年末から年始にかけて、宗左近著『小林一茶』を読んだ。
<宗左近>(1919〜2006)の名前は知っていても、作品を読んだのは今回が初めてだった。
堅苦しさのない評論で、宗左近さんの小林一茶観が巧まず記されていた。
一茶については、断片的に読んできたが、まとまった一冊を読了したのも、この一冊だけである。
柏原へ行き、一茶の旧居を訪ねたのは、いつの夏であったか。
20代か30代始めのころであったろう。
日記もアルバムも処理してしまった今は、記憶として残っている断片を思い出すだけである。
夏の暑さが全く苦にならず、夏旅を楽しんでいた当時の若さが懐かしい。
実は、宗左近という作者名が、以前から風変わりだな、と思っていた。
今日、インターネットで調べて、実名ではなく、ペンネームであることを知った。
実名は、古賀照一とのこと。
そのペンネームの由来には、以下の背景があるという。
実は、東京大空中のとき、手を離してしまったばかりに母親を眼前で失ったとして罪の意識に駆られた。それから戦後を必死で生き抜くために、自分自身に叱咤激励して発した「そうさ、こんちくしょう!」から付けられたものという。
そうだったのか、と知る。
東京大空襲の炎の中で、自分の母を自らの過失で失ったことに対する深い悲しみを心に刻みながら、自らの戦後を生き抜く決意の表明でもあったのだろう。
宗左近の詩集に『炎える母』と題したものがあるという。
明日は図書館に行ってみようかと思う。
『炎える母』があれば、借りて読んでみよう。
<宗左近>(1919〜2006)の名前は知っていても、作品を読んだのは今回が初めてだった。
堅苦しさのない評論で、宗左近さんの小林一茶観が巧まず記されていた。
一茶については、断片的に読んできたが、まとまった一冊を読了したのも、この一冊だけである。
柏原へ行き、一茶の旧居を訪ねたのは、いつの夏であったか。
20代か30代始めのころであったろう。
日記もアルバムも処理してしまった今は、記憶として残っている断片を思い出すだけである。
夏の暑さが全く苦にならず、夏旅を楽しんでいた当時の若さが懐かしい。
実は、宗左近という作者名が、以前から風変わりだな、と思っていた。
今日、インターネットで調べて、実名ではなく、ペンネームであることを知った。
実名は、古賀照一とのこと。
そのペンネームの由来には、以下の背景があるという。
実は、東京大空中のとき、手を離してしまったばかりに母親を眼前で失ったとして罪の意識に駆られた。それから戦後を必死で生き抜くために、自分自身に叱咤激励して発した「そうさ、こんちくしょう!」から付けられたものという。
そうだったのか、と知る。
東京大空襲の炎の中で、自分の母を自らの過失で失ったことに対する深い悲しみを心に刻みながら、自らの戦後を生き抜く決意の表明でもあったのだろう。
宗左近の詩集に『炎える母』と題したものがあるという。
明日は図書館に行ってみようかと思う。
『炎える母』があれば、借りて読んでみよう。