〇キイロイトリが見ている鉄くず社長=アイアンマンは、先週の梅田Loftのマーヴェルの展示で記念撮影可のである。
昨日から雨模様で降ったり止んだりである。土曜は出張先で仕事、週明けまた忙しくなるので、今日の内に掃除と洗濯をしておくことにした。午後、買い物の帰りにちょっとだけ寄る:
本日のBGM:
・終わりのない空 / 秦基博 ※映画「聖の青春」(2016、角川映画)
非常に静かな画面なのに、極めて緊張感のある対戦のシーンが、時代劇の御前試合の真剣勝負の場面のようで印象に残る。
原作未読でとびこんで見てみた。たぶん将棋に詳しい人だと「対戦がノンフィクション(事実通り)じゃない」ところに賛否意見あるかもしれないが、映画はそれを承知で羽生村山のフィクションとして創り込んだんだろうと思う。
アンケートの「ボストンと山下達郎」って書いてくる音楽の好みとか、いかにも細かいところのこだわりが凄そうな人の感じがした。どっちかというと「村山くん」の住んでる「部屋」が、とにかく他人事ではなく(爆)、そういうところではらはらする自分というのもどーしたもんかと。
こういう天才たちの闘いというのも凄いのだが、全然天才でない自分が見ていても、自分と世界、という前に、他者とのかかわり方に難しさを感じる人間の場合、その(「30歳にならない」ところからしか見えない、もしかしたらそれ以上歳とったらそれはそれで見えてくるものも違ったかもしれなかった)「人生」の形というものに対して、「ままならない」中であがく姿が、何か象徴的な意味でもって見えてくる。将棋の世界がまた、年齢制限のあるルールだったりするから。だから、今の年齢の自分の場合、この映画を見ていてじわじわ来たのは、それ以上の歳の大人がいかに自分たちより優秀な若い人たちを見守り伸ばして育てるか、という態度だったかもしれない(リリーさんやヤスケンさんたちはそういう位置だった)。※自分が30歳前の頃には、そういう側の感じ方はまだできなかった。
それでも、雪のシーンとか、「村山くん」が一人で海や公園を見ているシーンがなんともいえなくて、彼の残した言葉の意味をしみじみ考えながら見てしまった。ところどころ、あるものの「不在」によって、むしろそれがそこにいるような「存在」を表現する、っていうカットが幾つか入っているように思いながら見てた。お札が夏目漱石だったな。
マツケンも東出くんもかなり化けていたが、ある種一番化けてたのは筒井道隆氏だったのではないか(最後までわかんなかった><)。ラストのナンバーでは少しほっとする。
キイロイトリとたれぱんだが対戦中、ではなくてパンフです。
※ふと思ったのだが、「聖の青春4DX」ってあったらどーなるのかなあ、と考えてみたw(20161127)
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