下は、マッチ箱の集合写真である。
その時々、身近にあった空き箱に入れて保存したらしい。
様々な箱は、かなり大きな一ケースに収めていた。
すでに幾度かブログに書いたが、83歳のとき、一応身の回りの整理をした。断捨離である。洋服類のほか、日記、書簡、写真、絵葉書なども。長く生きてきた証として、それぞれ莫大な量であった。
片付けを思いたつくらいで、体調には自信がなかった。先が永くないという焦燥もあった。
そこで、その年の春から秋にかけて、形として残っている83年間の思い出を処理したのだった。ごくごくわずかなものを残して。
その折、これはまあ急いで捨てる必要もないと思ったのが、旅の記念として残したマッチ箱である。
一昨日、ケースに納めていた箱を取り出し、表面に並んでいるマッチを気まぐれに手にとってみた。
すぐ思い出の蘇るものもあれば、記憶の薄れているものもある。
コーヒー好きの私は、旅先で、必ず喫茶店に入った。
その記念のマッチ箱である。ホテルや旅館のものもある。
もう少し几帳面な整理をしているだろうと思っていたが、年代も、訪れた場所もバラバラ、日付けの記入もあったりなかったり、出鱈目である。
しかし、老いた私にとっては、今後の思い出遊びには格好な材料である、と思った。
(私がお酒好きであったら、きっとその向きのマッチが手元に残っていたのだろう。
終生、お酒にはなじめなかった。)
マッチは、喫茶店から姿を消した。ホテルからも。
マッチがライターに替わり、さらに喫煙者が少なくなったことと無縁ではあるまい。
今となっては、マッチは、懐かしい小さな文化である。
その時々、身近にあった空き箱に入れて保存したらしい。
様々な箱は、かなり大きな一ケースに収めていた。
すでに幾度かブログに書いたが、83歳のとき、一応身の回りの整理をした。断捨離である。洋服類のほか、日記、書簡、写真、絵葉書なども。長く生きてきた証として、それぞれ莫大な量であった。
片付けを思いたつくらいで、体調には自信がなかった。先が永くないという焦燥もあった。
そこで、その年の春から秋にかけて、形として残っている83年間の思い出を処理したのだった。ごくごくわずかなものを残して。
その折、これはまあ急いで捨てる必要もないと思ったのが、旅の記念として残したマッチ箱である。
一昨日、ケースに納めていた箱を取り出し、表面に並んでいるマッチを気まぐれに手にとってみた。
すぐ思い出の蘇るものもあれば、記憶の薄れているものもある。
コーヒー好きの私は、旅先で、必ず喫茶店に入った。
その記念のマッチ箱である。ホテルや旅館のものもある。
もう少し几帳面な整理をしているだろうと思っていたが、年代も、訪れた場所もバラバラ、日付けの記入もあったりなかったり、出鱈目である。
しかし、老いた私にとっては、今後の思い出遊びには格好な材料である、と思った。
(私がお酒好きであったら、きっとその向きのマッチが手元に残っていたのだろう。
終生、お酒にはなじめなかった。)
マッチは、喫茶店から姿を消した。ホテルからも。
マッチがライターに替わり、さらに喫煙者が少なくなったことと無縁ではあるまい。
今となっては、マッチは、懐かしい小さな文化である。