ぶらぶら人生

心の呟き

野の花

2019-05-17 | 散歩道
 『四季の雑草図鑑』を求めてから、雑草への興味がますます増している。

          今日出会った野草の花

     

     
        大塚でも、トキワツユクサに会う。

       

     
          オオキンケイギク

     
           ガクアジサイ

     
          ヒルザキツキミソウ

     
           テルスター?

       
           ハハコグサ

     
          馬鈴薯の花(畑の花)

      カーテンを閉めようとして、今日の夕月に会う。

     
           月と鳥(ツバメ)
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「認知症」に関する二冊の本

2019-05-17 | 身辺雑記
 友達のRさんと万葉公園を散歩した日、最近読んだ本で面白かったと教えてもらったのが、

 佐藤眞一著『認知症の人の心の中はどうなっているのか?』
  (光文社・2018年12月20日刊)<写真・左>
 であった。
 9日の帰宅時に受け取れるように考慮して、アマゾンへ注文した。
 手元に届いた本は、2019年3月5日刊の5刷目であった。
 大変多くの人に読まれているようだ。

 読了後、認知症について、もう少し知りたくて、同じ著者の
 『認知症「不可解な行動」には理由(わけ)がある』
  (SB新書・2012年8月25刊)<写真・右>
 を求めた。

  

 有吉佐和子作『恍惚の人』を読んで、こういう老いの実態があるのかと驚愕したのは、ずいぶん昔のことである。映画化もされ、当時大反響のあった『恍惚の人』が発表された年を調べてみると、1972年である。あれから半世紀近くが経ったのに驚く。

 私自身が、長生きをしてしまって、認知症を疑われても不思議ではない歳になってしまった。しかし、この年になるまで、『恍惚の人』に登場するような重篤な認知症の人に接することはなかった。
 が、最近は(さらに今後ますます)高齢者数が増え、それに伴い認知症の患者も増え続けることが予想されている。おまけに少子化は統計的にみても、確かな現実である。

 私は役立たずの人間のまま、なんだか長生きして申し訳ないような気分になったり、自らの老いの中に潜む実態が増加の一途を辿る認知症と無関係ではないのかもしれない、という不安も生じたりする。

 2年前からお世話になっている施設でも(私の場合は、今のところ、家と施設とを行ったり来たりの暮らしなのだが)、軽度の認知症を患っておられるのでは? と感じる人が何人かいらっしゃる。
 (施設の3、4階は自立生活可能な人という条件がついてはいるのだけれど。)

 認知症の厄介なところは、本人に自覚がないことかもしれない。(それはまた、本人にとっては救いでもあるかもしれないけれど。)
 それが他の病気と大いに異なるところのような気がする。そして、本人が自覚しないままに加齢とともに進行するという不気味さが認知症の特性であろうか?

 私は専ら自室にこもって生活するように努めているけれど、小さな個室が連なっている施設では、他の人と無折衝というわけにはいかない。雑談の輪には加わらなくても、挨拶したり、話しかけられたり、訪問を受けたりはする。
 平常心を保ちながら、施設という小さな社会で暮らして行くのは、なかなか大変な面もある。

 上掲の2冊は、86歳という高齢の自らの現在を自己診断する上でも、また他の人の老いの現状を知り、付き合い方を考える上でも、大いに役立つ本であった。
 ずいぶん知らなかった知識を得ることもできた。

 しかし、これらの本は、認知症を患う側の人よりも、介護する立場の人に読まれ、介護の現場で生かされるべき本であると思う。
 患者への対話法など、新しい研究の成果も紹介されている。 
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