そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

最も大きな格差は国内にある

2010-04-27 | 公害

世界銀行の高官だった、ラリー・サマーという人物が次のような発言をしている。「工場が公害を起こして1人の人物を殺すとロサンジェルスでは年間3万ドルの被害が生じる。マニラだと300ドルで済む。したがって、公害を起こしそうな工場は低開発国に移すべきだ」と、発言している。

これは非人道的などと非難するより、新自由主義者のの発言としてじっくり考えさせられることである。事実こうした考えで多くの先進国は、危険な工場を低開発国に移してきた。賃金が安いことも当然前提になる。中国はそれを逆手にとって、世界の工場となって経済成長を成し遂げて55いるい。犠牲になるのは、中国国民である。

中国の発展は、インフラの不整備はもちろんのこと、賃金の据え置きと労働条件の悪さ、更には知的所有権などの無視などによって支えられてきた。国家としては、GDPを稼ぎ富裕層を生み出し、都市部のインフラ整備が進むことになった。こうして、地域間格差が生じてくるのであ る。

人間らしく生きるためには豊かさが必要である。必要条件ではないが十分条件ではある。ところが、経済学はこれを逆さまに考えるようになってしまた。豊かになると(金が入ると)、人々が人間らしくなると思っているのである。残念ながら、豊かなった人たち(国家でも同じ)は、もっと豊かになりたいと思うようになるのである。賃金の安い国家や地域や職種は、そのための手段でしかないのである。

日本国内でなら、原発のような危険なものは、賃金が安く産業がなく疲弊する地域に持ってくることになるのである。原発が安全なら輸送コストやロスを考えると、都会の作る方が断然有利である。地方はこうして、産業廃棄施設や危険産業や自衛隊や時にはアメリカ海兵隊まで、受け入れることになるのである。

地方の主たる産業である農業が、経済学者あるいは新自由主義者たちにとっては邪魔で不要な存在である限りこの傾向は治まらないであろう。内橋克人氏は、地域分散型の共生経済を打ってている。F(食料)E(エネルギー)C(ケアー)の頭文字をとって、FECを訴えている。

「始まっている未来』宇沢弘文、内橋克人著、岩波書店より

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

羅臼港

春誓い羅臼港