ぶらぶら人生

心の呟き

ありのままを受け入れて

2019-05-03 | 身辺雑記
 家で過ごすためには、まず食料品の買い出しに出かけなくてはならない。
 食料を求めてきても、あまり食欲がないので、いい加減な食事になりそうだ。そんなことになると、体力が衰えるばかりのような気がする。
 施設では、食事時になれば、必ず目の前に食事が運ばれる。
 とりあえず施設に戻ることにしようと考え、10時過ぎに家を出た。

 人生の最期に向かう老いのプロセスには、緩やかな坂を下っている感じと、階段を一段降りる感じとがあるような気がする。
 今、私は後者の状況下にあるような気がしている。

 昨年末から1本の歯の老化に苦しんでいる。
 食事の楽しみも奪われている。
 いよいよその歯を抜いてもらうことになったのだが、フォサマック(骨粗鬆症の薬)を飲んでいたため、飲みやめて、3か月以上経ってからでないと抜歯できないのだという。
 6月に入るのを待たなくてはならない。
 固いものを噛むなど、無理をすると痛むので、どうしても食欲が減退しがちである。

 (フォサマックと抜歯の関係をインターネットで調べてみたところ、フォサマックの薬害として、抜歯の跡の穴が埋まらなくなる可能性が高いという。これは怖いことだ。)

 70歳頃からウエスト周りが肥り、穿けなくなったスカートがある。
 大方は83歳の時に処分した。が、数枚、捨てるに忍びず残したものがある。それがが穿けるようになった。
 一瞬嬉しかったのだが……。
 しかし、体重が落ち、体が細ってきたことは、精神力、忍耐力にも影響があるのだ。
 このところ、俗に言う<やる気>が起こらない。
 その老いの現状を当たり前のこととして、なかなか受け入れられない。
 心身ともに、不快な日々が続いている。

 しかし、やっと、今現在のありのままの自分を受け入れるしか気分を落ち着かせる道はないのかも………と思うようになった。
 幸い生活の場が二つあるのだから、それを上手に生かしながら………と、考えて。
 (老いのプロセスには、今後ますます紆余曲折がありそうだ。)

 今日は、新年を迎えたところから始める予定だった『徒然草』を読み始めた。
 日々、欲張らずに一段一段読むつもりでいる。
 今日持参した『夏目漱石集(一)』(筑摩書房刊・現代日本文学大系17)も読み始めた。
 まず、大昔読んだ『吾輩は猫である』から。
 活字が小さいので、ハズキルーペのメガネをかけて。
 実に、面白い!

 (ハズキルーペをかけて思い出したのだが、コマーシャルが新しくなるごとに、質が落ちるように思うのは私だけかしら? 小さい文字の印刷物をオーバーに投げ捨てたり、メガネの強度を強調するためにお尻の下に敷いたり………。こんな減らず口をたたけるのだから、今日は少し気持ちが元気だと言える。)

     

 (裏庭に出て、タクシーを待ちつつ。午前10時過ぎの、木々と空の色。)

       [追記]   今日の落日
   次第に輝きの強度を失いつつ、水平線に近づく斜陽は、
      いつも寂しく、また、いつも美しい。

     

     

     
コメント
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