<水仙の里>への道は、海沿いの小山の中腹、海を眼下に見下ろす位置にある。
波打際は、歩道からは見えない。
防風林のように海を遮る林の隙間から、時折、鈍く荒れる海を眺めることができる。
水仙の里への道を歩き始めて程なく、遥か下方に、よく散歩するコースの海辺が見えた。
日本海は今日も荒れ模様で、海鳴りの轟音が激しい。
高島が、木々の合間に、時折姿を現す。
単調な海原に、この島影を眺めて佇むとき、なぜともなく心が和む。
無人の島となって久しい。
白い灯台が、島の東よりにあるのだが、曇り日の今日は見えなかった。
<沖の高島 回れば5キロ>
子どものとき覚えた「石見かるた」には、周囲5キロの小島であることが詠まれていた。
かるたで高島の名を知った幼少の頃には、石見の東部に暮らしていたので、私はまだその島の姿を知らなかった。
<紺青の…>
と初句を思い出しながら、後が続かなかった。
永井隆博士が高島を詠まれた歌を思い出そうとしたのであった。
しかし、近年覚えたその歌は、幼少期の記憶と違って、完全に口ずさむことができなかった。
帰宅後、永井隆の歌集『新しき朝』を開いて確かめた。
<紺青の石見の海や白波の光る退方(そぎえ)に高島の見ゆ>
永井隆博士が、若き日、山陰本線の車窓から、眺められた高島の景である。
第一駐車場には、数台の車が止まっていた。
その広場に幾人かの人の姿もあった。市の広報車があり、知人のMさんの姿もあった。挨拶をし、今年は水仙の開花が早いことなどを話した。
岩場を歩いている人の姿が眼下に小さく見えた。その数10人くらい。観光客かと思ったが、市役所の人の話によると、ガイドの養成者とのことだった。
水仙に併せ、蛇岩を観光のポイントにしようという考えなのだろう。
私は、その蛇岩には下りなかった。
海風を全身に受けながら、見下ろすに留めた。
波打際は、歩道からは見えない。
防風林のように海を遮る林の隙間から、時折、鈍く荒れる海を眺めることができる。
水仙の里への道を歩き始めて程なく、遥か下方に、よく散歩するコースの海辺が見えた。
日本海は今日も荒れ模様で、海鳴りの轟音が激しい。
高島が、木々の合間に、時折姿を現す。
単調な海原に、この島影を眺めて佇むとき、なぜともなく心が和む。
無人の島となって久しい。
白い灯台が、島の東よりにあるのだが、曇り日の今日は見えなかった。
<沖の高島 回れば5キロ>
子どものとき覚えた「石見かるた」には、周囲5キロの小島であることが詠まれていた。
かるたで高島の名を知った幼少の頃には、石見の東部に暮らしていたので、私はまだその島の姿を知らなかった。
<紺青の…>
と初句を思い出しながら、後が続かなかった。
永井隆博士が高島を詠まれた歌を思い出そうとしたのであった。
しかし、近年覚えたその歌は、幼少期の記憶と違って、完全に口ずさむことができなかった。
帰宅後、永井隆の歌集『新しき朝』を開いて確かめた。
<紺青の石見の海や白波の光る退方(そぎえ)に高島の見ゆ>
永井隆博士が、若き日、山陰本線の車窓から、眺められた高島の景である。
第一駐車場には、数台の車が止まっていた。
その広場に幾人かの人の姿もあった。市の広報車があり、知人のMさんの姿もあった。挨拶をし、今年は水仙の開花が早いことなどを話した。
岩場を歩いている人の姿が眼下に小さく見えた。その数10人くらい。観光客かと思ったが、市役所の人の話によると、ガイドの養成者とのことだった。
水仙に併せ、蛇岩を観光のポイントにしようという考えなのだろう。
私は、その蛇岩には下りなかった。
海風を全身に受けながら、見下ろすに留めた。
少し歩いてこようと、家を出た。
散歩といえば、いつも海辺を歩く。
が、今日は散歩コースを変更し、山沿いを歩いてみようと、国道を西に向かった。
道のあちこちに、水仙が咲いている。
それを眺めているうちに、急に気が変わり、<水仙の里>へ行くことにした。
国道から駅裏を通って引き返した。
最初の標識(↑ 100m先 左折 唐音水仙公園)を右手に見ながら、東に向かった。
間もなく、第二の標識(← 水仙の里 唐音の蛇岩)が現れる。
そこから<水仙の里>への道が始まる。
その標識の傍には、唐音への道を示す古びた標識(唐音の蛇岩 ここより1・5キロ)も、立っている。
往復すれば3キロの散歩ということになる。
しかし、途中で不安を感じれば、すぐ引き返すことにしようと思いながら、歩き始めた。
というのは、<水仙の里>への道は物寂しく、老女とはいえ女性のひとり歩きには向いていない。
人通りがなく、歩道の両脇の木々が空を隠し、無気味である。
私は、ひとりで歩くときは、入り口を少し入ったところで引き返すことにしていた。
が、年々、<水仙の里>への道が明るんできた。
<水仙の里>が、世間に周知されるにつれ、次第に環境が整備されているのだ。
歩道周辺の木々が伐採され、道も空も広くなった。
これなら大丈夫だなと思いながら、ひとり歩く。
静寂な道に、海の遠鳴りが聞こえてくる。
繁茂した雑木林の中では、幾種類もの小鳥が囀っている。
私を追い越して、2台の車が海に向かった。
帰路の車にも、2台出会った。
平日の、寒々としたお天気にも拘らず、水仙の里を訪れる人があるのだ。
歩いているのは私ひとりであった。
カラカラと、枯れ葉が私を追いかけてくる。
ポケットの中で携帯が鳴った。友人からであった。
居場所を告げる。
平然とで歩いているつもりだったが、相当息が弾んでいる、と友人に言われた。
私はゆるやかな坂道を上っていたのだった。
一旦、上った道は、また海に向かって下ってゆく。
道が下り始めて程なく、三番目の標識(→ 水仙公園 もう少し)が左手に見え、足取り軽く道を下った。