「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20101230

2010-12-30 | 矮小布団圧縮袋

○年内最後のどんなもんや!(文化放送)が29日深夜、っていうのは不思議な昨夜だった(いつも31日に実家の自分の部屋で聞きながら年が終わる、って感じだから)。その前夜の28日は何かつよしがもったいつけてんなと思ったが、何のことはねえ(^^;;)ラストが何故か「俳句」(!?)というラストである。このとぼけ具合はあいかわらずだ。なんか世の中にはやたら怒りっぽい人たちがいるようだが、元々こういう関西人は東と比べて歴史の古い「しれっととぼけた」辛辣な文化の連中なんだよ。だから直情な東の方の人間がなかなかかなわんなあと思うことは、西日本の文化を何の因果か(…って12年前の当時のことを考えると心境的にはKinKiも無縁てわけでもない)移住してきて体験した自分の感覚として、何度もある。そういうことを思い出そうではありませんか、な感じだな自分の感想としては。思い出すと、12年前はかなり毎日聴いていたのだが、今現在は「無理せず自然に」聞ける時に聞いてる、という程々のスタンスになってきている。大人だからね(笑)。12年か。「夜、ラジオからKinKi Kidsのどんなもんやが聞こえてくる」という、ただそれだけのことなのだが、その瞬間に脳裏によぎる思いは、他の人に説明の仕様がないほど「えもいわれぬ」ものになってきている。自分の人生も、ふらふらした“海外”単身赴任生活(家から見たら海外だ。さらに言えば宇宙飛行士に近いと思っている)な点は全然進歩がないような気がするが、仕事に対する考え方も組織上の役割も、この12年で本当に変わった。と改めて気づくのである。(つーより、12年前みたいな安易なまんまでその後ちゃんと変わってなかったら、まず人として駄目だろ、って話だ)。特にここ数年はいろいろ複雑な心境になってきた。結局のところ、一日一日の仕事を丹念に、その都度集中して一生懸命やる、ということ、それ以外に何もできることなど無いのだが。そういう時は、「我々が人生に何を期待するかということよりも、むしろ人生が何を我々から期待しているのかが問題なのである」(『夜と霧』)みたいな言葉のことを考える。

…ということで何ヶ月もなかなか出られなくなった県内から、移動してみることにした今、大落雷が鳴った。これは「雪おろし」の雷の音だ。一応軒下に鉢類は避難させておくけれど。本州は大丈夫なのかな?
(20101230 7:30)


コメント    この記事についてブログを書く
« 20101229 | トップ | 30日夜(東京ドーム) »

コメントを投稿