「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20060122

2006-01-22 | 矮小布団圧縮袋

○月曜の仕事に備えて日曜は非番にしてもらい休む。響鬼先生も最終回で(きりや君が鬼になるかどうかよりもあの和服の充ちゃんももし傀儡の人だとするとウロボロス的に話が最初に戻って「たちばな」及び関連全国チェーンはまだ今後も忙しいのだろうか)、テレビCMを見てると各社ビーゴ以外にもこの週末はどこも新車発表会づくしなようだ(しかし単車しかない自分、どこの販売店を偵察に行くにしても敷居が高い・笑…)。掃除と洗濯の後、先週読んでた「平均原価法による富の移転」(山根治氏のblog)の続きを読んだ。「粉飾決算」とは何か、経済学も利殖も専門分野外な素人の自分にも、これなら確かに小学校の算数の話で一気に非常にわかりやすく読めて、「こりゃあ、合法か違法かのレベルというより、人としてどうか、て問題だな」と直感するし、今まで自分が非常にテレビとかニュースとかCMとか見ても素朴に生理的嫌悪感を感じていたのは間違っていなかったような気がしてきた。小学校で習った「悪銭身につかず」ということわざを思い出すのだが、場合によると人から巻き上げた金を自分の手元に残すために、逆に会社を売るか解散させた方がいいって方法の場合もあるらしいという話だ。でもそういう責任の逃避の仕方だと普通は一生もう表を歩けないだろう。来週あたりも関連のニュースをWSでも放送するんだろうけど、コメンテーターといいどうも何かどこかに遠慮があるのか、はっきりしない。テレビつうのは不自由で役にたたんな、とここ最近とみに思うのはそういうときである(うじきさんがその人を好きか嫌いかなんてことより、もっと知りたい事は他にたくさんありますよ、田原さん)。そんなことを思っていたらLFがきた。愛されて生きる人、の詩を書く剛さんに、(昨日のキンキラの趣向なんかより)次のような質問を聞いてみたい⇒「世の中には、どんなにしても全然人を愛さず人からも愛されることのないらしい人っていうのがいますが、そういう人はどうやって生きていったらいいんでしょうかね?」(サイラス・マーナーかクリスマス・キャロルでも読め、ってか・20060122)

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