詩人・<まど・みちお>さんの生き方に感動したのは、お正月3日に、NHKの番組を見たときだった。まどさんについては、よく知る機会もなく、知ろうともしないまま、童謡詩人であるとの先入観を持ち、小さな枠の中に入れて考えていた。
ところが、そんな枠に収まらぬ偉大な詩人であることを知った。
1909年11月16日生まれのまどさんは、昨年100歳の誕生日を迎えられた。
その生涯の全貌を要領よく伝えるだけでなく、視聴者の胸にしみじみと感動を伝える番組になっていた。
まど・みちお作品を、読んでみようという気になった。
その夜、早速、アマゾンに5冊注文した。
発送は、月末か二月初旬になるとのこと、せっかちな私は、待ちどおしく思っていた。
大抵の本は、数日中に届くのに、まとめ注文をしたために待たされるのだろうかとも思った。
ところが、私の気持が伝わったかのように、昨日の午前と午後の二回に渡って、分冊で発送したとのメールが届いた。
その本が、今日午後、佐川急便と日本郵便を通して送り届けられた。
『まど・みちお全詩集』
『まど・みちお画集 とおいところ』
『まど・みちお詩集』
『いわずにおれない』
『逃げの一手』(100歳詩集)
の五冊。
本を手にして、こんなにほのぼの浮き立つ気持ちになるのは久しぶりだ。
この中の一冊は、友人のお誕生日にプレゼントしようと考えている。
「いいなあ!」と思いながら、早速幾つかの詩を拾い読みする。
さようなら
子供よ、あのあかいゆうやけは、一日が「さようなら」って言ってるのだ。
子供よ、今落ちた木の葉の、しずかな音も、やはりあの木の葉の「さようなら」だ。
子供よ、お前の持っている鉛筆でさえ短くなるたびに、「さようなら」「さようなら」って書いている。
ああ、子供よ、耳をすましてみると、なにもかもみんながみんな、「さようなら」「さようなら」って言ってるではないか。
あさやけ ゆうやけ
あさやけが おまつりしてる
おひさまの おでましだから
すてきな きょうの
はじまりだから
ららら ららら
ららら ららら
おひさま いらっしゃい
ゆうやけが おまつりしてる
おひさまの おかえりだから
すてきな きょうの
おしまいだから
ららら ららら
ららら ららら
おひさま またあした
戦時下、戦争協力詩を二編(「はるかなこだま」「朝」)書いたことについて、100歳の今も、後悔しておられた。自らは意識的に書かれたものではないのだが、全詩集を編集するに当たり、その詩の存在を突き止められ、暗澹とした思いになったことを正直に話したり綴ったりしておられる。
詩の数々を読めば、戦争礼賛者であろうはずがない。
まどさんの戦争に対する思いが、一篇の詩に歌われている。
無題
じえいのために
けんぽう九じょう
どうするか
まもるがとうぜん
ブキをつかえば
アイテもだ
どこまでもだ
あのだいせんそうの
2のまいだ
テをにぎろう
ダイジな九じょう
まもるために
ではアタリマエすぎ
というヤツには
いいかえせ
アッタマあるなら
たたいてみな
「アンポンタン」って
いいウタきこえたろ
まど・みちおさんについては、また書くことになるだろう。
今日は、ここまでにしておこう。
寒波襲来の昨日今日、夕焼けの空は眺められないけれど、まどさんの詩に倣い、
<すてきな今日のおしまいだから ららら ららら ららら ららら お日様また明日>
と唄おう。
いい明日の訪れを念じながら…。