昨日は東京駅から茗荷谷駅まで歩きました。
お茶ノ水大学の学園祭に行き、講堂に向かい、
教え子が主役を演じるモーツアルトの「フィガロの結婚」を聴きにいく。
家を出る前にカール・ベーム指揮による映像を見たので、
あらすじは分かったので観ていても分かりやすかった。
大学で管弦楽付きのオペラを上演するのが驚きである。
全体的には休憩後の第3幕以降の歌と演技がよかった。
途中聴いたのは1850年生まれのフィビヒの交響曲。
ボヘミアのフシェボジツェに生まれ、幼い頃から音楽を学び、
1865年にはライピチヒ音楽院に入学し、
この時番号なしの最初の2つの交響曲を作曲したようだ。
こんな交響曲がチェコにあったというのが聴いてみて驚きである。
交響曲第1番ヘ長調作品17は、
1877年から1883年の間に作曲された。
第一楽章アレグロ・モデラートは、
粗野であり、ボヘミア的な部分が感じられ、
のどかでなぜか懐かしい音楽である。
ドボルザークの交響曲に似て、迫力もある。
主題が様々な形で展開される技法はなかなかである。
最後の終わり方も颯爽としていい。
第二楽章アレグロ・アッサイはスケルツォ楽章で、
冒頭の軽快な曲で粗野な感じはいかにもボヘミア的だ。
三部形式で書かれ、トリオの音楽との対比がいい。
第三楽章アダージョ・ノン・トロッポは、
哀愁漂う民謡調の旋律が、主題として奏される。
途中情熱的な感じになり、また冒頭の寂しい音楽に戻る。
第四楽章アレグロ・コン・フォーコ・エ・ヴィヴァーチェは、
軽快で金管楽器が活躍し、溌剌とした主題が奏され、
フィナーレ楽章らしい祝典風の始まり方である。
対照的なもう一つの主題も愛らしく魅力的である。
音楽は最初の主題を中心に展開されていく。
最後第一楽章の冒頭の主題が再現されたあと、
第一主題が奏され華々しい感じで全曲を閉じる。
お茶ノ水大学の学園祭に行き、講堂に向かい、
教え子が主役を演じるモーツアルトの「フィガロの結婚」を聴きにいく。
家を出る前にカール・ベーム指揮による映像を見たので、
あらすじは分かったので観ていても分かりやすかった。
大学で管弦楽付きのオペラを上演するのが驚きである。
全体的には休憩後の第3幕以降の歌と演技がよかった。
途中聴いたのは1850年生まれのフィビヒの交響曲。
ボヘミアのフシェボジツェに生まれ、幼い頃から音楽を学び、
1865年にはライピチヒ音楽院に入学し、
この時番号なしの最初の2つの交響曲を作曲したようだ。
こんな交響曲がチェコにあったというのが聴いてみて驚きである。
交響曲第1番ヘ長調作品17は、
1877年から1883年の間に作曲された。
第一楽章アレグロ・モデラートは、
粗野であり、ボヘミア的な部分が感じられ、
のどかでなぜか懐かしい音楽である。
ドボルザークの交響曲に似て、迫力もある。
主題が様々な形で展開される技法はなかなかである。
最後の終わり方も颯爽としていい。
第二楽章アレグロ・アッサイはスケルツォ楽章で、
冒頭の軽快な曲で粗野な感じはいかにもボヘミア的だ。
三部形式で書かれ、トリオの音楽との対比がいい。
第三楽章アダージョ・ノン・トロッポは、
哀愁漂う民謡調の旋律が、主題として奏される。
途中情熱的な感じになり、また冒頭の寂しい音楽に戻る。
第四楽章アレグロ・コン・フォーコ・エ・ヴィヴァーチェは、
軽快で金管楽器が活躍し、溌剌とした主題が奏され、
フィナーレ楽章らしい祝典風の始まり方である。
対照的なもう一つの主題も愛らしく魅力的である。
音楽は最初の主題を中心に展開されていく。
最後第一楽章の冒頭の主題が再現されたあと、
第一主題が奏され華々しい感じで全曲を閉じる。
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