連合を作った山岸章が亡くなった。今日の政局の混乱を招いた張本人である。政局の混乱とはひとえに、自由民主党が膨大化する現象である。共産党を除くあらゆる政党がこの混乱の中を彷徨うことになるのであるが、すべての発端は山岸の総評の破壊と共産党嫌いにある。
良くも悪くも戦後の世界は東西の冷戦構造を映しだすものであった。それぞれの内情の評価は差し控えるとしても、お互いの暴走の歯止めとして作用していた。それが、東側は社会矛盾を解決できないばかりか虚飾に塗られていたことが判明し、体制崩壊を迎えることになるのである。
動揺した世界中の社会主義信奉者の多くが、ソビエトなど東側の体制崩壊を自らの贖罪として転向する。東西冷戦を、正義と悪あるいは正と誤ととらえるのは、対立が深刻であったためともいえるが、東側の崩壊は資本主義社会の正当性を意味するものではなかった。その後のアメリカの経済支配と統制、武力による暴力支配や格差の増大、国家間の資源の収奪、テロの拡散・凶暴化をみると、資本主義社会が抱える矛盾も深刻である。それでは社会主義がよかったかという問いかけは、半世紀前の冷戦構造の思想の呪縛から抜け出ることのない発想である。
日本では山岸章のような、資本主義社会への従順を宣誓する組織を率いるものが現れる。自民党へ手土産として組織を売却したのである。山岸は、こともあろうか田中角栄の懐刀といわれていた小沢一郎と、手を組むのである。山岸は、反自民非共産を掲げることによって、自民党の補完勢力の建設に腐心する。自民党から抜け出た泡沫政党を社会党と結び付け、更には自社さ政権へと誘導するのであるが、いずれも短命政権として終わる。
小沢と組んだことで最悪であったことは、小選挙区制の導入である。55体制時代社会党が最も恐れていた選挙制度である。一位が総取りする選挙制度が、2大政党を夢想していた小沢の画策に山岸が乗ったのである。
こうしたことが重なるたびに、自民党が巨大化する。巨大化する度に議員の質の低下が進行する。
私の兄は、山岸の下でもっとも下ので労働組合活動をしていた。山岸が叙勲を受け多のを聞いて、言行不一致と激怒していた。政権交代だけを目指し、中身の検討を全くしなかった山岸の独走は、今日の安倍政権のような質の低い独善性が強く、それでいて極右翼からの支持が強い政権を生む基盤を作ったのである。
山岸の死亡は一時代の終焉を物語っている。資本主義下での福祉社会、あるいは環境社会への道は経済効率だけでは解決できるものではない。かつて社会主義思想が目指していたことが教訓になるはずである。せめてそうした視点を持てば、山岸も労働組合員だけが恩恵を受ける運動や晩年の政界工作では終わらなかったはずである。
良くも悪くも戦後の世界は東西の冷戦構造を映しだすものであった。それぞれの内情の評価は差し控えるとしても、お互いの暴走の歯止めとして作用していた。それが、東側は社会矛盾を解決できないばかりか虚飾に塗られていたことが判明し、体制崩壊を迎えることになるのである。
動揺した世界中の社会主義信奉者の多くが、ソビエトなど東側の体制崩壊を自らの贖罪として転向する。東西冷戦を、正義と悪あるいは正と誤ととらえるのは、対立が深刻であったためともいえるが、東側の崩壊は資本主義社会の正当性を意味するものではなかった。その後のアメリカの経済支配と統制、武力による暴力支配や格差の増大、国家間の資源の収奪、テロの拡散・凶暴化をみると、資本主義社会が抱える矛盾も深刻である。それでは社会主義がよかったかという問いかけは、半世紀前の冷戦構造の思想の呪縛から抜け出ることのない発想である。
日本では山岸章のような、資本主義社会への従順を宣誓する組織を率いるものが現れる。自民党へ手土産として組織を売却したのである。山岸は、こともあろうか田中角栄の懐刀といわれていた小沢一郎と、手を組むのである。山岸は、反自民非共産を掲げることによって、自民党の補完勢力の建設に腐心する。自民党から抜け出た泡沫政党を社会党と結び付け、更には自社さ政権へと誘導するのであるが、いずれも短命政権として終わる。
小沢と組んだことで最悪であったことは、小選挙区制の導入である。55体制時代社会党が最も恐れていた選挙制度である。一位が総取りする選挙制度が、2大政党を夢想していた小沢の画策に山岸が乗ったのである。
こうしたことが重なるたびに、自民党が巨大化する。巨大化する度に議員の質の低下が進行する。
私の兄は、山岸の下でもっとも下ので労働組合活動をしていた。山岸が叙勲を受け多のを聞いて、言行不一致と激怒していた。政権交代だけを目指し、中身の検討を全くしなかった山岸の独走は、今日の安倍政権のような質の低い独善性が強く、それでいて極右翼からの支持が強い政権を生む基盤を作ったのである。
山岸の死亡は一時代の終焉を物語っている。資本主義下での福祉社会、あるいは環境社会への道は経済効率だけでは解決できるものではない。かつて社会主義思想が目指していたことが教訓になるはずである。せめてそうした視点を持てば、山岸も労働組合員だけが恩恵を受ける運動や晩年の政界工作では終わらなかったはずである。