
ランタナ
アカツメクサの豊かに咲いた原っぱが、草刈り機で、無惨に刈り取られがっかりしたのは、いつであったか?
今日、その場所にゆくと、また豊かなアカツメクサの原っぱになっていた。
桜並木の小径には、シロツメクサが咲いていたが、形が小型で、アカツメクサのような見映えがしない。
桜並木の小径には、シロツメクサが咲いていたが、形が小型で、アカツメクサのような見映えがしない。
ザクロの花盛り。早くも、実を結んだものもあった。
大邸宅の裏道を歩く。以前から、その裏庭に、大きな柑橘類の実がなっているのは気づいていた。今日も、放置されたままなのが、気になった。
収穫期はまだ先なのか、収穫の意思がないのかわからない。
歩く先々に、アジサイの咲く季節。
裏道の一か所に、2種類アジサイが見事であった。
桜並木の小径では、必ずアケビの実を確認する。まだ全く変化はなさそうだ。このアケビのさらに上の方に、たくさんの実がなっていると、同じ道を散歩する人から聞いているのだが、私の目には止まらない。幾度か見上げては見たか、その姿勢を保つことができない。色つき始めたら、ひとりでに見つかるだろう。
今は桜葉が繁り、昨秋、カラスウリを見つけた辺りがどこであったかも、分からない。
下掲のアジサイは、隣室の方からいただいたもの。