ぶらぶら人生

心の呟き

ペンネームの由来

2019-01-05 | 身辺雑記
 年末から年始にかけて、宗左近著『小林一茶』を読んだ。
 <宗左近>(1919〜2006)の名前は知っていても、作品を読んだのは今回が初めてだった。
 堅苦しさのない評論で、宗左近さんの小林一茶観が巧まず記されていた。
 一茶については、断片的に読んできたが、まとまった一冊を読了したのも、この一冊だけである。

 柏原へ行き、一茶の旧居を訪ねたのは、いつの夏であったか。
 20代か30代始めのころであったろう。
 日記もアルバムも処理してしまった今は、記憶として残っている断片を思い出すだけである。
 夏の暑さが全く苦にならず、夏旅を楽しんでいた当時の若さが懐かしい。

 実は、宗左近という作者名が、以前から風変わりだな、と思っていた。
 今日、インターネットで調べて、実名ではなく、ペンネームであることを知った。
 実名は、古賀照一とのこと。
 そのペンネームの由来には、以下の背景があるという。

 実は、東京大空中のとき、手を離してしまったばかりに母親を眼前で失ったとして罪の意識に駆られた。それから戦後を必死で生き抜くために、自分自身に叱咤激励して発した「そうさ、こんちくしょう!」から付けられたものという。

 そうだったのか、と知る。
 東京大空襲の炎の中で、自分の母を自らの過失で失ったことに対する深い悲しみを心に刻みながら、自らの戦後を生き抜く決意の表明でもあったのだろう。
 宗左近の詩集に『炎える母』と題したものがあるという。

 明日は図書館に行ってみようかと思う。
 『炎える母』があれば、借りて読んでみよう。
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1月5日

2019-01-05 | 身辺雑記
 五つ違いの妹の誕生日。
 施設にいるときは、街へ出やすい。
 午後のバスでイオン前下車。
 待ってくれていた妹とリバティへ行く。

 お互い五歳違いのまま、どんどん年を重ねる。
 昔の人は、お爺さんらしいお爺さん、お婆さんらしいお婆さんが一般的だったが、なんだかそんなお婆さんにはなれないままに、それでも誕生日がくれば、歳だけは増えてゆく。

 おめでとう! などという言葉がふさわしいかどうか、とにかく今日を無事であることを喜んで、コーヒーを飲みケーキをいただく。
 (今日は洋菓子店リバティが開店していて、その喫茶室に憩う。)
          
            リバティ洋菓子店

        
            妹のコーヒーとケーキ

        
            私のコーヒーとケーキ

 昼食後間がなく、それぞれお腹と相談し、好みも考えて注文した。

 甥たち一家用のケーキを求め、妹にことづける。

 今日は比較的暖かな日であった。
 それでも、帰途、曙橋を渡っていると、川風が咽喉を刺し、指先を茅草で切ったときのような線状の痛みが咽喉を走った。そして、一時噎せた。これが老いなのであろう。食べ物にむせるだけでなく、唇の隙間から入った空気の揺れにさえ噎せる。


 イオンで飲み物などの買い物をし、セントポーリアの花二鉢を求めて帰る。
         

 一鉢は、隣室のOさんに。
 紫色がいい、とおっしゃるので、そちらを差し上げる。

            
      年末にOさんからいただいたラインゴールド(玉飾り付き)




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