今日の午前中は、クーベリックがシカゴ響を指揮した
チャイコフスキーの交響曲第4番を聴いたあと、
昼は横浜のガウチョのライブを聴きにいったが、
その聴いている間に寒気があったので、
ウォーキングはやめて、そのまま家に帰り、ゆっくり休養。
たかが風邪とはいってもあなどれないものである。
帰ってから聴いたCDは指揮者クーベリックの自作自演盤。
1914年生まれのラファエル・クーベリックは
チェコのコリーン近くのビーホリーで生まれた。
父ヤンは有名なヴァイオリニストであり、
彼も父と同じように音楽の道を進み、
1928年から1932年の間プラハ音楽院でヴァイオリンと作曲法、
そして指揮法を学び、チェコ・フィルを振り指揮者としてデビューする。
その後彼の音楽活動の中心は指揮者としての活動にあったのだが、
作曲家としてもいくつかの作品を残している。
「無言カンタータ」は1980年に作曲された。
合唱と管弦楽のための作品ではあるが、
この曲での合唱が歌うのは歌詞のないものである。
「無言カンタータ」という訳が一般的なためこの訳を使うが、
「無言」という訳は誤解を受けやすい感じがする。
より正確にいえば、歌詞のないカンタータということになる。
この曲は、23分以上を要す大作であり、
曲全体は壮大な音楽で、途中激しい部分もある。
また、歌詞のない合唱によって幻想的で、
瞑想的な感じが出ていると思う。
そして途中出てくる鐘のような音楽は、宗教的で、
何か戒めや警告を聴き手に伝えているようにも思える。
最後の合唱とともに繰り返されるフレーズは印象的である。
そのフレーズが何度も繰り返される中、
やがて音楽は静かに消えるように終わるのである。
チャイコフスキーの交響曲第4番を聴いたあと、
昼は横浜のガウチョのライブを聴きにいったが、
その聴いている間に寒気があったので、
ウォーキングはやめて、そのまま家に帰り、ゆっくり休養。
たかが風邪とはいってもあなどれないものである。
帰ってから聴いたCDは指揮者クーベリックの自作自演盤。
1914年生まれのラファエル・クーベリックは
チェコのコリーン近くのビーホリーで生まれた。
父ヤンは有名なヴァイオリニストであり、
彼も父と同じように音楽の道を進み、
1928年から1932年の間プラハ音楽院でヴァイオリンと作曲法、
そして指揮法を学び、チェコ・フィルを振り指揮者としてデビューする。
その後彼の音楽活動の中心は指揮者としての活動にあったのだが、
作曲家としてもいくつかの作品を残している。
「無言カンタータ」は1980年に作曲された。
合唱と管弦楽のための作品ではあるが、
この曲での合唱が歌うのは歌詞のないものである。
「無言カンタータ」という訳が一般的なためこの訳を使うが、
「無言」という訳は誤解を受けやすい感じがする。
より正確にいえば、歌詞のないカンタータということになる。
この曲は、23分以上を要す大作であり、
曲全体は壮大な音楽で、途中激しい部分もある。
また、歌詞のない合唱によって幻想的で、
瞑想的な感じが出ていると思う。
そして途中出てくる鐘のような音楽は、宗教的で、
何か戒めや警告を聴き手に伝えているようにも思える。
最後の合唱とともに繰り返されるフレーズは印象的である。
そのフレーズが何度も繰り返される中、
やがて音楽は静かに消えるように終わるのである。