

教育勅語は明治天皇の名を借りた、軍人上がりの時の内閣総理大臣の山縣有朋の言葉である。後に「国軍の父」「日本軍閥の祖」とまで称された山縣有朋が、国民が国家に自らを奉じるために作ったのが、教育勅語である。子どもたちは誰もが口をそろえて、「大きくなったら兵隊さんになる」と言わしめた元凶である。長じて軍人となり戦陣訓を受け入れ散華する人々が、何の疑いも持たなかったのも教育勅語の下地があったためである。
日本中の小学校に、奉安殿を設置し、天皇皇后の写真(御真影と言わせた)と教育勅語を置かせ、子どもたちは必ず礼をしなければ前を通れない。学校で最も頑強な建造物の奉安殿は、戦後占領軍によってすべて廃棄されたが、偶然のいきさつから当地で一基残って、80年を経た今も手入れをしながらも残っている。(上の左の画像がそうである)
奉安殿に敬礼する子どもの姿は、金一族を最高権力者に掲げ、誰もがひれ伏し写真や立像に花を捧げる北朝鮮の姿に酷似する。国家予算の半分以上を軍事費に充てる姿も、戦前の皇国史観を軸とする日本の体制と何ら変わらない。
国民が国家に何の疑いも持たずに身を捧げることは、軍事国家にとって必須のことである。教育勅語の一部が正しいなどとは、核の部分を見ない考えである。サウジアラビアが、コーランを暗唱させワッハーブ主義と言われるイスラム原理主義を、子どもたちに叩き込むのも同様である。
菅義偉官房長官は昨日の記者会見で、教育勅語の学校での教材使用に関し「憲法や教育基本法に反しない適切な配慮の下で取り扱うことまでも、あえて否定すべきではない」と述べた。松野博一文部科学相もこれに準じた発言をしている。
日本の小学校教育の過程で教育勅語が取り上げられる日も、そう遠くないものと思われる。恐ろしい時代である。日本は再び戦争のできる国家、軍事国家への道を安倍晋三の元、歩き始めた。