そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

障がい者を不要の存在とする価値観こそが問われなければならない

2018-07-19 | 格差社会
神奈川県の障がい者施設「津久井やまゆり園」で、19人が殺害され27人が殺傷された事件が起きて2年になる。しかし、何とも哀れなこの国の為政者たちは、施設の強化やカメラの数を増やすことの御執心である。本ブログで、事件時にそして、一年後に国や自治体の対応が基本的に外れていると述べた。
事件の犯人はこの施設の元職員の植松聖である。障がい者を不要の存在、社会悪と断じる植松の思想を醸成した社会がこの問題の本質である。典型的な確信犯である。国家は不要の存在を抹消し社会の負担を軽減した自分を、国家は高く評価するべきだというこの男の考え方は日本のあちこちに存在する。
在特会がその典型であるが、現在の右翼が日本会議という巨大な組織として統合し、排他性を存分に発揮している。
ヒトラーは障がい者を収容所に閉じ込め大量殺害をしている。その後のユダヤ人収容所のモデルにもなっている。最近になってその暗部が照らされている優生保護法も同類である。社会的不要の遺伝因子を排除するため、不妊手術を基準もなく施している。
特定の人たちを排除し人権を認めようとしない、そのような団体や思想は様々な形でこの国に存在し、今や国権の中枢にすら居座っている。自民党の憲法草案から人権要項が削除されている。国家に奉仕しない経済的効率を失った人たちの存在を、憲法で認めようとはしないのである。麻生太郎などがしばしば口にする失言にその本音を見ることができる。
新たなやまゆり園は、白い強固な塀で囲われ職員を増やし、無数の防犯カメラを設置したようであるが、これは結構なことではある。教育の充実が唱えられると、校舎ばかりが近代化されるのに酷似する。障がい者の人権や教育者の待遇など、もっとま基本的なことまで覆いつくしてしまう。
障がい者を経済的評価や社会的に機能するかではなく、先ずは人権を有する個人として認めることから始めなければならない。しかし、現在の日本はその真逆の方向に向かっているようにみえる。経済的格差社会は更なる人権の格差も生むのである。


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1 コメント

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人間の尊厳とファシズム (Unknown)
2018-07-20 21:27:18
先頃来日した独の哲学者、M ガブリエルによると、独は大戦後の反省から「権力をどう制限できるか」考えカントの言葉を下敷きにして
「人間の尊厳は譲れない権利」として独憲法第1文に制定されたという。彼は「倫理の土台」という言葉を多用している。法や民主主義の支配は倫理の土台が無ければ、権力は無制限に暴走する。倫理の土台が無ければ多数決も無意味。etc
要は「人間の尊厳」はこの倫理の土台が無ければ保証されないという
事だろう。
しかし、この倫理という言葉程、今の日本の政治の対極にあるものは無い。政治家のカネ、女、酒等のスキャンダルは言うまでもなく
極め付けは、民主主義をカネで買い、非合法的暴力で権力を奪い取る、国のトップ。これはアベシンゾーの原点と言うべきだろう。
だからモリカケetcも当然起こるべくして起こったのだ。そして今尚責任取らず居座り続ける厚顔無恥。全て連環している。
国民は今アベ政治のカネと権力と数の「暴力装置」の中に置かれている。
個人の尊厳等と真逆のアベファシズムの真っ只中。
暴走に歯止が効かない危機的状況にある。
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