昨日は二俣川から西谷駅まで歩きました。
途中聴いた曲は1894年生まれのウォーロック。
ロンドンで生まれた彼も、ウォルトンと同じく、
音楽についてはほぼ独学であったという。
ピーター・ウォーロックという名前は本名ではなく、
ユダヤ系の音楽評論家フィリップ・ヘゼルタインが、
作曲家として活動する場合に使った名前のようだ。
「ディーリアスへのセレナーデ」は1922年に、
ディーリアスの60歳の誕生日のために作曲された。
ウォーロックは作曲家ディーリアスを一生涯崇拝していた。
英文の解説によるとフランスに住んでいたディーリアスの
家の近くには、彼の叔父を通じてディーリアスに出会い、
その後もディーリアスの家に訪れるなどし、交流を深めたようだ。
弦楽オーケストラのために書かれたこの曲は、
ディーリアス崇拝者のウォーロックらしく、
いかにもその旋律はディーリアス風である。
カプリオル組曲は1926年に作曲された作品で、
古いフランス舞曲から発想を得たようだ。
6つの短い小品からなる弦楽オーケストラ版は、
新古典主義的な趣を持ち、聴きやすい曲である。
4曲目のブランスルの軽快な感じは特にいい。
しかし、ウォーロックの生涯は36歳で終わり、意外に短い。
1920年代終わりには作品の創造力に衰えが出始め、
軽いうつに悩まされていたようだ。
ガス中毒で亡くなったようであるが、
自殺か事故死かはわからないようである。
なかなか作曲家というのも大変なもんだ。
途中聴いた曲は1894年生まれのウォーロック。
ロンドンで生まれた彼も、ウォルトンと同じく、
音楽についてはほぼ独学であったという。
ピーター・ウォーロックという名前は本名ではなく、
ユダヤ系の音楽評論家フィリップ・ヘゼルタインが、
作曲家として活動する場合に使った名前のようだ。
「ディーリアスへのセレナーデ」は1922年に、
ディーリアスの60歳の誕生日のために作曲された。
ウォーロックは作曲家ディーリアスを一生涯崇拝していた。
英文の解説によるとフランスに住んでいたディーリアスの
家の近くには、彼の叔父を通じてディーリアスに出会い、
その後もディーリアスの家に訪れるなどし、交流を深めたようだ。
弦楽オーケストラのために書かれたこの曲は、
ディーリアス崇拝者のウォーロックらしく、
いかにもその旋律はディーリアス風である。
カプリオル組曲は1926年に作曲された作品で、
古いフランス舞曲から発想を得たようだ。
6つの短い小品からなる弦楽オーケストラ版は、
新古典主義的な趣を持ち、聴きやすい曲である。
4曲目のブランスルの軽快な感じは特にいい。
しかし、ウォーロックの生涯は36歳で終わり、意外に短い。
1920年代終わりには作品の創造力に衰えが出始め、
軽いうつに悩まされていたようだ。
ガス中毒で亡くなったようであるが、
自殺か事故死かはわからないようである。
なかなか作曲家というのも大変なもんだ。