そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

円安の一方で株高が続く、この国は何が豊になっているのか、誰が豊であるのか

2024-07-15 | 新自由主義
円安が進行し160円台になってる。その一方で日経兵器株価は4万円を超え更に上がる勢いである。
経済に疎いが現在を生きるものとして、人々が豊かになる指標にお金を沢山稼ぐことがったはずである。そうした意味からすれば、日本は豊かになっているはずである。ところが現実は、日本という国は衰退し、かつてアメリカに次ぎ世界第二位だったGDP生産額は、中国に抜かれドイツに抜かれ、ほどなくインドとインドネシアに抜かれてしまう。
株は本来は、社会が求める商品を提供する企業を一般の人たちが支えるためのツールであったはずである。多くの人が競い合って支えれば、株価は上昇する。企業は生産量を上げ社会が求める商品を、安価に大量に生産しする、というのが私の理解であった。
その結果。資本主義社会が活気づき、その原動力の企業の発展する。その指標になっていたのが、株価であったはずである。

1980年台にレーガン・サッチャーイズムが世界を席巻、新自由主義というレッテルを貼って世界で規制緩和が行われ、社会は一層金の回りが早くなってきた。これは200年前のアダム。スミスに国富論に逆戻り、経済を強者に委ねることである。強者の論理は単純で解り易い。瞬く間に世界を巡った。中曽根康弘は真っ先に飛びつき、小泉純一郎は竹中平蔵を抱き込んで規制緩和のやり放題であった。
株はデリバティブ(金融関連証)となり、株価の動向は社会の発展や一般人の豊かさの指標とはかけ離れたものとなってしまっている。
新自由主義とは、規制緩和のことである。株価は投機の対象となり、企業の実態からかけ離れ、変幻自在に捉えどころにない動きまでする。日本の株価の送金額がアメリカと変らなくなって、皇居の土地とカルフォルニア全土と同価格になった、と言われる時代(1987-89)があった。これがバブルの前兆だと誰も気が付かないかった。市場は神の手でなくなったのである。
株式市場は経済の指標にならなくなってた。上図はたった一秒間に行われる、コンピュータ取引、超高速取引のモデル事例である。瞬時に株を買い薄利を幾度も繰り返し、その差額でたんまり儲けるのである。経済学部より工学部を出た人間の方が株取引で収入を上げる。一般投資家は何が起きているのか理解できない。
こうした取引は、国境を越えてまで行われる。
新しい見えざる神の手が市場に現れたのである。
本来の株の持っていた意味合いや目的、それに豊かさの指標からも遠のいた感がある。

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