実際にあった話である。この地方のある農協が古くなった庁舎を建て替えることになった。入札案内を建設会社に通知した。10社ほどが入札参加することになった。
農協の理事会では、概ね3億円辺りを予想していたが、競争入札することで2億円台の後半になるのではないかと踏んでいた。大きさや設備など見ても順当なところである。
この当たりの僻地は、公共事業の減少で地域の建設業者は青息吐息である。入札の結果は、地域の業者は何所も概ね理事会が読んだ通り、2億6千万前後程度であった。
ここに一業者この当たりの大都会の釧路の業者が加わっていた。地方の、大手と言われる建設業者である。バブル時にはこんなことはなかった。この業者が、1億9千万円を提示した。地域の業者は勿論、農協を含む関係者は一様に驚いた。
当然釧路の大手業者が落札することになった。釧路はここから100キロも離れている。建設手順などを不安視する向きもなくはなかったが、そこは大手だからと、農協はこの業者に建設を依頼することになった。
問題はその先である。いざ、建設が始まると資材を運んだり、建設を直接手がける職人や労働者たちの多くは、落札できなかった地域の建設業者やその関係者たちばかりだったのである。
早い話が、大手が落札をして地方の中小業者に、「孫受け」「ひ孫受け」更にその下請けを落としてゆくのである。
競争入札で、田舎が疲弊していく構造がここにある。強ければ、存分に力を発揮して、弱いものはそのお零れをいただくしかないのである。談合をやりたい、やらなければ潰される原点もここにある。