みーばい亭ブログ

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庭のガジュマル

2015-06-27 22:21:22 | 日々の戯れ

坂本龍一のツアーメンバーだった「オキナワチャンズ」の3人娘、我如古より子、玉城一美、古謝美佐子に、古謝と同じく民謡酒場「島唄」で唄っていた宮里(吉田)康子を加えた4人で、コーラスグループの結成が企画されたのは1990年頃だったか。
その後紆余曲折があって、結局、我如古と玉城は参加せず、代わりに宮里奈美子、比屋根幸乃が加わって、ご存じネーネーズが結成される。
折しも勃興したワールド・ミュージック・ブームの波に乗り、日本はもとより地球規模での華々しい活躍は、読者諸氏の記憶にも残っていることと思う。
管理人自身も、中学生の頃から聴き続けてきたロックに倦んできて(実際、ニルヴァーナの終焉で一旦ケリをつけることになる)、民謡やアフロ、それに(ルーツ)レゲエばかり聴いていた時代だったから、京阪神でライブがあれば何を置いても駆けつけたし、沖縄を訪れればコザから宜野湾に移転してネーネーズの拠点となっていた民謡酒場改めライブハウス「島唄」には必ず顔を出していたものだ。
そんな、ネーネーズも古謝の脱退に伴って往時の勢いを失い、ミレニアムを目前にした1999年に解散する・・・が、「ネーネーズ」という大看板を惜しんだ商売人たちによって、2代目ネーネーズが結成される。
新生ネーネーズはスタートこそ、大みそかの「ゆく年くる年」で全国ネットデビューという華々しいものだったが、いかんせん初代の圧倒的な実力には及ぶべくもなく、世間的な評判はどうだったのかは知らないが、管理人は完全に興味を失っていた。
そんな2代目ネーネーズが発表した唯一のアルバム「美らうた」に、「庭のガジュマル」という唄が収録されている。
吉田拓郎の相棒にして初代ネーネーズの代表曲「黄金の花」も手掛けた岡本おさみの作詞という、ある意味あざとい唄なのだが、さすがに詞は素晴らしい。
アメリカ軍の非戦闘民に向けた無慈悲な艦砲射撃によって「枝が焼け、幹が焦げても」根から新芽を吹きだすガジュマルを見て、二度と会えない愛しい人を想う・・・。
昭和61年に長州の萩市が、会津戦争の和解と友好都市締結を会津若松市に申し入れたが、会津若松市側は「まだ120年しか経っていない」とこれを拒絶したという。
あの沖縄戦からは「まだ70年しか経っていない」のだ。
そこんとこよろしくね、安倍ちゃん。

さて、ちょうどその頃・・・(会津戦争とか沖縄戦とかじゃなくて、2代目ネーネーズが始動した頃ね)、当時住んでいた町の花屋で一鉢のガジュマルを買った。
相当売れ残っていたらしく、ヒョロヒョロで葉っぱは黄ばんで、おまけに幹は艦砲射撃を受けたみたいに大きく抉れていた。
それでも、管理人の献身で、一時は天井に届くまでに生長したのだが、いかんせん樹勢が乱れて見苦しいので、先月バッサリと剪定し、根も切って仕立て直すことにした。
そしてひと月が過ぎ・・・。

みずみずしい新芽が力強く吹き出してきた。
くれぐれもアジアの人々の心に刻まれた戦の歴史と失われた尊い命が無駄になりせんように・・・。
と、願いつつ、ふと脇のメダカ池を見ると・・・。

おお!そこにいるのは、おたまさんじゃありませんか。
いつの間にかすっかり立派になって・・。
温暖化やカエルツボカビ症で今世紀中に地球上の両生類は絶滅する・・などと、悲観的な研究者もいるみたいやけど、石炭紀から3億5千万年間、アンモナイトや恐竜さえ乗り切れなかった気候変動に耐えて生き延びてきた種族をなめたらあかんで・・と、我が家の周りのカエルさんたちは言うとります(笑)

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